朝起きたら、急に俺の周囲は変わっていた。いなかったはずの人間が確かにここにいて、馴染んでいる。それはとても不可思議で違和感だらけのものだ。けれどそれを感じているのは俺だけらしく、屯所の誰もがそれに疑念を抱いていなかった。だがそれに納得の行かない俺は、誰もいない時を見計らって、突然現れた少女を問い詰めた。

「どういうことだ、説明しろ」
「そのまんまですよ?恩返しに来たのです」
「俺はあんたみたいな女を助けた覚えはない」
「ええ、そうでしょうね」

 問い詰めても、くすくすとおかしそうに笑うだけ。癪に触ったのと、これ以上聞いても無駄だと言うことが判明し、詰め寄った彼女から離れる。しかし俺の苛立ちなど知らないとでも言うように、背後で未だ笑う。無言で足を進めるが、それに黙ってついて来る彼女。俺が止まると彼女も止まり、また歩き出すとついて来る。端から見れば滑稽な光景を、彼女はどうも楽しんでいるらしい。

「…何のつもりだ」
「斎藤先生観察です」
「何故」
「なにゆえだろう?」
「ふざけるな」

 目を丸くして小首を傾げる。声を低くして強く言い返そうと懲りない様子で彼女はにこりと笑った。そして一歩踏み出すと、俺の左手を掬ってぎゅっと握った。

「何日か前に籠で蓋をされていた蝶を覚えてますか?」
「蝶……?確か近所の子どもが面白がって捕まえていた…」
「そう、あの時の蝶が私です。お陰で生き延びることができて助かりました」
「……信じると思うか」
「思います。斎藤先生なら信じてくれる。私はそう信じてます。なにゆえ、とか聞いちゃ駄目ですよ」

 するりと手を離すと、袖を翻しながら彼女は背を向ける。

 確かに彼女はここにいなかった人間だ。彼女自身もそれを認めた。だが、そんな奇妙な話を信じられるだろうか。彼女が嘘をついているようには見えないが、蝶が人間になったなどという話は聞いたことがない。…とはいえ、ここでは人間が人間でないものへと変貌を遂げているのだから、その逆もまた然り、と言った所なのだろうか。

「あ、それと私の名前はです。覚えて下さいね、斎藤先生!」

 軽やかに駆けて行く後ろ姿を、未だ茫然としたまま見つめる。こんなことがあってたまるか、とは言わない。だが、この状況をすんなりと受け入れられるはずがない。それでも無理矢理にでも理解しなければ俺がおかしな目で見られるのだろう。

 どこか覚束ない足取りのが少し心配になりながら、現実と思考の間で揺れた。





(2011/1/23)