雨降る部屋で




 恋の終わりを予感することは何度もあった。始まってもいないのに終わりの予感だなんて変な話だ。けれど確かに、私は終わりを感じていた。それは漠然とした、けれど確固たる自信だ。ざわめく胸の内を悟られないように笑いながら接しても、彼はいつだって困った顔をして私を見る。それが何よりも疚しいことを隠している証拠だった。

 どうして今になってそんなことを思うのか、不思議でならない。だって彼とは卒業を目の前に仲違いをしてしまったのだから。なぜだろうか、彼にとても魅力を感じていた時は彼の全てが魅力的だった。恋のそれとは違うのかも知れない、憧れとか、芸能人を追い掛けるような気持ちに似ている。だから彼に近付くのはあまりにも簡単だった。さすがにあんな良い身分の人に近付くなんて、疚しい気持ちがなくとも最初は緊張したけれど。何か、彼の前でヘマをしてはいけないというような恋する乙女であったことは、一瞬だってなかったのだ。

 それでも思えば、あの頃の私は輝いていたのかも知れない。今の私からすれば、あの頃の私は眩しいほどにキラキラと輝いていたのだ。計算を覚えた今では無茶や見切り発車なんてできない。敏感さと引き換えに失ったものは案外大きい。あの頃は自分の気持ちにすら鈍感で、だからこそ何でもできたのだろう。一長一短だ。それでも、あの頃の猪突猛進な私が一グラムでも残っていてくれれば、私は今、こんなにも後悔をする事はなかったのかも知れない。



(なんだ、終わってたんだ…)



 もうずっと前から、終わっていたんだ。終わりは見えていたんじゃない、始まることすら許されなかった。それなのに、私の心だけ縛りつけて離さない、どうして彼はこんなにも狡猾なのだろうか。狡い、卑怯だ、どれだけ罵倒の言葉を並べても、「それは貴女の方でしょう」と鼻で笑う声は聞こえて来ない。

 たった一通の手紙を私に残し、彼の可愛がっていた屋敷しもべ妖精は姿を消した。クリーチャーと言っただろうか、屋敷しもべ妖精が現れた時点で何か嫌な予感はしていたのだ。静かに押し寄せて来る波は、手紙を読み終えて私の全てを呑み込んだ。絶望のどん底へと落ちて行く感覚に目眩がし、思わずその場に座り込んでしまった。

 吐き気がする。目の前の現実を現実と受け入れられず、それでも受け入れなければならない事実。二枚に渡り書かれていた手紙は相変わらず丁寧な字で埋められていて、なぜ彼はそんなにも冷静な気持ちで最後の手紙をしたためることができたのだろうかと思う。彼の気持ちなど私に推し量れるはずがなく、私はただ、ようやく零れ出した涙に嗚咽を漏らすだけ。たった一人で生活する部屋にはこの涙を拭ってくれる人間などおらず、どこかの甘い恋愛小説のように彼が目の前に現れることはそれ以上に有り得ない。現実というのは、いつだって絶望ばかりを私に与えるのだ。



(いつかまた笑い合えるって、思ってたのに)



 もう二度と訪れることのない未来を、過ぎ去った過去を瞼裏に描きながら、目の前に彼の幻影が見えた気がして手を伸ばす。あの時だって空を切る冷たい指先が彼の腕をしっかりと掴んでいたなら、或いは彼と共に闇に落ちることも叶ったのだろうか。たった一人きりの私なら、どうなってしまおうと彼と一緒であれば何だって良かったのに。なぜ、居なくなってからこんな思いに蝕まれなければならないのだろうか。

 「連れて行ってよ」という掠れた声は、冷えた部屋の中に吸い込まれて消えた。










(2010/11/14)