助手席から見る、運転をしている男の人というのはかっこいいものだ。願わくは助手席のシートに招かれてドライブ、なんて乙女の夢の一つでもあるだろう。ハンドルを切る手、まっすぐ前を見つめる目――いつもと同じはずなのに、ただ車内ってだけで特別かっこよく見える。それを私は知っている。知っているのだ。それなのに。


「運転が荒い!!」
「普通だっつの!!」
「黄色信号で交差点突っ切る馬鹿がいるか!!」
「ああいう場合は止まった方が危ないの!!玉突き起きたらどうすんのよ!!」


 自分だっていつも大雑把な攻撃している癖に!
 そう叫んでやりたかったが、それは流石に抑えた。運転中だ、もし左隣から拳が飛んで来たりでもすれば、それこそ本当に事故を起こしてしまう。物損ならまだしも、人身事故だとか私たちが負傷してしまっては大変だ。
 もう夕方だと言うのに疲れる様子もなく突っ掛かって来るティエリア。最初に私が言ったような、夢にまで見た甘い雰囲気の欠片もないこの車内。しかも逆なのだ、逆。何がって、席が。


 つまり、私がティエリアを助手席に乗せて運転している。















 事の発端は地上でのミッションだった。ティエリアは一人で降りると言って聞かなかったのだが、どうせ地上の地理関係なんてろくに分からない。ということでティエリアに内密でスメラギさんから与えられた私へのミッションが、地上でティエリアの世話と監視をすることだ。今回の滞在先は図らずとも日本、私の故郷だ。そう言った個人情報は確か守秘義務として扱われているから、スメラギさんだって知らないだろう。なんという偶然か(しかし私の出身地からは随分遠い場所だったため、正直なところ、懐かしいともなんとも思わない)。

 私も一緒に地上に降りるとティエリアに知らされたのは、なんと出発当日。リニアの中じゃティエリアの不機嫌さは最高潮だった。殆ど話していないし、目も合わせていない。おいおいそんなに私と一緒の地上が嫌か。それでも長時間の旅を耐えてここまで来たこと自体、誉め称えて欲しいものである。

 地上での移動手段は専ら車だった。私は一応、普通免許は持っているので、人ごみの嫌いなティエリアに公共交通機関を使わせるより、多少レンタル費用はかかっても車移動の方がこれ以上彼の機嫌を損ねずに済む。しかし車にしたら車にしたで、ティエリアの口うるさいこと。自分は免許だって持っていない癖に、やたら私の運転にケチをつけて来るのだ。確かに免許を取って何年も乗らない内にソレスタルビーイングにスカウトされ、宇宙生活となった訳だが、時折地上に降りては運転しているし、自動車学校での成績も悪くはなかった。それはもちろん、乗ってる年数の違うロックオンに比べれば劣るのだろうけど、平均的なはずだ。地上にいる内は私だってほぼ毎日車を乗り回していたのだから、立体駐車場だろうとバックで突っ込めと言われようとやってやることはできる。急ブレーキ急発進だってやっていないのに、この、ティエリア様と来たら!


「文句ばっか言うんなら歩きなさいよ」
「それでは時間の無駄だ。君の運転方法を矯正する方が早い」
「誰と比べてんか知らないけどね、私の運転は至って平均的なんです」
「それはどうだか」
「うわー!もう降りればいいのに!鍛えてんだから車の後ろ走って付いて来ればいいのにー!」
「うるさい。前を見ろ、青だ」


 お前は小姑か。
 わざとらしく大きなため息をついてアクセルを踏み込む。するとまた「荒い」と一言。だったら自分が運転してみろよ、と、しかしもうわざわざ口にはしない。ちょっと自分がガンダム操縦できるからって嫌になるよね。せっかくの地上、せっかくの車、せっかくオフ(ではないが任務が入っていないなら羽を伸ばしてもよいとのことだった)、それなのになんでこんな叫びながら運転しなくてはならないのだろう。

