「何もこんな日まで…」
「仕方ないだろう、いつものことだ」

 溜め息をつきながら斎藤さんの支度を手伝う。…そう、新選組には年末年始など関係ないのだ。今晩の巡察の当番だという斎藤さんは、いつもと何ら変わらない様子で私の文句にもさらりと返した。私だって物事の分別が付かない幼い子どもではないのだ、頭では分かっている。今日が一年の最後の日だからと言って、明日が一年の始まりの日だからと言って、何かが急に変わる訳ではない。けれど、こういう節目だとか、大事な日には傍にいたいと思う。そういうのがこの人にとってはないのだろうか。あまりこだわっていない所を見ると、そうなのだろうとは思う。

 支度を手伝う、と言っても、斎藤さんはなんでも一人でしてしまう人だ。私のすることなんて余りなくて、最後に少し羽織りを整えたりだとか、髪が跳ねてるだとか、そういうことを確認するだけ。むしろ、手を出されるのもあんまり好きじゃない、と言いますか。それなら私が今ここにいることさえ意味が分からないのだけれど、そう実際に斎藤さんに伝えてみた所、何もせずとも良いからいろ、とのことだった。私に対しては普段滅多に命令口調を使わない彼がそんなことを言うものだから、結局それからもこうして斎藤さんの出て行く前には手伝いということで部屋に入っている。

「今日も帰りは同じくらいの時刻?」
「ああ。先に寝ていて構わぬ」
「そんなこと言って、以前本当に先に寝て翌朝随分とご機嫌だったのはどこの誰でしょうね」
「……俺だな」
「なんでそんなに素直なのよ」

 こうして軽口を叩いていても、いつだって私は不安で不安で仕方がない。斎藤さんは強い。だからこそ狙って来る輩と言うのは沢山いて、いつ何時襲われ、どんな怪我をして来るか分からない。怪我だけならまだいい、万が一、なんて縁起でもないことを考えてもしまうのだ。なんたって、京は治安が良いとは言えないのだから。だから事件も絶えないし。斬り合いだって日常茶飯事だ。従って、避けろというのは無理の話。私はただ、ここに残って無事を願うだけ。

「…気を付けてね」
「分かっている」
「い、いつも以上によ!大晦日だからって、きっと浮かれてお酒をいっぱい飲んでる人が、」


 喋るな、とでも言うように、左手で私の口を覆う。きつく塞がれた訳ではなく、そっと宛がわれただけ。それなのに、思わず息まで止めてしまった。

 暗い部屋の中、ぼんやりとした蝋燭の灯は酷く頼りない。特に今晩のように風が強ければ、戸を開けるとすぐに消えてしまいそうだ。ゆらゆらと揺れる火が作る灯は、それでもはっきりと顔に影を作る。火が揺れるのと共に影もまた同じく揺れた。鼻と鼻とがくっつきそうなくらいの至近距離、胸の音さえ聞こえてしまいそうで、緊張した私はますます息を詰めた。少し見上げて斎藤さんを見るも、唇を固く引き結んだ彼からは何を思っているのか伺い知れない。じっと、その唇が薄く開くのを待った。

「いつもすまない」

 いきなりなあに、と言いたくとも、自分の口を動かすことすら憚られる。とりあえず今は斎藤さんが珍しく何か言いたいことがあるようなので、ひとまず彼が言いたいことを言い切るまでそのまま口を塞がれておくことにした。すると、今度はこつん、と額と額がぶつかる。なんだか今日はやけに私に触りたがる。思えば、朝からそうだった。普段は必要と思われる時以外は私に触ったり私の方を見たりしないのに、やたら視線を感じたり、意味もなく髪や手に触れたりしていた。時折、私の仕事の邪魔になるくらい。

