「…に酒を飲ませたのはどいつだ」
「おおおお俺じゃねえって!が自分で飲んだんだよ!」


 副長からの言伝があったための部屋を訪ねてみれば、部屋の主はいない。いつもは夕食が終われば大抵自室にいるはずなのでおかしいと思えば、何やらまだ広間の方が喧しい。まさか、とも思ったが念のために覗いてみれば、困ったことにそのまさかだった。酒のにおいの充満する部屋の中でぐったりとしているは、夜の明かりでも分かるほどに顔が赤いのが分かった。ぐったりしているだけではなく、総司に寄りかかってぼうっとしている。


には絶対に酒を飲ませるなと何度も…!」
「でもちゃんが飲んだの、甘酒なんだけど」
「そ、そうだよ!甘酒で酔うなんて考えねーだろ普通!」


 甘酒とはいえ、一応酒だ。しかもどれほど飲んだのかは知らないが、周りの会話も耳に入らないようで、目は空けているものの微動だにしない。…これでは副長からの伝言を伝えられそうにない。仕方ない、副長にこのことを報告するしかないようだ。そうすれば屯所内での飲酒ももう少し厳しくしてもらえるだろう。いつ何時何があるか分からないというのに、幹部が酒に潰れていてはどうしようもない。


は後で引き取りに来る。これ以上彼女に酒を与えるな」
「あれ、後で良いの?さっきからちゃん、一君を呼んで呼んで仕方ないんだけど」
「…しかし副長が、」
「しかも僕を一君と間違えて口付け迫ったり着物脱ぎかけたりするし、…一体いつも何してるわけ?」
っ!」


 慌てて総司からを引き剥がす。着物の合わせが緩いのが気になっていたがそういうことだったのかと納得したが、いや、そんなことはどうでもいい。総司に迫っただと?総司と俺を間違えるなど、一体どういう神経をしているというのだ。本人にもあれだけ普段から酒には気を付けろと言っているのに、何故甘酒に手を出したのだ。以前、一口飲んだだけで頬が紅潮していたこともあり、甘酒でさえ止めていたと言うのに。こういうことがない可能性もない訳で、何かの間違いが起こらない恐れがない訳でもなくて、彼女の身の安全を思ってのことだったのに、本人がそういった危険を理解しなければ意味がないではないか。


「あう…はじめさんじゃないですかぁー…」
、あんたは甘酒でも酔う恐れがあるとは言わなかったか」
「ちょっと待て、ってそんなに酒弱いのか?」
「へへ、そうでしたっけぇ…死にはしませんよぉ」
「当然だ。酒くらいで死なれなどしたら、俺は国中の酒を潰しに回らなければならない」
「日本中の酒飲みを敵に回したぞ、斎藤…」
「はじめさん、もうちょっと、じゅーなんになってくださいよぉ」
「何の話だ」
「俺らの話なんて聞いちゃいねえよ」


 向かい合って支えたまま問い詰めていると、はへらっと笑った。呂律の回っていない彼女は、俺が肩を離せばぐらりと体が傾ぐほど酔っている。呆れて大きなため息をつくと、今度はぐずぐずと泣き始める。は酔うと感情の起伏が極端になる。ちょっとしたことで機嫌がよくなったかと思えば、ちょっとしたことで泣き始める。もう何回か見ているため慣れてはいるが、こうなったの相手は少々厄介なのだ。早々にこの部屋を出て行かなければ対処しきれない。


、そろそろ部屋に…」
「はじめさん…あたしのこと、だめな女だって、おもったでしょぉ…」
「思っていない。良いから部屋に、」
「いっつもめーわくかけてばっかで、けんずつはぜんぜんつかえないし、」
「け、けんずつ…?剣術か?」
「そのようなこと思ってなどいない。、早くしないと、」
ちゃん、一君なんてやめて僕にしなよ。剣ならいくらでも教えてあげるし」
「いや総司、お前を相手にしたらが使いモンにならなくなるぜ?」


 しかしはそんな総司の冗談を真に受けたのか何なのか、総司を振り返って睨みつけると、バンっと拳で床を叩いた。普段はあまり怒ることのないのそのような姿に驚いたのか、その場にいる俺以外が思わず瞠目した。


