いいの、と言って彼女はいつも目を伏せる。慣れてるから、と微笑む、その姿は痛々しいばかり。見ない振りをして瞼を閉じ、聞こえない振りをして耳を塞ぐ。

 一枚の扉の向こうから聞こえる男女の声は遠慮がない。彼女が気付いていることにすら気付かない振りをし、彼女の心を玩ぶ。それでもいいのだと言う、彼女の気持ちが分からない訳ではない。寧ろ痛いほどに分かるからこそ、もう止めたらどうなのかと言うことができないのだ。


「これ以上傷付いても構わないと?」
「選んだのは私だもの。だから、」


 せめて、絶対に離してやらないの。泣きそうな顔で、声で強がりを口にすれば、堰を切ったかのように彼女の目から涙が零れ出す。一瞬、自分でも何が起こったか分からないようで、彼女は数回瞬きを繰り返した。とうとう見ていられなくなり、その細い身体を抱きしめれば、途端に震え出す。

 部屋の中から聞こえる楽しげな声は、美しい薔薇の鋭い棘のように彼女の心に突き刺さっているのだろう。この現場を目撃する度に深く深く傷口をえぐられ、血の代わりに涙を流す。


「僕の前でくらい、いくらでも泣いて下さい」
「レギュラス……っ」
「僕たちは似た者同士ですから」


 この扉の向こうにいる彼を恋慕う彼女。そんな彼女に惹かれている僕もまた報われない。終わりの見えない輪の中で、それでも僕たちは誰かを思いながら変わらない日常を泳いでいるのだ。








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(2012/02/06)