授業も終わり、生徒の一人もいないこの地下の教室には私とスネイプ教授の二人。なぜまたこんなおかしな組み合わせができたのかと言うと、先日の罰則の際、落として割ったビーカーを拾おうとして指を怪我してしまい、罰則をきちんと受けられなかったからだ。前回のことを踏まえ、今度は怪我のしようがない罰則となった。しばらく使われていなかった狭い準備室にある四つの本棚の整頓だ。巻数も系統もばらばらに資料や教科書が突っ込まれた本棚はは無秩序も良い所。しかし私では到底手の届かない高さにまで本が入っているため、教授が取り出し、私が受け取る―――そんな作業の繰り返しをしている。既に結構な冊数の本を両腕で抱えている私など構いもせず、教授はどんどん本の山に更に本を重ねて行っていた。そんな私が悲鳴を上げる。

「ちょ、ちょっと待って下さい一旦置かせて下さい!」
「…いつ置くのだろうかと思っていたのだが」

 そうは言っても、口を挟む隙すら与えずどんどん積み重ねて行ったのはスネイプ教授の方だ。私の腕が痺れるなほどの重みになっていることにも気付いていたと言うのに、まさにそれこそが罰則ではないか。…書棚と反対側にある長机の上に、机と本で指を挟まないよう本をゆっくりと下ろしてから、分厚く重い本のめり込んだ腕を擦った。

「ここ、前任の先生が使われていたんですか?」
「恐らく」
「そうですよね…」

 まさか神経質なほど几帳面なスネイプ教授が、こんなにも書棚を荒らすはずがない。しかし教授も忙しい、これまで片付けるに片付けられなかったのだろう。全く、退職するなら全部綺麗にしてから退職しろという話だ。この部屋を見つけた時の教授の顔が浮かぶようだ。声も出さず静かに怒り震えたのではないだろうか。私だったら見なかったことにしてそのまま扉を閉め、二度と開けないだろう。

 マクゴナガル教授が厳格と言うのなら、スネイプ教授は冷徹だと言われている。自寮の生徒を過剰に可愛がる節があることも、生徒たちからは陰口を叩かれる要因となっているのだろう。けれど私は時々思う。この人はただそれだけではないのではないかと。心は表に出て来るものだ。魔法薬学という繊細な技術と確かな知識を要する分野を専門をしているこの教授は、その学問の通り、繊細な部分があるような気がしてならないのだ。ぼんやり、スネイプ教授を見てそんなことを思った。深い意味はない。

「スネイプ教授の…」
「何かね」

 はっとして口を押さえる。声に出すつもりはなかった言葉がぽつりと零れて、自分でも焦った。教授の手はすごいですね、と言おうとしてたのだ。脈絡のない会話に顔を顰めるスネイプ教授の顔が容易に想像できる。何でもないです、と笑って両腕を差し出すと、怪訝そうな顔をしてまた先程までと同じように淡々と私の腕に資料を乗せて行く。今度こそ適度な所で声を掛けて作業を止めてもらい、本を順に机へ並べた。一番上の段に入っていた全てを出し終える頃には、長机にはもう本の置き場所は半分しかなかった。全部出してしまってこれからどうしろと言うのだろう。教授の計画が見えず、次の指示を待つ。しかし、教授の口から出たのは、指示ではなかった。

「言いかけたことは最後まで言いたまえ」
「え、いや、大したことじゃありませんし…」
「人の名前を出しておいて大したも何もない。気持ちが悪いのだ」
「えー…と……」

