ずっと赤い色が頭の中を占める。目を閉じても、開けても。眠いはずなのに、体は疲れているはずなのに、一向に襲って来ない睡魔。どうしよう、明日からどんな顔をして総司君に会おう。最初に何を言えばいいのだろう。

(嫌われちゃったかな……)

 言うこと聞かずに部屋の外に出てしまったから、もう嫌われてしまったかも知れない。総司君の前では良い子でいようとした。それなのに、たった一度の誤りからこんなことになるなんて考えもしなかった。嫌われたくない、怖くないと、何度も何度も反芻する。ぎゅっと目を瞑って布団の中で丸まれば、私はいつの間にか眠ってしまっていた。

 そして、朝が来る。目が覚めて意外と熟睡感があった私は、かなり呑気な性格をしているのかも知れない。それを思えば、総司君とはまたちゃんとやって行けるのではないかと、出処の不明な自信が浮かんで来たのだった。




***




「おはようございます!」
「お、おはよー……」
「元気、だな……?」
「私はいつも元気ですよ!ほら、朝ごはんの用意しましょう、皆さん起きて来てしまいます!」

 私の後に厨にやって来た藤堂さんも原田さん。二人は、私の様子が思っていたのとは違ったらしく、ぽかんとした表情でこちらを見て来た。動こうとしない二人の背中を押してまな板と向かわせて、洗ったばかりの野菜を切るように指示を出す。私は鍋と向き合って味見をしつつ、何やらこそこそと話をしている二人を横目でちらりと見た。大方、私のことでも話しているのだろう。

「あ、大事な話があるので、今日の朝ごはんは私も一緒に食べさせてもらいますね」
「大事な話?いや、まあそれはいいんだけどよ…」
「何か文句でもあります?」

 いやいやいやまさか。焦った様子で原田さんは否定する。…昨夜のようなことがあった以上、土方さんも黙ってはいないと思う。突然のことに動けなくなってしまった私のことを聞けば、土方さんなら「田舎に帰れ」と言う。けれど「はいそうですか」と素直に帰る私ではなく、また、あれくらいのことでへこたれる私でもない。ここへ来る道中も、何度も帰りたい、もうやめたいと思うことはあった。それでも厳しい移動だって慣れてしまえばこっちのもの。同じようにここで起こる様々なことにも慣れるしかない。

 そう結論付けた私は、ここにいる理由をより強固にするためにも、目的を話すことにした。至って簡素で拍子抜けなものかも知れない。総司君のお嫁さんになりに来た、なんて、「それだけか」と言われるかも知れない。だけどそれこそが総司君を追い掛けてここまで来た最大にして唯一の目的。そのことに嘘偽りはない。

 そうこうしている間に朝ごはんを作り終わり、配膳も終わった。大広間で待機していると、やって来た土方さんも私がいつも通りなのを見て一瞬驚いた顔をする。けれどそれだけで何も言わず、その後も顔を合わせようとはしない。そうして全員が揃うのを待っていたのだけれど、一人だけいつまで経っても現れない。

「総司のやつ、遅いなあ。部屋見て来るか?」
「私が行きます」
「いや、でもは……」
「私が、行きます」

 立ち上がりかけていた藤堂さんを抑え、にこりと極力笑みを作りながら立ち上がる。藤堂さんは顔を引き攣らせて何か言いたげにしていたけれど、結局「ど、どうぞ…」とだけ言うと大人しく座り直してくれた。

 総司君と二人で話す機会があるのならそれがいい。幹部の皆さんにもちゃんと伝えないと、とは思っていたけれど、それでもやっぱり一番に総司君に伝えたい。私は総司君に会うためにやって来たんだって、だから田舎には帰らないって、昨日は少しびっくりしてしまっただけで、もう何ともないんだって。私が傷付けてしまった分、私で何とかしないと。

 部屋にいると思われた総司君は、部屋の中にはいなかった。部屋の前で座り込んで、何やら遠くをぼうっと見つめている。私はそんな総司君にゆっくり近付いて、「おはよう」と声をかけた。

「皆、待ってるよ?朝ごはんも冷めちゃう」

 隣に腰を下ろして、できる限りいつも通りに話す。けれどいつもとは違って沈んだ様子の総司君は、「そうだね」と言ったきり、立ち上がろうとしない。私の方も、一瞬見ただけでまた視線を元に戻してしまった。

