買い出しに行こうとしていたあたしを呼び止めたのは、驚いたことに斎藤さんだった。いつもは平助くんや原田さん、永倉さんが付き合ってくれるのだけれど、今日は生憎三人とも忙しいみたいで捕まらず、一人で屯所の門を出ようとしていた。仕方ない、ここの所は事件続きで忙しかったのだ。毎日家事をしているのだから、多少の重いものくらいあたしだって持てる。まだ時間はあるし、一度では無理でも往復すればいいだけのこと。そう思っていたのだが、それを制したのが斎藤さん。

「不便があるなら言え、と前にも言ったはずだが」
「ですが、そこまで人の手を借りずともできると思いましたので…」
「京の治安が良くないのはもよく知っているだろう。何故、一人で出歩こうとする」

 それを言ったら斎藤さん、街行く人のほとんどは一人で出歩いてますよ。…ああ、でもあたしが新選組の屯所で働いている、なんて知れたら何か厄介事に巻き込まれる可能性があるのだろうか。そう言う意味なら、確かにあたしの行動は軽率だったと思う。反省していると、斎藤さんはあたしの背中を軽く押してから、あたしより先に門を出る。どういうことかと疑問に思っていると、「行かないのか」と振り返る。もしかして、斎藤さんが買い出しに付き合ってくれるのだろうか。

「い、行きます!」
「ならば行くぞ。早くしないと仕事が閊えるだろう」
「はいっ」

 まさかの申し出だった。新選組に必要なものの買い出しとはいえ、まさか斎藤さんと街を歩く日が来るなんて。あたしは隊士じゃないから巡察なんて行かないし、斎藤さんは非番でもお仕事をされている方。だからこうして二人で外へ出るなんて、まるで夢のようなのだ。寡黙な方だから会話はないけれど、すごく満たされた気持ちになる。身分違いも甚だしいけれど思うだけで幸せ、顔が見られただけで幸せ、今のあたしはそれで十分なのだ。

 頼まれたものを買い揃えていると、結果、一人ではなかなか持ち切れない量だった。そう言えば今日に限っていつもより頼まれたものが多かった気がする。そう言う意味でも、斎藤さんに来て頂いて良かったのかも知れない。あれを頼まれています、これを買わないといけません、それが不足していました、と、必要事項だけあたしばかりが話していたけれど、こんなにも長い時間斎藤さんといられる機会なんて他にない。そう思うだけであたしの頬は自然と緩む。

「…楽しそうだな」

 ぽつりと斎藤さんが呟く。頬が緩むどころか、斎藤さんにも分かるくらいあたしは満面の笑みだったようだ。出て来る前に注意を受けたばかりだと言うのに、緊張感が足りなかっただろうか。

「そうですか?」
「ああ。あんたが元気だと、皆も士気が上がるらしい」
「相変わらず、お世辞がお上手ですね」

 褒め殺し、という言葉があるが、まさにその通りだと思う。他の誰に言われるよりも、斎藤さんに言われると何倍も嬉しい。だから元気が出るのだ。決して楽な仕事じゃないけれど、斎藤さんはあたしを見かける度に労いの言葉を掛けてくれる。あたしなんかより組長である斎藤さんの方がずっと大変だろうに、よく周りを見ていると言うか、気がつくと言うか、気配りができるというか。あたしももっと、細かい所まで気がつけるようにならないと、と思う。斎藤さんは、いろんな意味であたしの憧れの人であることに違いはなかった。

「俺が世辞を言うとでも思っているのか」
「…え?」

 屯所までもう後少しと言う所まで来て、斎藤さんはふと足を止めた。そしてあたしを振り返ると、いつも以上に真剣な目で見つめられた。思わず、呼吸を忘れる。あたしの足はその場に縫いつけられたかのように動かず、声は忘れてしまったかのように出て来ない。斎藤さんからもまた、続く言葉は出て来ない。何を言わんとしているのかあたしでは汲み取ることができず、ただ首を傾げた。

 すると、斎藤さんはあたしの右手を掴むと、早足で屯所に向かう。そして買って来たものを腕に抱えたまま連れて来られたのは、正にあたしの腕を掴んでいる人の自室、斎藤さんの部屋だ。お茶を頼まれて運んだことは何度かあるが、入り慣れていない彼の部屋。何が何だか分からなくて、あたしはひたすら目を白黒させていた。

「あの、斎藤さん…?」
「話の続きだ」
「え、ええ」
「俺は思ってもいないことを言えるほど器用な男ではない」
「はあ…」
「…分かっているのか」
「え、と…」

 分かっている、とは言いにくい。いまいち彼の言うことは要領を得ないのだ。思ってもいないことは言えない、つまり、お世辞は上手くないということ?ということは、あたしが「お世辞がお上手ですね」と言ったことを否定しているのだろうか。だから、斎藤さんの言いたいことって結局は、お世辞ではなく本心であたしを褒めてくれている、ということでいいの?

 えー、あのー、つまり、と口籠るあたしの両手を、突如ぎゅっと握り締める。え、これは一体どういうこと?握られた手と斎藤さんの顔を交互に見るけれど、その顔は至極真剣。何かの冗談ではないみたい。ずいっと詰め寄られて至近距離にある斎藤さんの顔、これでもかというほど強く握られた手、真剣な眼差し、それらを意識すると途端に顔が熱くなる。熱でも出たかのように、体温自体がぐっと上がった気がした。

「俺がこんなにも気にかける女はあんただけだ、
「な……っ!」
「本当に気付いていなかったのか」
「き、気付く訳ないですよ…!斎藤さんは、その、いつもすごく、優しくて…」
「あんただからだ」

 これは夢?さっきから斎藤さん、嘘みたいなことばかりあたしに言ってくれる。そうだ、都合のいい夢を見ているんだ。でもなんて鮮明な夢なんだろう。どきどきするし、熱いし、確かに触れられている感覚もある。これが夢なら、一生目覚めなくていい。斎藤さんがこんなに優しくて、こんなに近くにいて、あたしの手を握ってくれている。この手、一生離れなくてもいい。

、俺はあんたに惚れている」
「さ、さいとうさん…っ!」

 何を平然とそんなことを、恥ずかしげもなく、あたしに。あたしはもう目眩で倒れそうだ。心臓は喧しいし呼吸も上手く出来ない、呂律も回らない、言葉も出て来ない。あたしも、というたった一言でさえ口から出てくることもない。ぱくぱくと魚のように口を動かしていると、斎藤さんはあたしの身長にまで見を屈める。何を、と言おうとしても、動揺しすぎてどうすればいいかも分からない。

 ゆっくり、ゆっくりと斎藤さんの顔が近付く。どうしよう、あと一秒で唇が重なりそうだ。















(2010/8/29)