その日あたしが望んだものは多分、とてつもなく大きかったのだと思う。 一つを手に入れるともう一つ、もう一つと欲しいものは増えて行く。そんなことを考えてしまっていたからだろうか、ぼうっとしていたあたしは廊下の角でどん、と誰かとぶつかった。それだけなら良かったのだけれど、前へつんのめって相手を押し倒してしまう形になったのだ。 「ご、ごめんなさ…っ」 決して軽いとは言えないあたし。ぶつかった相手の上から慌てて退こうとしたその時、、相手が誰だったのかを初めて知る。…斎藤さん。ずっとずっと会いたかった人だ。長期の任務で屯所を空けて、どこに行ったかなんて土方さんくらいしか知らなくて、だから寂しくて寂しくて、死んじゃうかと思った。 「何を変な顔をしている」 「だ、て…っ」 目の前にいる。ちゃんと触れられる。この声も本物だ。 「」と困ったような顔をしてあたしに退くよう促す斎藤さん。けれどあたしは素直にその要求を聞かず、彼の首に腕を伸ばして抱きついた。 どれだけあたしが寂しかったと思っているんですか。ああ。毎日毎日、斎藤さんのことばかり考えていたんですよ。ああ。会いたくて会いたくてどうにかなっちゃうかと思いました。…ああ。 淡白で簡潔な相槌しか返してくれない斎藤さん。それはあたしが上に乗っかって肺を圧迫しているからなのかも知れないけれど、やっと会えた人をそう簡単に離してやるつもりなんてあたしにはない。 「斎藤さん」 「なんだ」 「斎藤さん」 「だからなんだと、」 「斎藤さん、寂しかったですか?」 半身を起こして斎藤さんを見下ろす。結っていないあたしの髪が、さらっと流れて彼の顔に影を作った。あたしの髪と、斎藤さんの髪が混ざる。同じ暗い色でも光が当たればどこか違う、その二色が暗いながらも淡い対比を為す。 それを視界の片隅に納めながら、中心には斎藤さんの双眸。最初は呆れたような、けれど次は驚いたような、そして今は感情の読めない眼をしている。探ろうと思えば思うほど逃げて行くようで、あたしはどうにか捉えてやろうと自分の唇を斎藤さんのそれに押し付けてやった。 「…!」 「あたしは寂しかったです。死んじゃうくらい寂しかったです」 「…………」 「斎藤さん、あたし、今、とてもあなたが欲しいんです」 純粋な気持ちを吐き出せば、眉根を寄せて悩む斎藤さん。彼の顔の両横についた手を、ぎゅっと握った。愛想尽かされただろうか。何も言わない斎藤さんから目を逸らさないで、でも内心不安が渦巻きながら祈る。拒まないで、と。 すると、突如斎藤さんが身を起こし、あたしは後ろへ倒れそうになる。ああそうだ、男女の力の差と言うのを忘れていた。けれど頭を廊下に打ちつけるだろうかと思われたその時、斎藤さんの腕があたしの身体を支えてくれた。そうして無事、あたしは斎藤さんの腕の中に収まる。ぎゅっと、強い力で閉じ込められた。 「自分の言ってる意味が分かっているのか」 「分かってます、あたしだって子どもじゃありません」 あたしの言葉を聞くと、斎藤さんはあたしを抱き締める力を弱めて、代わりに頬を掬う。そしてあたしがした乱暴なものとは違う、遠慮するような、躊躇うような、気遣うような、優しい口づけをくれた。離れるのが惜しくて、斎藤さんの着物の袖をぎゅっと握る。けれど離れない訳にはいかない。繋がった唇が離れたその瞬間、あたしは小さく息を吸い込んだ。そのまま流れるようにあたしの髪を耳にかけ、頬にも唇を落とす。 ようやく目と目が合ったと思えば、斎藤さんはため息交じりに言う。 「俺が寂しくなかったと言うとでも思ったのか」 ああ駄目だ、また負けた。 |