ちょっとした、昔話だ。











「ルシウス、風邪を引くわよ」

 優しい声と共に、隣に誰かの座る気配。誰かではない、だ。談話室で読書をしていたのだが、どうやら転寝をしていたらしい。すい、と右隣に視線をやると、が微笑みを浮かべてこちらを見ていた。もう就寝時間を過ぎているらしく、談話室には誰もいない。時々パチンと暖炉の薪が弾けるくらいで、物音の一つもない。
 誰かいたなら起こしてくれればいいものを。そう零すと、「気持ちよさそうに寝ているルシウスを起こせる訳がないわ」と言われた。

「だが君は起こしてくれただろう」
「私は特別よ。あなたなんて怖くないもの」
「そんなことを言えるのは、君くらいだ」

 髪を撫でてそのまま引き寄せると、は気持ち良さそうに瞼を閉じた。そのまま私に凭れるが、ここまで気を許してくれるようになるまでは私も努力を要した。誰にでも平等なは、私を特別にすることすら最初は拒んでいた。誰かを傷付けることをしたくない、その気持ちの底には自分が傷付きたくないという臆病な彼女が棲まう。飄々と生きているようで、誰よりも寂しがりで弱い彼女を、私だけのものにしたいと思った。私が寄り添いたいと思ったのだ。

「ねえ、覚えてる?いつだったか、雪の降る日にルシウスが風邪をひくぞって言ってくれたこと」
「…さあ、どうだったかな」
「あら、酷い。私はあの時の景色もしっかり覚えているのよ」

 本当は覚えている。忘れるはずがない。に言った言葉も、言われた言葉も全て覚えている。あの日、雪の降る日に一人、外で突っ立っていた彼女にマフラーを貸したのだ。気取った金持ちだと思っていた、と私の印象を語った彼女の唇を初めて奪ったのもあの日だ。唇の感覚も、温度も、何一つ忘れてはいない。は私が初めて自ら欲した人間だからだ。

「まあ良いわ。あなたが忘れても私が一生覚えてますから」
「それは光栄なことだ」
「馬鹿にしてる?」
「いや、可愛らしいと思っただけだよ」
「馬鹿にしてるんじゃない」

 唇を尖らせる愛らしい恋人を抱き寄せ、ご機嫌取りにキスをする。最初は額、頬、そして唇。こう見えて彼女は意外と簡単で、こうすればたちまち機嫌は直る。我ながら狡猾だとは思うが、それはスリザリン生の持つ性ということにしておこう。愛しいほどに単純過ぎるが悪い。
 いつの間にかうっとりとした目をする。暖炉の火だけが揺れる中、ゆっくりとをソファに横たえる。目を丸くして慌て出すが、煽るようなが悪い。もう何もかもが手遅れなのだから。






(2012/08/01 拍手ありがとうございました!)