「あたしは!はじめさんが!いーんです!でもっ!はじめさんは!あ、あ、あたしじゃ、まんぞく、してくれないんですぅ…っ」
「あーあ可哀想に、ちゃん泣いちゃった。ていうか一君、こんな良い子で満足できないなんて贅沢だね」
「黙れ総司!もいい加減にしろ、いつ誰が満足していないなどと、……」
「ふうん、じゃあ満足してるんだ。まあ、関係が良好なら別に良いんだけど?」
「おい総司煽ってどうする…!」


 泣きやまない。楽しそうに笑みを浮かべる総司。すっかり黙ってしまうしかなくなったその他。売り言葉に買い言葉、つい口を滑らせたが故に招いた事態の収拾をどうすべきか必死で考えるが、動揺した頭ではどうにも対応策が思いつかない。恥ずかしさで死にそうになっている中、の「はじめさん、はじめさん」という舌足らずな声だけが泣き声交じりに響く。これが皆の目の前でなければいくらでも泣き止ますなり黙らせるなりするのだが、如何せんここではそうもいかない。
 それよりも、だ。いつもあれだけには好意を口にしていると言うのにまだ疑われているのだろうか。酒が入れば本音が出る。だとすれば、未だに俺がどれだけを思っているかと言うことも当然伝わっていない訳で、通じ合って時間も経つと言うのに、一線も越えたと言うのに、は俺が同情か何かで付き合ってやってるだけと思い込んでいる訳で、…それはかなり、腹を立てても良いことなのではないだろうか。
 俺に背を向けて泣き続けるの肩を掴み、こちらを向かせる。目も顔も真っ赤ではないか。全く、こんな姿を他の男に晒すなど無防備すぎる。新選組幹部でも男は男だとまだ分からないのか。



「はじめさ、…んんっ!」


 誰が見ているとか見ていないとかはいっそ関係ない。を泣き止ませることと、ここにいる者への忠告の意味も兼ねて、俺はの口を塞いだ。訳が分からないという風に暫く目をぱちぱちさせていたのだが、こそ周囲に気が行かないのか、自分の身に起こっていることを把握すると、細い腕を俺の首に絡めて目を閉じる。やがて息の切れる頃に唇を離せば、まだ潤んだ目で俺を見つめ、小さな声で何か喋り始める。


「あたし、やっぱり、はじめさんじゃないと、イヤです」
「分かっている」


 そう返事をすれば、はぱたりと意識を手放した。そしてすぐに規則的な寝息が聞こえ始める。当然酒は抜けておらずの体温も高いのだが、こうなればもう朝まで起きることはない。すっかり脱力したを横抱きにして立ち上がる。副長への報告はどうするべきかと悩みつつ、広間を出ての部屋に入ってからようやく我に返った。


(俺は、一体、何を、した…!)


 ふと先程までの自分の行動を振り返り、から手を離しそうになる。幸いそれは免れたが、思いだすだけで恥ずかしい。いや、思い出したくもない。だからには早く部屋に戻るよう言い続けたのだ。それをは何度も何度も俺の言葉を遮り、挙げ句総司には揚げ足を取られ、あのような場を晒してしまう羽目になった。どうすればいい、明日から俺は一体どのような顔をして皆と顔を合わせれば良いと言うのだ…!

 しかしそのような葛藤を知る由もない本人は、まだ腕の中で気持ち良さそうに眠っている。起きたらまた説教だと決め、を布団に寝かせる。副長の用は急ぎではないと言っていたが、とりあえず今からの状態と総司たちのことを報告し、もうここへ戻って来ることにしよう。酔った時のことなど覚えていないと言うのに、酒の入った翌朝は傍にいないと機嫌が悪いのだ。
 部屋を出ようと障子に手を掛けた瞬間、唸るようなくぐもった声が後方から聞こえる。起こしたかと慌てて振り返ったのだが、どうやら寝返りを打っただけらしい。


「はじめ、さぁん…」
「……


 ただの寝言にもつい返事をしてしまう。開けかけた障子を再度閉じると、眠っているに近付き、膝をつく。大分伸びて来た彼女の前髪を除け、その額に唇を落とす。擽ったかったのか身を捩ったが、それでも起きる様子はない。その熟睡加減に半分呆れつつ、この様子では起きないことも分かっているが、に一つ文句をくれてやった。


「…自分だけだと思っているのか」


 俺とてでないと駄目だと言うことは、まだ説いてやる必要があるらしい。





















(2010/5/23)