 再び信号が赤になり、パーキングに入れてサイドブレーキを引く。ハンドルに突っ伏してまた小さくため息をつくと、助手席の方をちらりと盗み見た。肘をついて窓の向こうを眺める綺麗な横顔。黙っていれば文句なしなんだけどなあ、としみじみ思う。そしてできれば逆だったらよかったのに。私が助手席、ティエリアが運転席。だが予想するに、彼の運転はきっと私より荒い。もしマイスターの中で順番を付けるとしたら、きっとロックオンが一番上手いだろう。刹那とアレルヤは同じくらいだろうか(刹那が運転できる年齢かどうかは別として)。ティエリアだけ頭幾つ分も下な気がする。繊細そうに見えるし実際とてつもなく神経質なのだが、どうもやることは荒い。私より荒い。まあアレだ、世の中に完璧な人はいないということに違いない。しかもティエリアが車を運転している所なんて、あまり想像できない。


「今失礼なことを考えていただろう」
「ふ…まさか」
「おい、」
「あっ青なんで進みまーす」


 ティエリアの言葉を遮って車を進める。忘れていたが、今どこへ向かっているかはティエリアには内緒である。これからしばらく一緒だと言うのに、地上にいる間中こんな様子では困る。毎日毎日地上は嫌いだとか聞かされてたら堪らない。別段自分の国が好きだとかそういう訳ではないが、さすがに地上のどこそこ構わず嫌いになられるのは、地球生まれ地球育ちの私としては悲しい。そんなわけで、まあ、ちょっとでも地上でいい思い出でも作ってもらおうと思い、ここから一番の名所だと言う夕日の綺麗な海まで連れて行ってやろうと言う計画なのである。行き先を教えなかったのも機嫌が悪くなった原因の一つなのだろうが、本当に沸点の低い男だ。

 少しだけスピードを上げて海まで急ぐ。もうそろそろ一番綺麗に見える時間だ。私も実際は行ったことがないが、ティエリアとは一切言葉を交わさなかったリニアの中で、一人せっせと絶景スポットを検索していたのだ。どうせ同じ地上滞在なら、少しでもいい思いする方がいいでしょ?それになんだかんだ言ったってティエリアは可愛い所も――。


「待て」
「何」
「今すぐ止まれ」






* * * * *






 初めて経験することで知って、驚くことがある。楽しいこと、嬉しいこと、苦しいこと、辛いこと。もしそれが前の二つならいい。けれど後ろ二つはできるなら経験したくない。誰だって怖い思いも痛い思いもしたくないのだ。それはこの人物だって同じだったらしい。


「まさかティエリア様が車酔いするなんてねえ」
「うるさい黙れ…これだから地上は…」


 悪態をつくまでには回復したものの、依然覇気がなく顔色の悪いティエリア。


「何でもかんでも地上のせいにしーなーいーのー。ほら、もう一つどうぞ」


 慣れない車のにおいも影響したのだろう、「止まれ」と命令されて何かと思えば、ティエリアの顔はいつの間にか真っ青だったのだ。すぐに近くの公園に入り、とりあえずティエリアを車の中から引っ張り出した。そして今はその公園のベンチで休憩中だ。ベンチに直に寝ると頭が痛いとまた文句を言いやがったので、仕方なく私が膝枕してあげている形である。そして更には喉が渇いたとか抜かしやがったので、缶ではなくコップの自販機で飲み物を買い、膝の上でげっそりしているティエリアにちょっとずつ氷を口に入れてやってる所である。

 残念ながらティエリアがこんな状態なので、海まで行くのは諦めることになった。多分もう三十分近くこのままなのだが、もちろん日は暮れてしまっている。大通りに面した公園なので暗くはないし人通りもあるが、通り過ぎて行く人々は一様に私たちを不思議な目で見て行く(違いますよ、この人お酒で潰れてるんじゃありませんから)。


