「最初から分かってたのよ」


 本を取りに行ったきり、なかなか帰って来ない彼女が心配になり、あちこちの書棚を探して回れば、不意に彼女の声がした。どうやら誰かと話しているらしい。通りで遅い訳だと思いながら、本の隙間から一つ向こうの書棚の間にいる彼女を覗き見る。話し相手は誰かと思えば、あのジェームズ・ポッターだった。彼女と兄のことに首でも突っ込んでいるのだろうか。


「君、意外と冷静だね。婚約者が裏切っているというのにさ」


 それは余りにも彼女にとって酷な言葉。傷口をえぐり、血をも流させる程に凶器となり得る言葉だ。部外者がずけずけと踏み込んでいい話ではないというのに、この男は一体何を考えていると言うのだろう。

 それなのに取り乱しもしない彼女。代わりに僕の方が怒りが沸き上がり、ギリ、と奥歯を噛む。本当は今すぐにでも二人の前に出て行き無理矢理会話を終わらせたいが、僕も部外者に過ぎない。彼女はそのように僕が介入することを良く思わない。事を荒立てることが彼女の嫌いなことの一つだということを、僕はよく知っていた。


「ねえ、どうなんだい」
「…これ以上、彼に嫌われる要素を自ら増やしてどうすると言うの」


 もう限界だ。これ以上は見ていられない。どれだけいつも通りの声音でも、どれだけ表情は変わらなくても、彼女が内側で涙を流していることは僕がよく知っている。そうでなければ、あんな風に悲しい笑みを浮かべることも、僕や友人とずっといたがることもしない。彼女がそれでも平静を保てているのは、常に傍に誰か彼女と親しい人間がついているからなのだ。 そうでなければ今の彼女は、息を吹きかけただけで崩れてしまいそうで。


「先輩、探しましたよ。そろそろ寮に戻りませんか」
「レギュラス…」


 僕の名を呟き、僅かに目を瞠る彼女。そんな彼女の腕を掴むと、有無を言わさず引っ張る。そのまま元のテーブルまで辿り着くと、僕のものも彼女のものも気にせず荷物を引っくるめて抱え、再び彼女の手を引く。図書館を出て早足で人気のない廊下まで来た所で、僕はようやく足を止めた。


「レ、ギュラ、ス…っ」
「……すみません、先輩。でも、」
「ありがとう」


 思いもよらぬ言葉を告げられ、体から力が抜ける。その瞬間、大きな音を響かせて荷物が腕から滑り落ちた。


「ありがとう、レギュラス」


 泣きたいのは彼女の方だろう。それなのに泣かないから、僕が泣いてしまった。本当は泣きたいはずなのに、それでも幸せなのだと語る表情で僕を見る。

 駄目だ、貴女はそんな顔で微笑んではいけない。そんな穏やかな顔で、もう全て諦めているのだと微笑んではいけない。もうこんなにも切り裂かれているのに我慢しようとするなんて、ここまで来ると彼女もいっそ愚かだ。


「ありがとう。私なんかのために泣かないで、レギュラス」


 愚かなのに、愛しい。包み込むかのように、僕より背の低い彼女は精一杯手を伸ばして僕を抱き締める。けれど僕は、彼女も泣いて僕と一緒に崩れ落ちてくれることを、心のどこかで期待した。有り得ないことだとわかっているのに。








BACK NEXT

(2012/02/13)