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「斎藤、ちょっと来い」


 その日は、古典の授業の後で担任の土方先生に呼ばれた。何か険しい顔で呼び出されたものの、心当たりのない俺はただ緊張する。職員室の隅にある小さな指導室に入ると、土方先生は大きく溜め息をついて椅子に座った。


「お前に限ってそんな間違いはねぇと思うんだが…」
「はい?」
「教育実習生と何かないか?」
「何か…と言われましても」
「…だよなぁ」


 現在、数人この学校に教育実習に大学生が来ているが、言い争いをしたどころか、深く関わった覚えもない。例外としてとある一人が思い浮かんだものの、彼女に不快な思いをさせた訳でもない。先日の出来事を言うのであれば、むしろあれは慰めのつもりだったのだ。それに確かにあの時、彼女は「ありがとう」と言ったのだから。


「何か噂でもたっているんですか」
「まあ噂にオヒレはつきモンだからな。気にすることはねぇよ。心配させて悪かったな」
「いえ」


 泣かした、だろうか。いや、きっとそれならまだ可愛いものだ。土方先生のこの悩みよう、もっと違うものに違いない。もしかして、という一つの仮定が一瞬で頭を巡る。


「お前の担任も二年目だ。自分のクラスの生徒のことは、他の教員より分かってるつもりだよ」
「ありがとうございます」


 確かに、少し見かけただけの誰かよりも、ずっと担任をしてもらっている土方先生の言うことの方が信用はできる。しかし噂が立っている以上、周りを納得させるためにはやむを得ない部分があるのだろう。だから、さして俺は気にしていない。気になるのは彼女の方だ。これで大学に何か連絡が行き、彼女の成績に響いたら、などと思うとぞっとしない。

 確かに教育実習生である彼女に惹かれていることは事実だ。けれどもしもの間違いなど起こるはずがない。生徒と教育実習生という線引き、そして生徒である自分の立場なら分かっている。そんな俺がまさか何かを踏み外す訳がないのだから。

 それに何より彼女は今目の前にいる人物こそを慕っている。彼女の口ぶりからするにずっと、それこそもう年単位、数年越しに違いない。そこへ自分が入り込むだとか、振り向かせるだとか、そんなことができるとは思っていない。勝負にすらならないのだ。


「ところで土方先生、話は変わるのですが」
「なんだ?」
「進路のことで少し」
「進路?それなら何も心配はしてねぇが、」
「いえ、進路変更を考えています」
「進路変更か。言ってみろ」


 けれど、せめて同じ舞台に上がるくらいは許されるだろうか。


「国語科の教師を目指したいです」








 

(2010/07/06 いやでも現実的にそれはない笑)