「例えば、私が死ぬとする」


 突拍子もなく、そんな仮説をは立てた。けれど別段、動じることもなく彼女を振り返ると、丁度刀を鞘に戻す音が聞こえる。彼女もまた俺を振り返ってにこりと笑う。


「どう思う?」
「…どう思う、とは」
「一君が思った通りでいいよ。怒る?説教する?それとも…」


 何か言いかけて、やめる。相変わらずその顔に笑みを湛えたまま、口を噤んだ。なんとなく何を言わんとしているかは分かる。けれどそれを口にすれば負けたような気がして、いや、崩れるような、壊れるような、そんな気がして自分からも続きを言えない。もまた同じのようだった。

 自惚れなのかも知れない。実際は俺の思っているのとは全く別の言葉が続くのかも知れない。だが、不思議なことに俺とは同調することが多々ある。だからきっと、今考えていることも同じなのだろうと、何の確証もないまま、ただ経験からのみそう思う。


「何故、いきなりそのようなことを聞く」
「んー。一君はいつ自分が死ぬか分からない中でも冷静でしょう。私はそうはいられないもの」
「俺にはの方が落ち着いているように見えるが」
「あはは!見えるだけ見えるだけ。実際、こうして人を斬る瞬間なんて体中の血液が凍りそう」


 足元の死体にちらと目をやって、呟くように言った。確かに、本来ならばはこのようなことをすべきではない。元は純粋で、虫一匹殺すことでさえ躊躇うような子どもだったのだ。それが今やこうして自分と並んで隊務の名の下、他者を斬り捨てる。軽蔑だとか、侮蔑だとか、そう言ったものとは違う、もっと強い痛みを感じる。それは恐らく俺も同じことをしているからだ。俺と同じことを、彼女がしなければならない経緯を考えるほどに、斬られるよりも大きな痛みに苛まれる。

 しかし、俺がを心配したり同情したりしても、それはの望む所ではない。肩を並べている以上、彼女を贔屓する訳にも行かない。それに、彼女の選んだ道を阻むようなことはしたくなかった。例え命の危険に晒すことになろうとも。


「だから、一君が取り乱す時ってどういう時なのかなって、下らないこと考えてただけ」
「いや…」


 明るく振る舞うその下に、幾つ感情を埋めて来て、幾つ心を殺して来たかは知れない。ただ一つ知っているのは、が初めて人を斬った日、再起できないのではないかと思うほど、抜け殻のようになっていたことだけだ。二日もすれば元に戻り、それ以降何の弱音も吐かなくなったことは、逆に恐ろしかった。…いや、俺が知らないだけなのだろうか。俺の知らない所で泣いていることが今でもあるのだろうか。そう思うと、やはり是が非でもから刀を取り上げたくなる。そんな風に綺麗に笑う彼女に、何故剣など持たせ、人を斬らせなければならない。

 会話も途切れた所で、帰ろうか、と彼女の方から切り出した。今日は雨が降っただけあって風が冷たい。すぐに秋が来て、終わり、冬になるのだろう。真冬の京は耐えがたい寒さがある。寒さを理由に巡察を休むなどということは有り得ないが、人一倍寒がりらしいは、冬になると唇の色もいつも悪いのを知っている。今でも、風は冷たいがさほど寒いと言うことはないのに両手を擦っている。寒い時のの癖だ。

 歩き出そうとするの手首を掴み、冷たそうにしている両手を包んだ。


「なあに?どうしたの?」
「例えば、俺が死んだらあんたはどうする」
「一君が死んだら…?」


 俺に同じ質問をした癖に、まるで想定外だとでも言いたそうな顔をする。丸く目を見開いて、不思議そうな目で俺を見上げた。そして少し思案した後、「怒るよ」と首を傾げて笑った。一瞬可愛らしいと思えるその仕草だが、目が笑っていない。


「怒って怒って怒って怒って、これでもかってくらい怒ってやる」
「………………」
「私を置いて勝手に死ぬんだもの。当然でしょう?織田信長みたいに葬式でキレてやるわ」
が言うと冗談に聞こえぬ」
「あら、本気だもの」