 昨日のことが尾を引いているのは、火を見るよりも明らかだ。ぼんやりと遠くを見つめているように見える目も、本当は何も見ていないのかも知れない。ずっと固定されてはいるけれど、どこにも焦点が合ってないような気がする。昨夜、あんな反応をしてしまった自分を酷く責めた。何であの時、足が動かなかったのだろう。なんであの時、言葉が一つも出て来なかったのだろう。でも、後悔しても仕方がない。後ろ向きなんて私らしくない。身を乗り出して総司君の腕を掴むと、今日何度目だろう、目を丸くして総司君は私を見た。

「総司君のお嫁さんにして欲しいの。そのために私、多摩から出て来たんだよ?料理も洗濯も裁縫もちゃんとできるようになったら、私をお嫁さんにしてくれるって言ってくれた、それを信じて追い掛けて来たの」

 必死になると、つい早口になる。それは昔から変わらない私の癖。それを見抜いたのも総司君だったっけ。それも覚えていてくれるなら、私が本気なんだってことも分かってもらえるはずだ。けれど総司君は口を閉ざしたまま何も言ってくれない。私は、小さく息を吸い込むと、もう一度繰り返した。

「私を、総司君のお嫁さんにして下さい」

 言った次の瞬間、無言のまま総司君は私を強く抱き寄せる。抱き締められている、腕の中に居る、そう自覚したのは少し後で、それに気付いて私は急に顔が熱くなるのを感じた。私の言ったことの方がきっと恥ずかしいはずなのに、こんな風に抱き締められたことなんてなかったからか、尋常じゃないほど鼓動が速くなる。痛いほど強い力なのは、私の言葉に対して肯定を意味しているのだろうか。抱き締めたまま髪を撫でる手は優しい、けれど顔が見えないため肯定か否定か、まだ確信が持てない。

「まさか、君に先に言われちゃうなんてね」
「え…っと……」
「僕のお嫁さんになって下さいって、僕から言うつもりだったのに。君の姿を見ていたら怖くなったんだ」
「怖く…?総司君が?」

 僕にだって怖いものくらいあるよ。私をゆっくりと体から引き離すと、困ったように笑いながら言った。でもまだその手は私の両肩を掴んで離さない。小さく首を傾げると、右手が離れて頬を撫でた。…ほら、やっぱり怖くない。昨夜は任務直後で総司君だってぴりぴりしていたんだ。今はまた、いつもと同じ。優しい目をして笑ってくれる。私も少し照れながら笑って返す。

「君にもまた、怖い思いをたくさんさせるかも知れない。けれどその度に僕が守るから、僕の一番近くにいて欲しいんだ」
「そ……」
「好きだよ」

 総司君の手が、肩、腕をなぞって私の左手に辿り着く。重なった手はとても温かい。夢でも幻でもない総司くんからの言葉に、嬉しいはずなのに涙が溢れ出た。泣いてちゃ分からないよ、と苦笑されたけれど、私もなんで泣いてしまったのか分からない。嬉しい、嬉しくて仕方がない。ずっとその言葉を聞きたかった。総司君から、ここに居て良いのだという言葉が欲しかった。

、返事を聞かせてくれるかな」
「っおね、がい、します…っ」
「良い子」

 何かが決壊したかのように、涙が止まってくれない。総司君は笑いながら、止め処なく流れるそれを何度も何度も優しく拭ってくれる。

 ずっとずっと願っていた。ここに来ることを、総司君の傍に居ることを。ただ傍に居るのではなく、総司君にとって特別な子として。追い掛けて来て良かった、家を飛び出してきて良かった、無茶だと言われようと振り切ってやって来て良かった。一人故郷に取り残されて寂しい思いをした分、今、こんなにも幸せに思う。たかが約束、されど約束。他の誰かにとって、私と総司君の交わした約束なんてちっぽけなものなのかも知れない。けれどほら、あの時の約束は幸せになるための道標だったのだと思える。

 それをどうやって伝えよう。どうやって表現しよう。言葉にはとてもできそうにないから、私はさっき総司君がしてくれたみたいに、力いっぱい抱きついた。











「遅ぇぞ総司、!いつまで待ったと思ってんだ!」
「すみません土方さん、ちょっと総司君と話し込んじゃって…」
「気にしなくて良いよ、。あっそうそう、僕たち報告があるんです」
「てめぇはちったぁ気にしろ。それで、報告だと?」
が僕のお嫁さんになります」

 今日一番の驚きの声が、屯所中に響き渡った。












(2011/4/24)