もう十二月だが、今日は天気がいい。こんな日はパックレモンティーとポッキーを持って、屋上で空を眺めるに限る。精神的に参れば参るほど空を見たり天気を見ることが多くなるそうだが、そんなことはない。私は昔からこの時季の空が好きだ。冬は空気も澄んでいて空の青も気持ち良い。
 だが冬にわざわざ昼休みを屋上で過ごす馬鹿は私くらいしかいない。今日はこの屋上を一人占めしていたのだが、屋上の扉が開いて「来てもらってすみません」という女の子の声が聞こえた。私も一応女だ。直感でこれから告白の場面なのだと容易に察することができた。
 私は扉の反対側にいたのだが、どうしても気になって足音を立てないよう、じりじりと扉の方へ近付いて行った。


「悪いが受け取れない」


 その姿を認めると同時に、パキン、と咥えていたポッキーを折ってしまった。直ぐ様ぴたりと壁に背中をつけて、でも気になるのでその会話に聞き耳を立てる。それは、視線の先にはあまりにもよく知った人物がいたからだ。
 見付からないようそっと覗けば、校内一の天才と名高い生徒会長のティエリア・アーデの後ろ姿、その向こうには一つ下の学年の可愛い女の子が見えた。しかし、何も初めて見る光景ではない。今日は朝から何度も見た光景だ。何と言っても今日はアーデの誕生日。この光景を見た回数は、もう軽く両手の分を超えているのではないだろうか。断られることは分かりきっているのに、それでもアタックしに行く女の子たち。アーデにその存在を認知してもらうことこそに意義があるのだろう。その気持ちはよく分かる。…なんて、幼なじみの私が言うと嫌味になるだろうか。
 そんな鉄壁のガードを持つアーデに一番近いと言われているのは幼なじみの私なのだが、付き合っている訳でもなんでもない。それこそ小さい頃は誕生日を祝ったりしたが、ここ数年はさっぱりだ。しかも、今見た通りアーデは片っ端からプレゼントを拒んでいる。そう、一度も女の子から貰い物をしたことがないのだ。曰く「変な期待を持たせないため」だそうだが、だとしたら誰からのプレゼントなら受け取るのだろうか。昨年、生徒会役員がみんなで贈ったというものは受け取ったらしいが。


「何をしている」
「うわっとぉ!!」
「朝から思っていたが覗き見なんて趣味が悪いんじゃないのか、?」
「そっちこそ人聞き悪いなあ…」


 私だって何も好きであんな場面に遭遇している訳ではない。今日はなぜだか行く先々にアーデがいるのだ。しかもああやってアーデが他の女の子を拒否している所を見ると、自分と重てしまって仕方がない。思わず胸が痛くなる。何を隠そう、かれこれ私の片想いも三年目に突入したわけなのだから。
 「相変わらずの自意識過剰ね」と言って精一杯作り笑いをしてやると、「喧しい」と言って頭を小突かれた。全然力を込めずに触れられた箇所を自分で押さえる。もうずっと私たちはこんな感じだ。付かず離れず、友達以上恋人未満。もしかして、と期待なんてしてしまえば、そうでなかった時のショックが大きいだけ。それを恐れている臆病な私が、アーデの気持ちを知ることを恐れている。


「それにしても、毎年毎年断るのって悪いとは思わないの?」
「全く思わないことはないが仕方がない」
「アーデらしい」
「それより良いものを持っているな」


 左手に持っているポッキーの箱を見る。アーデが甘いものなんて想像もつかないのだが、もしかして欲しいのだろうか。ポッキーを食べるアーデ――なかなか面白い図かも知れない。
 「要る?」とまだ殆ど中身の残っているその箱を差し出すと、アーデは箱ではなく私の腕ごと掴んだ。何事かと訝しげにアーデを目だけで見上げると、不適に笑って私の目を捉えた。


「もう一つ欲しいものがあるのだが」
「は?私そんなにお金持ってないから、」
「違う、そうじゃない」
「じゃ、あ、何…」


 段々と詰め寄って来るアーデに、後ずさる私。けれど左手を掴まれているので逃げられる訳もなく、腕を引っ張られたかと思えば、腰を引き寄せられてしまった。
 いやいや何なんだこの状況は。そう思うのことだけでいっぱいいっぱいで、急な展開に私の頭はついて行かない。自然と熱の集まる顔。きっと、とてつもなく赤くなっているだろうから、見られたくなくて俯いた。しかしアーデはそんな私の顎を捉えて上を向かせる。極めて至近距離にある整った顔に、私はますます赤くなるしかなく、十二月の寒空の下、ここは真夏かというほどに体温が急上昇した。
 何を言えば良いのか分からず、口を数回ぱくぱくすると、おかしそうにアーデは笑い、更に体を引き寄せた。これ以上密着なんてしたら、心臓の音など簡単に聞こえてしまうのではないだろうか。そんな変な不安をしてしまうほど、私の頭は思考がおかしくなっていた。


「真っ赤になってどうした」
「あああああーでがはなしてくれないから!」
は趣味も悪いが頭も悪いのか?」
「うるさい!」
「加えて行儀も悪い」
「あーもう黙ればいいのにっ!」
「口も直したらどうだ」


 私が喋れば喋るほど、アーデは楽しそうな顔をする。けれどこっちは全然楽しくない。だっても何も、まだアーデには何も言われてないのだ。
 こんなことをするくらいなのだから、ちゃんと聞かせてくれるのでしょうね。そんな非難の意を込めて睨む。そして私は挑発するように言ってやった。