 もしかして、何でもないふりをしておいて、斎藤さんにとっても今日はいつもと違うという風に意識しているのだろうか。もしそうだったら嬉しい。口にも表情にも出さなくても、本当はこういう日には私といたいって少しでも思っていてくれるなら、それで十分だ。隊務が最優先で、建前でも最初の私の文句への同意をしない、それが斎藤さんって人なのだから。ここって言う所は絶対に曲げない人、だから私も斎藤さんを好きになったのだ。

「だが、あんたの言う通りいつも巡察中は気を付けている。三番組組長として負傷するなど、というのもあるが、が泣いた顔など俺は見たくない」
「…………」
「今日も無傷で帰って来ると約束する。、俺が帰るまで待っていてくれるか」

 表情を和らかくして私に訊ねる斎藤さん。こくこくと数回小さく頷くと、小さく微笑んで私の額に唇を落とす。恥ずかしいのと、照れるのと、嬉しいのと、いろんな気持ちが混ざって胸がきゅうっと苦しくなる。悲しい訳でも何でもないのに涙が出て来そうになって、誤魔化すために私はぎゅっと目の前の身体に抱きついた。突然の私の行動に斎藤さんも驚いたのか、後ろによろけてそのまま共倒れしてしまう。ゆっくりと半身を起こせば、斎藤さんも後ろに手をついて身体を起こす。けれど私はまた斎藤さんに抱きつく。寧ろ、斎藤さんを潰してしまうのではないかというくらい、抱き締める腕に力を込める。けれど所詮私の力なんて知れたものらしく、斎藤さんは苦しそうな様子は全く見せない。それよりも、後ろに倒れた時の衝撃の方が強かったようだ。

「斎藤さんは優しい」
「そのようなことはないと思うが…」
「ううん、優しいの」
が言うのなら、そうなのではないか」
「もう…」

 真面目な顔をしてそんなことをいう斎藤さんがおかしくて、私も少し笑った。ちょっと苦笑いだったけれど、笑った。そして、どちらからともなくそっと唇を重ねる。恋仲である以上、別にいけないことではないのに、部屋が暗いせいか、巡察前だからか、いけないことをしているような気分になった。そのせいか、離れるのがいつもより少し早い気がして何だか寂しい。離れがたい、惜しい、またそんな自分勝手な気持ちばかりが次々と浮かんで来る。私のそういった気持ちまで透かして見てしまうのか、斎藤さんは子どもをあやすみたいに私の頭を二、三度撫でた。その手が心地よくて目を瞑ってしまいそうになるけれど、いけない、早く離れないと斎藤さんが動けない。それに、出発が遅れたら遅れた分だけ、帰って来るのも遅くなるのだ。

 さっきよりずっと重くなったような気がする身体を斎藤さんの上から退けて、ぺたりと座りこむ。だめだ、ちゃんと笑って見送らないと。じゃないと、私よりも斎藤さんが私の心配をしてしまう。斎藤さんの余計な負担にはなりたくない。そんなの私は願っちゃいない。…斎藤さんは困ったように笑って、無言になった私の髪をくしゃりともう一回撫でた。今度こそゆっくり瞼を下ろすと、唇に触れる温かい感触。

「大丈夫だ、すぐに帰って来る」
「うん」
「帰ったら、あんたを構ってやる」
「……うん」

 意味が分かるような、分からないような。そりゃあ構ってもらえるのは嬉しいけれど、わざわざ子どもの遊び相手をするみたいな言い方をしなくても。…斎藤さんの言い方は要領を得なくて、半分首を傾げながら頷く。その際に斎藤さんのついた溜め息の理由もよく分からない。とりあえず行って来る、と行っていよいよ斎藤さんは部屋を出て行ってしまった。やっぱり寂しい、なんて思ってしまうのだけれど、ほんの少し前より気持ちが軽いのはきっと気のせいじゃない。






ほんのれ言


…なんて、ほんの少しの安心に浸っていたのもその時だけ。
彼の言葉と溜め息の意味が分かったのは彼が帰って来てから。夜更けも良い所になってからだった。







(2010/12/31)