私の手は小さいと思う。だからと言って別段、生活上不便なことは何もないから良いのだけれど、間近で男の人の手を見ると、私の小さな手では何も持てないのではないかと思うことがある。彼らはその手の中にたくさんのものを持っていて、抱えていて、それは私なんかでは到底計り知れない。でも、その手の中に私もいるのだと思うと、不謹慎ながら嬉しかったりするのだ。

「……何?」
「あっいやっ、何でもないです」

 私は鍋を掻き混ぜることも忘れ、隣で包丁を握る沖田さんの手をじっと見ていた。それはもう不自然なくらいに微動だにせず見つめていたようで、さすがの沖田さんも耐えかねたらしい。自分ではそんなにも熱心に見ていた意識がなかったため、慌てて目を逸らす。失態だ、なんて恥ずかしく思いながらぐるぐると鍋を掻き混ぜる。

 沖田さんは苦手だ。他の人とはいつも笑って話しているけれど、私といる時は極端に会話が少ない。必要性のない会話はする意味がない、というのは分かるけれど、沖田さんが雑談をしないなんてことはない所を見ると、私は嫌われているのか、なんて考えてしまう。けれど嫌われているから仕事を放棄する、なんてことはしないし、寧ろ「だからなんだ」という話だ。

「で、これどうするの?」
「では鍋の中に」

 味付けは総司に任せるな、とのお達しもあり、いつも彼は材料を切ったり食事を盛りつけたりするのが主な仕事だ。切った野菜を両手に全て納めると、鍋の中にばらばらと投入した。私だったらきっと二度に分けないといけないであろう量も、この通り一度で済む。私の目の前を通り過ぎた手を見て、またその手の大きさに関心をしたのだった。そして、何気なく、菜箸を持っていない自分の左手を見て、握ったり開いたりしてみる。

 私の手というのは、酷く非力だ。何ができるかと言われれば、料理に裁縫、洗濯、掃除。生活に欠かせないと言われれば欠かせないけれど、誰でもできると言われればそれまでで、私がここにいる意味や価値は非常に低いものなのだと知る。沖田さんは違う。彼にしかできないことがあって、彼でなければいけない意味がある。比べること自体が失礼のような気がするけれど、改めて自分と沖田さんを比較してみると、こうして並んで立っていることすら恥ずかしいように思う。もっと私に価値が欲しい、と。

「何悩んでるの?」
「え?」
「さっきからぼーっとしてるけど、鍋噴き溢さないでよね」

 気を付けます、と言いかけると、沖田さんは徐に私の左手を掴んだ。

「手、どうかしたの?痛いとか?」
「い、いえ、何もないですけど…怪我もしてませんし」
「そう?随分気にしてるみたいだけど」
「そんなこと…」
「ない、とでも言うつもり?」

 何だか今日はやけに突っかかって来るなあ、なんて思いながら、私は言葉を詰まらせた。嘘を言えば見透かされる、間違いなく。でも自分の気持ちを素直に吐き出すのは何か違う気がして、言葉に迷う。私の下らない焦りを、取るに足らない悩みを、ただでさえ大きなものを抱えているであろうこの人に打ち明けるのは、隣で立っていることよりも恥ずかしい気がした。

「…迷惑をかける訳には行きませんから」

 やっとの思いでそれだけを告げると、沖田さんの手をすり抜ける。…いや、正しくはすり抜けようとした。けれどそれを阻んだのは沖田さんその人。さっきよりも強い力で手首を掴まれた上に、くるりと手のひらを返して手の甲を撫でた。壊れものを扱うかのように優しく撫でられて、驚いた私は思わず顔を上げる。掴まれた瞬間の痛いくらいの力が嘘みたいだ。重なった手と沖田さんの顔とを交互に見た。珍しく表情の消えた彼からは、何を思ってこのようなことをしているのか伺い知れない。

「あの、」
「心配してるって分からないかな」
「は…?」
「こんなに手荒らしてさ、朝から晩まであっちこっち走り回ってるみたいだし、夜は夜で部屋で遅くまで仕事してるみたいだし、…これじゃあ治るものも治らないと思うんだけど」

 労わるように一度ぎゅっと手を握った後、「もっと自分の体、大事にしなよ」と沖田さんは言う。その言葉に、馬鹿にしたり呆れたりするような意図は含まれていないように感じて、素直に「はい」と返事をした。

 意外だった。心配されていただなんて微塵にも思わなかったのだ。むしろ、気にも留められていないと思っていた。だって、沖田さんとは滅多に話もしないし、顔を合わせても挨拶をする程度で、すれ違いざまに視線すら合うことは殆どない。合ってもすぐに逸らされる。どこか冷たさを感じるような瞬間も少なからずあった訳で、だから苦手だったのに。

 まだ離されない手をじっと見ながら、私は浮かんだ気持ちを口にする。「嫌われていると思っていました」…すると、沖田さんは私との距離を詰めて顔を覗き込んで「なんで?」と問う。初めての距離に驚いたのと、緊張するのと、思わず私も一歩下がったのだけれど、その分また沖田さんは一歩踏み出す。右に左にと視線を彷徨わせながら、また私は必死に言葉を探す。菜箸が手から離れそうだ。

「いつも挨拶くらいしかしませんし、…あまり、名を呼ばれたことも」
「…僕だって緊張する相手くらいいる」

 言葉の意味が分かりかねて、「はあ」と生返事しか返せない。

「あのさ、君、僕が何を言ってるか分かってないよね」
「えっと、あの、…はい」

 白状すれば、沖田さんは小さくため息をついて私の手をようやく離す。守られていた手が解放されて、ひやりとした空気に触れる。その一瞬の冷たさに、惜しい、などと考えながら、背を向けた沖田さんを見つめる。

 私の手を握った手の大きさ、温かさを思い出すと、何だかとても気恥ずかしい。初めて触れた沖田さんの手は、私の手などすっぽりと納めてしまったのだ。互いに決して綺麗な手とは言えないけれど、それでも「大事にするように」という言葉は、きっと何よりも綺麗な言葉。そこに嘘はないのだと思う。…ないと思いたい、信じたい。私なんていくらでも代えの利く役割を持っている人間だけれど、私だけにくれた言葉なのだと。

 まだ少し緊張の解けない空気の中、私は横目に沖田さんの背中を見つめながら、また鍋と向かい合ったのだった。













(2010/12/24)