「…嬉しそうだな」

 恨めしそうな顔で一さんは私を見上げた。指摘された通り満面の笑みを浮かべていた私は否定の言葉は言わない。

 夏も終わり、風が冷たくなって来る頃、隊士の中にも数名くしゃみや咳をする者はいた。けれどまさか、まさかだ。あの一さんが体調を崩すだなんて誰が想像できよう。朝から何か様子がおかしいと思っていたのだけれど、とっ捕まえて額に手を当ててみたらとてつもなく熱い。「問題ない」だの「何でもない」だの、同じような言葉を馬鹿の一つ覚え見たいに繰り返す一さんを、休ませるのは簡単なことではなかった。幹部が隊務を休むわけには、とか言ったけれど、このまま無理をしたら体調だって悪化しかねない。それにしても、これだけ熱があるのに顔に出ないなんて、これまでも無理していたことがあったのではないだろうか。

「一さんは普段、世話なんて焼かせてくれませんから」
「子どもでもあるまいし、自分のことくらい自分でできる」
「熱出しておきながら説得力がありませんよ」
「……………」

 口で勝てるのも一さんが本調子ではないからだろう。常ならば私なんかでは到底敵うはずがないのだから。熱で頭が回らないらしい一さんは、とうとう不機嫌そうな顔をして押し黙った。ちょっと言い過ぎただろうか、と反省しつつ、いつもは私がやられっぱなしなのだから、たまにはこういうのも良いと思う。それに、いつも私を見て心配だの何だの口煩いほどに言ってくれるけれど、これで少しは私の気持ちも分かっただろうか。なかなか「大丈夫」を信用してもらえない私の気持ちが。

 一さんの額に置いた手ぬぐいは、冷やしても冷やしてもすぐに温くなってしまう。もしかして今日いきなりではなく、数日前から体調が悪かったのではないだろうか。本当、顔に出ないというのはこういう時に困る。心配なのは私ではなくこの人の方ではないか。手もとの桶で何度目か、手ぬぐいを冷やして、また一さんの額に置く。…寝てしまえばいいのに、その一連の動作を一さんはわざわざ目で追っていた。他意はないと分かっていつつ、見られていると思うとなんだか照れてしまう。不謹慎だけど。

「薬は山崎さんに頼みました。もう少し待って下さいね」
「薬など、」
「駄目です、ちゃんと飲んで下さい。あと、昼にはお粥も作って持って来ますから食べましょうね?」
「…子ども扱いをするな」

 眉根を寄せて抗議されてしまった。けれどその口調も、いつもよりいくらか元気がない。喋るのも気だるいのが見て取れた。朝に比べるとほんの少し赤くなり始めた顔。きっとまだ熱が上がって来るのだろう。その顔に手の甲を当てると、一さんはゆっくりと目を閉じた。ようやく眠ってくれるらしい。その方が私も安心だ。

 もしも私が一さんを止めなかったら、間違いなくこの人はいつも通り巡察に出ていたはずだ。それでもし不逞浪士に出くわしたら?斬り合いになったら?…考えるだけで背筋が凍りそうだ。一さんが強いことはよく分かっている。けれどそれは調子が万全の時に限る。誰だって調子の悪い時は普段のように仕事をこなせるわけがない。一さんを信じていないとかそういう話ではなく、万が一ないとは限らないということだ。だから、私は是が非でも熱が引くまで一さんを休ませておきたかった。


「はい」
の手は、温かいと思っていた」
「何です、急に」
「だが、今日は冷たい」

 珍しい、一さんから雑談を持ちかけるだなんて。けれど何を言いたいのか要領を得られず、私はじっとその顔を見つめながら返事を考える。すると、まだ一さんの頬に当てていた手を、その上から一さんが握った。顔同様にその手は熱を持っている。いつもは私よりも低く感じると言うのに、これもまた新鮮だった。

 そこで、はたと気付く。ああ、そういうことか。

「一さんが熱いんですよ」
「そうだな」
「ほら、もう眠って下さい。起きていてはいつまで経っても隊務に復帰できません」
「ああ。…

 言った傍からまだ言葉を繋げようとする。半ば呆れながら、けれどそれは決して声に出ないように、「何ですか?」と答えた。すると、殆ど消えそうな声が呼吸を繰り返す口から洩れる。

「冷たくて、心地が良い」

 一瞬、目を丸くする。それは随分と遠回しだった。たったそれだけを言うために、この人は一体どれだけ回り道をしたのだろうかと思うと、おかしくて仕方がない。本当は今すぐにでも抱き締めたい気持ちでいっぱいだったけれど、相手は病人、そういう訳にも行かない。だから代わりに、一さんの手をぎゅっと握った。「では、一さんが次に起きるまで握っています」「そうしてくれ」…そんな言葉も初めて聞いた。

 いつもは自分のことはさっさと自分でやっちゃう人だけれど、一さんに甘えてもらえるのならたまには熱も良いものかも知れない。熱のせいか照れているのか、また先程よりも顔の赤くなった一さんを見て、どうしようもなく愛しさが込み上げて来た。














(2010/10/9)