先生お嬢さん




 一君の元へ原稿をとりに行ったあの日、慌ただしく庭から侵入して来た彼女は、だった。この辺りで家と言えば知らないものは居ないほど有名な家だ。その家の末っ子だという嬢は、年齢にそぐわぬお転婆っぷリで一君を困らせていたらしい。まず、何度言っても庭から侵入して来る、そして次にお茶を要求する、それから気の済むまでここで一君にちょっかいを出したり静かに本を読み、ふらりと帰って行くのだと言う。女学校に通っているというだけで名家のお嬢様だということは分かるのだが、更に家ともなればあの門前を通るだけで緊張するくらいだ。それなのに、このお嬢様は間違いなく、世間が考えるお嬢様の像を大きく壊している。

 一君の原稿を受け取ると、僕は嬢を誘って街に出て来た。彼女がこのような人物であることは近くの住民たちは十分知っているようで、ただ歩いているだけなのに子どもからお年寄りまで、色々な人間に声を掛けられる。

さん、」
です。下の名前で好きに呼んで下さい」
「じゃあ、君はどうやって一君と知り合ったのかな」
「斎藤先生ですか?」

 見かけた猫を構いながら、は僕を振り返る。「みゃーっ!良い子だねー!」などと明るく笑いながら猫に話し掛ける。しかし猫を撫でる力が強いらしく、猫はどうも迷惑そうだ。それでも逃げて行かない所を見ると、猫ものことを気に入って入るのだろう。楽しそうな一人と一匹を見ていて、益々と一君の始まりが気になった。あの、女なんか興味がないというようなある意味不健全な彼が、どうして彼女が付き纏って来るのを疎く思わないのかということも。

「ふふ、詳しくはお教えできません」
「へぇ」
「でも出会うべくして出会った、と言っておきましょう」
「君もなかなか詩人だね。ていうかそれ、思いっきり一君の小説に出て来る台詞じゃない」
「でも出会いなんてそのようなものだと思います」

 ね、と言いながら抱えた猫の前足を挙げて見せる。けれどどうしても目の前の彼女が一君と良好な友人関係(というのかどうかは分からないけれど)を気付いていることが不思議で仕方がない。元来彼は人見知りな部分があり、口数も少ない。まだ若いと言うのに静かに過ごすのが好きな男だ。だから、もしこれからお嫁さんを貰うにしても、彼と連れ添えるのは大人しい、しとやかな女性の方が想像しやすい。それがまさか、恋仲でないにしろ今彼に一番近い女性がのような少女だとは俄かに信じがたい話である。一君とがどんな話をするのか、どうやって過ごしているのか、想像するのは難しかった。

「私と斎藤先生に交流があることを信じられないみたいですね」
「まあね。不思議ではあるよ、君みたいな快活な子が家に籠りっきりの一君と仲良しだなんて」
「あら、それでは私が学問にまるで興味がないとでも言いたいようだわ」
「遠回しにそう言うことになるかな」
「でも沖田さんのそう言うところ、嫌いじゃないです。気を遣わず聞きたいことが聞けるなんて誰にでもできることではないもの」

 それを言うなら本人も同じだろう。一君とのやり取りを見ていても思ったが、彼女も基本的に遠慮がない。僕と彼女の共通点は、末っ子であることだろう。自分でも甘やかされた自覚はある。彼女もまた、家の末っ子、しかも一人娘ということで大層可愛がられているのだろう。彼女の自由奔放さがそれを如実に表していた。

 やがて猫を手離した彼女は、立ち上がって僕の隣に並ぶ。けれど、そう、一君もまた世辞や嘘を嫌うから、のように何でも遠慮なく言って来る相手の方が合うと言えば合うのかも知れない。だからこそ、何度注意しても庭から侵入して来る彼女を追い払ったりはしないのだろう。僕もまた、とこうして話していることは楽しいし、嫌な気はしない。何となく一君がと居ることに納得できた。

、一君のことよろしくね」
「任せて下さい、これからも度々お邪魔する気ではいます」

 僕の言ってることを本当に理解しているのか否か、のはにこりと笑って返事をする。自由奔放なようで末っ子だってちゃんと色々なことを考えてはいるのだ。だって年不相応な振る舞いをしているのは、果たして本当に彼女がそういう人間なのか、わざとそのような振りをしているのか、それすら謎なのだ。ただ、どう考えても一君の書いたあの話の猫はのことなのだろうと思った。








(2011/10/24)