私はよく泣く。小さい子どもが疳癪を起こしたみたいに声を上げて泣くことはないけれど、実はよく泣く。お互いが夜勤のある仕事をしていると、どうしても月に数回、一人で過ごす夜が訪れる。加えて、リーマスのあの体質から、私が一人で過ごさなければならない夜が必ずあるのだ。そう言う時に、私はよく泣く。寂しいだとか、そんな簡単な言葉で片付けられる問題ではない。何か自分でも上手く説明のできない、複雑な気持ちがただただ溢れて来るのだ。仕事のこととか、リーマスのこととか、これからのこと、とか。

 でも疲れて帰って来るリーマスに暗い顔でなんて会えない。リーマスと居る時くらい、明るい私で居たい。けれど、勘のいいリーマスはきっと気付いてる。私が一人で居る時、よく泣いていることに。だって、どうやったって腫れた目を隠すことはできないのだ。それでも精一杯笑って彼を迎える。それが私のできること。いつも、リーマスも気付かない振りをして「ただいま」って言って、私を抱き締めてくれる。…それなのに、今日は違った。

「無理しなくていい、
「無理?」
「また泣いていたんだろう」

 目が腫れてる。優しく私の目元を撫でながら、困ったように笑った。昨夜の疲れが残っているリーマスは、顔色が悪い。本当だったら今すぐにでも睡眠を取りたいだろうに、また私が困らせているみたいだ。

「大丈夫よ?」
「大丈夫じゃないって目が言っている」
「それはリーマスも一緒よ」
「話を逸らさないでくれ」

 少し強い口調で言われてしまい、私は口を噤む。…私だって、泣きたくて泣いている訳じゃない。けれどどうしようもない、どうすれば良いか分からないこの気持ちのやり場に困った挙げ句、涙になって出て来てしまうのだ。今はこうして、古くて汚くても部屋がある。食べるものもある。一応生活はできている。けれどこの生活をいつまで続けられるのだろう。私とリーマスは、ずっとずっとこの狭い部屋で二人、生きて行くのだろうか。お金もない癖に、夢を見てしまうのだ。例えばこの先、私とリーマスが結婚したら。結婚したとして、子どもができたら。そんな、まだ約束してすらいない未来を思い浮かべ、一人勝手に不安に襲われている。こんな馬鹿な話があるだろうか。いくらなんでも、こんな話を彼にできるはずがない。

「教えてくれ、君は何が不安なんだ」
「…………」

「…だって、笑うわ」
「笑わないよ」
「じゃあ呆れる」
「それもしない」

 子どものように口を尖らせ、俯く私の頬に触れる。そして言葉を促すかのように上を向かせると、リーマスはもう一度「」と私の名前を呼ぶ。ひくりと喉が震えるのが分かった。愛しいとでも言うように私の名を呼び、私に触れるリーマスには敵わないのだと、彼は十分知っている。だから、隠し事をしてもすぐに彼に明かされてしまうのだ。…言葉に迷う私を急かすでもなく、その顔に笑みを浮かべたまま、私が話し出すのをリーマスは待つ。何度か目線を彷徨わせた後、目の前にあるリーマスの服をきゅっと掴んで、私は慎重に言葉を選んだ。

「…これからのこと」
「これから?」
「今の生活に不満がある訳じゃないの。けれど、二年、三年、こうやってリーマスと生活できるなら、……うん、そう…」

 とても言葉にはできなくて、結局曖昧になる最後。せっかく上げた顔も、また目線は下へ下がるばかり。これでは結婚をせがんでいるようではないか。この生活を始めた当初はこれで良いと思っていた。こんな生活の形もありだと思っていた。けれどリーマスと過ごせば過ごすほど、私は欲張りになって行く。ただの同居人ではなくて、ただ同居している恋人ではなくて、もっとリーマスにとって特別な一人の女性になりたいと、いつからか思うようになってしまった。けれどそれは私だけかも知れないし、リーマスは望んでいないかも知れない――――そう思うと、同じ部屋で暮らしているのに、悲しいような、寂しいような、虚しいような、いろんな感情が綯い交ぜになって一人の夜に私を襲うようになったのだ。

 こんな私を、彼はどう思うのだろう。もう一緒には暮らせないと言われてしまったらどうしよう。私はどこへ行けばいいのだろう。今更、他に頼れる場所なんて何もないのに。…また視界がぼやけて、不鮮明になる。ぽたりぽたりと涙が落ちて、玄関に小さな小さな水たまりを作った。

「約束をしても良いのかい?」
「へ…」
「君の未来を僕と約束しても良いのかい?」

 言われた言葉の意味が分からず、思わず涙も止まる。…リーマスと、未来を約束。何度も何度もその言葉を頭の中で繰り返す。リーマスの口から伝えられることを願った言葉、ずっと欲しかった言葉。それを今、思わぬタイミングで告げられる。私がぎこちない動きで顔を上げると、いつになく真剣な表情をしたリーマスがいた。いつもは絶えず優しい表情で、時に意地悪く笑う彼だけれど、こんな顔を見たのは二度目――――一緒に暮らして欲しいと言われた時以来だ。

「返事がないのは肯定と捉えたい所だけど、生憎今回ばかりは返事が欲しいんだ」
「え…と、あの…」
、二年三年と言わず、もっとずっと先まで僕と一緒に居て欲しい」
「それは、つまり、」
「今すぐにとはいかないけれど、君の未来に僕との結婚の約束を入れておいて欲しい」

 何度も夢に見た言葉だったのに、返事の言葉が出て来ない。「嬉しい」とか「ありがとう」だけでなく、「うん」と、ただ一度頷くことすらできない。ぱくぱくと魚のように口を動かすばかりで、声が追いついて来ない。ふ、と苦笑いをして親指で私の唇をなぞる。言葉を促すかのように、そっとなぞる。そうしてようやく、声を取り戻したかのように「はい」と殆ど吐息だけで震える返事をした。けれどしっかりとリーマスの耳には届いたようで、満足げに微笑むと私を抱き締める。夜勤明けで帰って来たばかりの彼の一体どこにそんな力があるのだろうかと思うほど、強い力だった。

 嬉しいよりももっと大きく、幸せよりももっと温かい気持ちだ。リーマスと重ねて来た時間は長いけれど、こんなにも満たされた気持ちになったことは、きっと今日が一番だ。たった一つの言葉で、私の大きな不安を拭い去ってしまった。夜の真ん中へ突き落して行った私の暗い気持ちを取り払ってしまったのだ。…そっと涙を拭い、私を見て笑う。

「今日からもよろしく、
「こ、こちらこそ、よろしく、リーマス」

 もう一人で泣かせたりしないから、と言ってくれたリーマスに、私はまた泣いてしまった。
















(2011/12/21 #明日の傘/V6)