 威圧感たっぷりに見下ろされると、言いかけた言葉は益々引っ込んでしまう。こんな狭い部屋だ、ぽつりとでも呟けば聞き取られてしまうに決まっていたのに、私はとんでもなく馬鹿だ。分かっていたことだけれど、馬鹿だ。なんとかこの教授の機嫌を損ねないような、当たり障りのない回答を必死に探す。教授の、スネイプ教授のですね、と数回もごもご言った後で、「部屋は綺麗そうです、この資料室と違って」と無理のない方向へ繋げた。これならさっきの会話の流れとしても不自然ではない。あはは、と乾いた笑いを漏らせば、「そのようなことを考えている暇があるなら要領よく机に本を並べたらどうかね」と大きな溜め息付きで言われてしまった。確かに言われた通り、私が長机に並べる時点である程度巻数や本のサイズを合わせておけば、こんなにもごちゃっとした机の上にはならなかったかも知れない。

「すみま、」
「Ms.、いちいち謝るのはやめたまえ。癪に障る」
「……はい」

 ばっさりと切り捨てられ、私の顔は半笑いを作ったまま固まった。自分ではナイーブだとは思っていないが、さすがにそうはっきりと言われてしまうと、いくら図太い問題児の私でも教授の言葉が多少はぐさりと突き刺さる。だが傷付いている暇などない。長机に店開きされた本を並びかえ始めた教授に倣い、私も巻数を順番に揃えて行く。

 少し厚めの本だと、私は片手で二冊が限界だけれど、教授の手には三、四冊は軽く納まってしまう。私よりもずっと大きい手、男性特有のごつごつした手。その手で以てほんの一ミリグラムの差も許されない繊細な薬学の世界を操るのだと思うと、ただただ凄いとしか言いようがない。教授の手にこそ何か魔法でも掛けられているのではないかと思うことすらある。同じ材料で、同じ物品で、同じ方法で調合しても、教授は当然素晴らしい薬を作り、私はと言えば机を溶かすような失敗作ばかり。同級生たちですら哀れむ私のこれはもう、経験云々というよりも素質の問題のような気がして来た。

「卑下することはない」
「え?」
「前にも我輩は言ったはずだ、Ms.、君に悪気がないことは分かっていると」
「はい…」
「…分かっていないだろう」
「え、えぇ…?いや、それより教授、なんでそんなこと」

 まるで心の中でも読まれたかのようだ。するとスネイプ教授は呆れながら「考えていることが顔に出過ぎですぞ」などと言う。それにしたってずばり当たっていていっそ恐ろしい。けれど同時に思ったのは、そんなことが分かるなんてやっぱりスネイプ教授は実は優しい人なのではないかということ。人のことを慮ることのできない人間が、いくら顔に出やすいとは言え当てて見せたり、ましてやフォローするような言葉をくれるはずがないのだ。

 大人になればなるほど、人間はたくさんのコートを着て行くのだと、何かの本で読んだことがある。世間体、体裁、本音と建前、それらをまるで鎧のようにがちがちに着込んで行った結果、周囲から誤解されるようになることもあるのだと。スネイプ教授はまさに典型的な誤解されるタイプなのではないか。いや、意図的にそう振る舞っているのだとしても、それだってコートの一枚である。教授の本当の姿はもっともっと奥にあると言うことだ。

「要らぬことを考えている暇があったら手を動かしたまえ」
「スネイプ教授」
「今度は何だね」
「私、教授の手って好きです」

 私の言葉に、話しながらも黙々と手を動かしていた教授が固まる。普段から険しい顔をしていると言うのに、更に眉間の皺を深くして教授は一言。

「君の考えは理解ができませんな、Ms.

 理解できなくて良いんです。私はにこりと笑いながら返すと、盛大な溜め息が隣から聞こえて来る。けれど、これだけ私の考えていることをほいほい当ててしまうスネイプ教授のことだ、私が嘘ではなく本心でそう思っていることはちゃんと分かってくれているのだろう。馬鹿にもしない、呆れもしない、そして出て来た私の考えが理解できないという言葉。そこには私の気持ちを最大に汲み取った教授の気持ちが見えた気がした。








(2012/1/10 スネイプ教授、誕生日おめでとうございます!…一日遅れですけどね)