「どう?ちょっとは楽になった?」
「ああ」
「じゃあ帰ろうか」
「…行きたい所があるのではなかったのか」
「んー、まあいいよ。またティエリアが酔ったら大変だし」


 そう言って顔を覗き込むと、眉根を寄せて私を見上げて来る。どうやら若干だが申し訳ないと思っているようである。そんなティエリアにまた一粒氷を押し込むと、今度はいつもの不機嫌そうな顔になった。こうして見ていると、仏頂面のふりして実はいろんな表情をしている。面白いなあ、なんて思いながら私も氷を一粒口に含む。すっと食道を通り抜けて行く冷たさを心地よく思いながら、帰ろうと言ってからも一向に私の膝の上から退こうとしないティエリアに視線を送った。けれど何の言葉も返って来ず、ティエリアもただ私を見上げてるだけ。


「悪かった」
「…は?」
「君の今日一日の計画を駄目にしてしまった」
「大袈裟だなあ」


 苦笑して紙コップを隣のベンチに置く。中身はもう殆どないし、ティエリアも回復したようなので、捨てて帰ろう。
 そう思いながらさっきからずっと視線を感じる膝上を見てみると、依然ティエリアがこちらをじっと見ている。そんな見つめられると恥ずかしいのだが、本人に伝わってないらしく、目と目がぶつかっても逸らそうとしない。その沈黙に耐えきれず「何なのよ」と聞けば(少し喧嘩腰になってしまった)、ティエリアはゆっくり片手を私の首の後ろに差し込むと、ぐっと前に倒した。鼻と鼻がぶつかりそうになる寸前で前へと倒す力は止まる。


「本当は嬉しかった」
「はい?」
「君と一日いられたことだ」
「…はい?」


 酔って頭のねじが溶けでもしたのだろうか。もう何センチとないこの距離でそんなことをぼそぼそっと私に伝える。突然の告白に私はなんと返せばいいのか、いや、言われている意味が分からず間抜けな声しか返せない。しかもさっきよりますます人の視線を感じる。今、前を向けないから分からないが、人通りのある時間帯にこんなことをしていたら不審な目で見たくなるのも分かる。
 そろそろ恥ずかしさが絶頂に達して、ティエリアに「離して」と言いかけた。しかし言葉を出すより先に、ティエリアは私の首の後ろに回していた手でそのまま首を辿って頬に触れ、親指で私の唇をなぞった。もしかしなくてももしかするパターンなのか、と、思わず顔が真っ赤になり、それと同時に心臓がうるさく鳴り始めた。いやいや待て、相手はさっきまであんなにも言い争いを繰り広げていたティエリアなんだぞ、と言い聞かせるも、顔が赤くなることや心臓のコントロールは自分でできるものではない。
 そんな私を見ていつものごとくふっと馬鹿にしたように笑ったかと思えば、いきなりデコピンされて「いだっ!」と叫んでしまった。反射で私は上体を離して額をさする。一方ティエリアは何もなかったかのように起き上がった。待て、さっき以上に状況の把握ができない。ぽかんとしている私の前に立つと、腰を屈めて私の顎を掴んだ。


「期待でもしたか、?」


 車酔いも抜け、本調子に戻ったのだろう。しおらしいティエリアはどこへやら、すっかりティエリア様がリターンしてみえる。

 近くでも見てもやっぱり整ってるティエリアの顔だとか、眼鏡を介さない吸い込まれそうな赤い目だとか、私の唇をなぞった指だとか、そういう全部にどきどきしたとか、惚れかけたとか、そんな風にうっかり思ってしまったけれど、まんまと騙された。そういうことは絶対にティエリアなんかに言ってやらない。そうでないとこれは余りにもアンフェアだ。
 そう頭の中では冷静に思いつつ、まだ顔から熱の引かない私は「うるっさい!!」と涙目で思いっきり叫んだ。


















(2009/11/14 ちょっとどきってしたとか言ってやらないんだから!)