「なら、アーデが躾をし直してよ」


 私のそんな言葉は予想だにしなかったらしく、アーデはこれでもかと言うほど目を丸くし、そして見たことないほど優しく笑った。耳許で「そのつもりだ」なんて低く告げられれば、それだけでもう私は骨抜きにされたも同然で、相槌の一つも返せない。悔しくて悔しくて、そして何だか恥ずかしくて、ずっと唇を結んだままでいると、アーデはゆっくりと私の唇に自分のそれを重ねて来た。私はもう何が何だか訳が分からず、頭の中は真っ白だ。しばらく硬直して目を見開いたままだったのだけれど、ぎゅっと目を瞑ってアーデの制服を掴む。すると一瞬唇が離れ、少し息を吸い込めたかと思えば再度深く重なる唇と唇。私の後頭部を支える手が何かを探るように髪の下へ潜り、やがてうなじを這う。その全てが初めての感覚で、何もかもに目眩がする。けれど私の身体を支えるアーデの力は確かで、膝がガクガクと震えてもなんとか立っていられた。キスの一つで全身を暴かれているような気分になってしまうなんて、一体何なのだろう、この人は。
 そうしてようやく離れると、私は肺いっぱいに空気を吸い込む。「窒息しかけだよ馬鹿!!」と叫んだら、アーデはまた不敵に笑い、「そんなこと言っていいのか?」と言う。何のこと、と言いかけて、キスの前に自分の言ったことを思い出して私は青ざめた。


「うっ嘘です嘘です!もう身がもたない…!」
「意外と純情なんだな」
「だ、だって…っ」


 何だかもうめちゃくちゃだ。順番も言ってることもやってることも、全部がめちゃくちゃ。
 口では絶対にアーデに勝てないことは分かっているので、「だって」を最後に言い返すのをやめた。それでも煮え切らなくて唇を尖らせていると、片手で頬を撫でられた。


「すまない」
「………」
「許して欲しい」
「…もういいってば」


 埒が明かない。しかも、私が何に機嫌を損ねているのかこの人は分かっているのだろうか。そこが一番の謎だ。賢い癖に思ったよりも鈍いアーデ。いつだって自信たっぷりの癖に私の言動一つで動揺するアーデ。この人、本当は馬鹿なんじゃないだろうか。ごめん、とか、許して欲しい、とか、そんな言葉なんて要らない。もっと、もっと違う言葉が欲しいのだ。謝罪の言葉じゃない、たった一つ欲しい言葉がある。私から強請るのではなく、アーデから私に言って欲しい。あれだけのことをして置いて、その言葉がないなんて、それこそ私は許さない。時間が経つほど私のイライラが増して行っていることに気付いたアーデは、困ったような表情をして私をとても弱い力で抱き締めた。


「好きだ」
「…遅い。もっと」
「好きだ、
「こういう時は名前」

「もう一回」
、好きなんだ」


 私はゆっくりとアーデの背中に手を回す。


「私、わがままなんだから」
「知っている」
「いいの?大変だよ?」
「そんなの今更だ」
「失礼だなあ…」
「本当のことだろう?」


 一層強く風が吹いて、髪がなびく。スカートが翻り、ようやくその寒さを実感した。徐々に下がり始めた体の熱と心拍数に、小さく息をついてゆっくり体を離す。そして胸倉を掴んでぐいっと引き寄せると、アーデの頬に唇を押し付けた。それはほんの一瞬。また乱暴に体を押し返し、仕返しにずっと持っていたせいで少しへこんだポッキーの箱を投げつけてやった。


「私だってずっと好きだったんだよばーか!誕生日おめでとう!祝ってあげないけど!私のファーストキス上げたんだからもういいでしょ!じゃあねっ!」


 我ながら言っていることがめちゃくちゃだ。しかし改めて言うのはあまりに恥ずかしい。それに幼なじみなんて、長くいればいるほど素直に気持ちを伝えられなくなる。三回も好きだって言われた癖に、それが思った以上に嬉しいと言うのに、「ありがとう」が出て来ない。私も大概、天邪鬼だったらしい。
 もうそろそろ予鈴も鳴ると言うことで、教室へ戻るべくアーデに背中を向けた。そしてドアノブに手をかけて扉を開けた瞬間、急に強い力で肩を引かれる。その勢いで後ろに倒れそうになったが、アーデが後ろから抱き締める形でなんとか助かった――と思ったのも束の間、首のほぼ後ろの方に何か温かいものが当たったかと思えば、急に痛みが走る。思わず顔をしかめたが、直後、私は血の気が引いて行くのが分かった。


「あんた…っ!」


 抗議をしかけたが、今度は後ろから顎を捕らえて言葉を遮る。そして耳の近くでこう囁く。


「躾のし甲斐がありそうだな」


 私を離すと、楽しそうに、いや、妖しく笑って一人で階段を降り始める。また心臓が早鐘を打ち、顔に熱が集中する。「置いて行ってもいいのか」というアーデの言葉に「あ、ああ、うん」などと適当に返事をして、ふらつく足で私も階段を降りる。

 そこで私はようやく、不意打ちの連続にこれからやって行けるのかと明日からの心配をし始めたのだった。




















(2009/12/9 アーデさん誕生日おめでとう!)