 俺にとってはの答えの方が想定外だ。どこかずれているというか、はみ出している奴だとは分かっていたが、そこまで大それたことをするか。これでは総司に気に入られるはずだ、と小さくため息をついた。すると、くすくすと面白そうに笑う。こう言った時のの笑みには何度騙されたか知れない。いつも笑みを絶やさない彼女に救われているのも確かだが、それ故に抱え込むことも多く、上手く一人では対処できない。器用なようでいて不器用なのだ。


「でも、その後は思いっきり泣いてあげる」
、」
「私の一生分の涙を、一君のために使ってあげるよ」
「それは…」


 喜んでいいことなのか。聞いたら怒られそうでやめておく。きっとこれは彼女なりの悲しさの表現だろうから。

 今度こそ、自惚れでも何でもなくそう思った。そんな彼女を、そっと抱き締める。笑っているのに泣きそうなは、捕まえていないと今にもどこかへ消えてしまいそうで不安になる。まだ彼女には生きていて欲しいと、誰かの命を奪っておきながら思うその罪深さを知らないわけではない。これまで斬って来た多くの人間にも、思う相手はそれぞれいたのだろう。それごと斬り捨てて生きて来た自分が、自分のために自分の思う相手に生きていて欲しいと思うことは、この上ない自分勝手だとも分かっている。

 ただそれなら、自分はどれだけ惨い死に方をしようと構わないから彼女だけは、と願ってしまう。


「どう考えても、私たちが幸せに終わる、なんてことは無理だよね」
「そうだな」
「ね、だから約束しましょう?」
「約束?」
「うん、百年後の約束」


 そっと俺を押し返すと、白い手を伸ばして俺の頬に触れる。の目は、夜目にも分かるほど潤んでいた。少しでも風が吹けば今にも涙が零れ落ちそうだった。それでも笑って言葉を繋げようとする。何かを言いかけては言葉を詰まらせ、唇を閉じる。そんなを待つしかできない。代わりに何か言ってやることも、気の利いた言葉を掛けてやることもできず、ただの口から次の言葉が紡がれるのを待った。


「…さすがに百年もこんな時代が続いてるとは思わない」
「ああ」
「それに百年も私たちが生きている訳がない」
「…ああ」
「だから、私と一君、どっちが先に死んだとしても、百年後にまた会いましょう」
「百年後、か」


 転生だとか、来世だとかを信じている訳ではない。だが、の言葉はなぜか信じられた。がそう言えば、本当にそうなるような気がする。百年後、この国のどこかでまたと会えると。案外、百年なんてすぐなのかも知れない。今でさえ日々は風のように過ぎて行く。だから、きっとあっという間に時は過ぎ、いつか俺もも死んで、またすぐに百年が経ち、出会うのだろう。この世でと出会ったのと同じように、百年後もきっと。


「だから、それまで待っていてね。今、私が一君にあげられるものも、伝えられる言葉もないけれど、きっと百年後には言えるから」
「俺も、百年後にはに言いたいことがある」


 明日も定かでないのに、互いの今を縛ることはできない。それに、今はそういった個人的なことより優先すべき事項がある。付かず離れず、ぎりぎりの所で今、踏みとどまっている状態なのだ。だからも言葉にしない。自由にしているようで、肝心の所は言わないようにしているし、ある程度の距離を保っている。言葉に出してしまえば、きっとそれが崩れてしまう。「私が死んだらどうする」という問いに対する明確な答えをしなかったにも拘らず、追求しなかったのはそのせいだ。

 こんな風に抱き締めていれば説得力がないかも知れないが、それでも確かに何かを言葉にして伝えあった訳ではない。だから、俺とは世間が思うような仲ではないのだ。明らかに他者には抱かない感情を持っていたとしても。


「百年後で待ち合わせだね」
「きっとすぐだ」
「うん」


 あれも、これも、どれも、全て百年後まで持って行こう。その時には、には何の躊躇いもなく伝えられるだろうから。百年先がどのような時代になっていようと、どこにいようと、必ずを見つけ出す。そして次こそ、が泣きたい時も、笑っている時も、いつでも傍にいよう。だからそれまで、それまでは。










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(きっと迎えに行く、きっと出会えるから)



(2010/9/17 恋慕さまに提出)