街の外れのカフェで私は休日を過ごしていた。紅茶に砂糖を少し、ミルクをたっぷり入れてからカップに口をつける。日刊預言者新聞の隅にあるコラム記事が最近のお気に入りだ。それを目で追いながらも明日の仕事のことを考える。明日は部署に定期調査が入る日だ。朝から職員はみなピリピリしていることだろう。そしてその日ばかりは全員が定時に仕事を終え、打ち上げという名の食事会へ行くことが定番となっていた。

 毎回厳しい指摘を受けずにパスする定期調査だが、だからといって今回もそうだとは限らない。油断禁物だ。…そんな緊張の一日を乗り切るためにも、私はここへ来ていた。カフェの一番奥、窓に面した二人席の片方を占領する。けれど今日は違った。こんこん、と左にある窓を叩かれる。何かと思えばそこにはかつての同級生、リーマスがいた。彼は「そっちに行ってもいいか」と口だけで聞いて来たのだが、動揺した私は紅茶を噎せながら必死で何度も首を縦に振る。


「びっくりしたよ、にこんな所で会うなんて」
「それはこっちの台詞でしょう!」
「懐かしいなあ、顔を見たらつい声を掛けずにはいられなくてね」
「全く…卒業してから一度も連絡はないし、シリウスたちに聞いてもはぐらかされるし、心配してたんだから!」


 呆れ半分、怒り半分でまくし立てると、彼は困ったような笑みを浮かべながら「大丈夫、元気だよ」と言った。とてもじゃないが彼の言葉には説得力がない。表情こそ明るいものの顔は疲れているし、学生時代よりも痩せた――いや、やつれた気がする。どこからどう見ても不健康そのものだった。食生活だけじゃないな、と思いながら紅茶を一口。リーマスも同じくカップに口をつけた。その所作を見つめ、けれど目が合ってふいっと逸らす。窓の外は人々が忙しなく行き交っていた。

 密かに私はこの再会を心から喜んでいた。ただの同級生であればここまで私の気分も上向きになることはないのだ。リーマスは特別、大切な友人だったからこそ、私の気持ちは嬉しさでいっぱいになっているのだ。だからこそ彼も声をかけてくれたのだと信じたい。


「元気でやってるの?」
「そこそこね」
「説得力ないけれど」
「…だろうね」


 何の仕事をやってるの、どこに住んでいるの、など具体的なことは聞けなかった。卒業間際でさえ、互いに就職についての話をしないのは暗黙の了解のようなものだったのだ。特別な友人だったにしても、立ち入ることのできない領域ではあった。気になるからこそ聞けない。それがシリウスたちとはまた違った形の友人関係を育んでいた私たち在り方だった。今もまたそう。他愛のない世間話ばかりで核心には触れられずにいる。


はずっとロンドンに?」
「ええ。まあそれなりに仕事しながらね」
「僕も暫くはここに居るんだ」
「本当?なんだ、じゃあ休みが合えば会えるじゃない」


 そうだね、と言ってリーマスは目を伏せる。昔から彼は物腰の柔らかい人物だったが、その落ち着き具合には更に磨きがかかったようだ。ふふ、と笑って小首を傾げれば、なぜかリーマスは僅かに目を見開き、そして先程の私のようにふいっと視線を逸らす。…そんなにも見るに堪えない顔をしただろうか。少しショックを受けながらまた紅茶を口に含む。いや、そうではない。彼は“休みが合えば会える”という言葉に対し、その期待に添えないという返事の代わりに目を逸らしたのだ。

 それならそれで構わないのに、そう言えばリーマス・ルーピンという人物は誘いを断るのが苦手だったと思い出す。少なくとも私の記憶の中では。学生時代も何かを頼んだり誘ったりして断られたためしがない。「それちょっとおかしいわよ」と友人に言われ、あれは私がリーマスに無理をさせていたのだと気付き、反省したのは六年生になってからだった気がする。


、君は、」
「い…良いのよ!リーマスだって忙しいでしょうし、ごめんなさい、そっちの都合も考えないで」
「違う、違うんだ。聞いてくれ


 焦って自分の発言を取り消そうとすれば、リーマスは珍しく語気を強めて口を挟む。そんな彼を見たのは初めてで、私は驚いて口も半開きのまま数度首を縦に振った。けれどリーマスは依然真剣な顔をしてじっと私を見る。聞いてくれ、と言ったもののその言葉の続きは焦らすかのようになかなか出て来ない。やがて、彼も意を決したように随分と溜めこんだ後、静かに告げる。


「君に会えるんじゃないかと思って僕はここに来たんだ」
「へ……」


 思いもよらない言葉に間抜けな声が出た。一瞬、彼の言葉が理解できず固まる。いや、意味は分かる。けれどそれは何を意図しているのか汲み取れず、「あ、ああ、うん、そっか…」と生返事のような返事しかできない。いや、まさか、そんなはずがない――乾いた笑いを漏らしながら、砂糖やミルクを追加した訳でもないのに、お行儀悪く紅茶をぐるぐるとスプーンで掻き混ぜる。その間もリーマスは私から視線を逸らさずに見つめて来る。私の返事を待っているのだろうか、どんな返事を期待しているのだろうか、私の自意識過剰ではないか、勘違いではないか、深い意味など何もないのではないか。色んな思いが頭を駆け巡り、正しく思考が機能しない。

 午後のティータイム時、お店は人でいっぱいで周囲の話し声や笑い声は絶えない。けれどそれらは右から入れば左へ抜けて行く。それなのに、リーマスの声だけはいつまでも耳に、頭に残る。余りにも不自然なスプーンを掻き混ぜる手をようやく止め、カップの中身を見つめていた視線を彼へと戻す。疲れているような顔をしていたのに、目だけは澄んで真っ直ぐに私を見ている。それだけは学生時代から変わりがない。…私は小さく息を吸い込むと、殆ど息を吐き出すように返事をする。


「…嬉しい」


 ちゃんと聞こえたようで、リーマスはほっとしたように微笑む。震える手でカップを持ち、流し込んだ紅茶はまるで味がしなかった。










(2011/10/18)