雨上がりにキスを












 折り畳み傘をたたんで、は顔を上げた。さっきまであれほど激しく降っていた雨がぴたりとやみ、からりと晴れた夏の空。暑いのが嫌いなティエリアは、曇天の中、恋人が買い出しを押しつけられたにも関わらず何の反応も示さず、いっそ清々しいほどあっさりと送り出してくれやがった。嫌な予感がしていたため折り畳み傘を持って来ていたのだが、どうやら正解だったようだ。買い物が全て終わって帰路につく途中で急に降り出したのだ。ここは日本、肌に張り付くような暑さ非常に気持ちが悪い。加えて、日本の夏は湿気が高くじめじめとしているため、影に入っても全く暑さはしのげないのだ。割とタフなでもこのバテ具合だというのに、これはティエリアを置いて来て正解だったのかも知れない。もし無理やり連れ出しでもしていたら、あまりの暑さに機嫌を損ねるどころか口も聞いてくれなかった可能性もある。それでも一人で買い物というのはどこか寂しい気がする。はあ、と溜息をつきながらは指先についた雨の雫を払った。丁度その時、鞄の外ポケットに入れていた携帯が震える。「両手いっぱいなのに…」と毒づきながらなんとか取り出して通話ボタンを押すと、「追加注文!」とまず一言。クリスだ。


「今回の買い物の量ってばとんでもないの!もう重いったら!」
『え?、もしかして一人で行ってるの?ティエリアは?』
「ここは夏の日本だって分かってる!?あのティエリアが外に出るわけないじゃない!」


 暑さもあって苛立ち、つい携帯に向かって叫んでしまった。道行く人がを振り返るが、すぐに目をそらして各々がまた目的へ向かって歩き出す。誰もが早くこの暑さから抜け出したいのだ。更に、この通りにある喫茶店やファーストフード店はどこも人でいっぱいのようだった。も早く滞在先に戻りたいというのに、ようやく雨が上がって歩く速度を上げようとした時にこれだ。するとの爆発した不満に、ディスプレイの向こうのクリスは焦ってぶんぶんと手を顔の横で振った。


『ご、ごめん!じゃあ構わないから!』


 あまり大声を上げたことのないの怒鳴りにかなり驚いたらしく、クリスはしゅんとした。それを見てもさすがに彼女に当たるのは違うだろうと反省する。もし誰かに八つ当たりするのだとしても、それはクリスではない。ついて来てくれなかったティエリアでなければならないのだ。大体それ以前に、この時期の日本を滞在先に指定したヴェーダが間違っているのだ。そんな文句を言おうものなら、それこそまたティエリアにいろいろと言われそうなので胸の中にしまっておくが。
 は腕に食い込む薬局や書店の袋を持ち直し、「あー、いや、こっちこそごめん」と謝る。そしてとりあえず何が不足しているのかだけ聞くことにした。すると、さっきのの言葉もあって言い出しにくそうにしているクリス。気にしなくていいよ、と気休め程度かも知れないが声をかけ、彼女の言葉を促す。必要なものがあるならさっさと戻って買いに行き、一刻も早く滞在先に戻りたい。そしてティエリアに文句の一つや二つ言ってやるのだ。


『それがね、シャンプーきれてる人がいたみたいで…』
「悪いが我慢してもらう」
「え、あぁ!?」


 聞き慣れた声が後ろから聞こえたかと思えば、ぬっと腕が伸びて来ての携帯を取り上げた。がばっと振り返るとそこにはティエリアがいて、強制的に携帯の通話終了ボタンが押される。驚きと興奮で何を言っていいのか分からず、ただ目を見開いてティエリアを見ていた。白い指が携帯を畳んで適当にの鞄につっこむその一連の動作にすら気付かず、突然現れた滞在先で留守番しているはずの恋人には驚くしかない。するとの抱える大量の荷物の半分以上を、まるでさっきの携帯のように軽く取り上げ、何の説明もなくただ一言「帰る、早くしろ」。その言葉でようやく我に返り、早足で歩き始めたティエリアを慌てて追いかける。


「ティエリア!なんで、いきなり、」
「…雨」
「え?」
「急に、雨が降り出した。だから…」


 ぼそぼそと言うティエリアを不審に思い、その手元を見ると、一本のビニール傘。どうやらが折り畳み傘を持っていたことを知らなかったらしい。傘とティエリアを交互に見ていると、暑さとは別に段々とティエリアが赤くなって来た。なんだかおかしくて小さく笑うと、「間に合わなくて悪かったな!」と睨まれる。けれどその優しさが嬉しくて、さっきまでのイライラなど吹き飛んでしまった。もしかして、荷物を多く持ってくれているのも、間に合わなかったお詫びの一つなのだろうか。じわりじわりと胸に広がる愛しさ。は少し背伸びをして珍しく赤くなったティエリアの頬へ軽く唇を押しつけた。


「あはは、真っ赤」
「うるさい!先に行く!」
「あっちょっとティエリア!」


 二人でいる時は惜しげもなく恥ずかしいことだってさらりと言ってのけると言うのに、変な所で照れる。いつもはの方が真っ赤になると言うのに、今日は本当に珍しい。口元に手を当て、先程と同じようにこっそり小さく笑う。言ってやる言ってやると渦巻いていた不満や文句なんて、綺麗にかき消してしまうティエリア。本人は当然そんなつもりはないのだろうが、惚れた弱み、というやつだろうか。
 しばらく憤慨しているような後ろ姿を見つめていたのだが、本当にを置いて行こうとした背中が、ぴたりと止まって振り返る。いつもならすぐに追いかけるの足音がしないことを不思議に思ったという所だろう。まだ眉根を寄せたままのティエリアに向かって、は笑いながら叫ぶ。


「ありがと!」


 まだ、さっきの余韻の残る唇で。












(2009/7/20 次の機会には相合傘でも)

CAN'T TAKE MY EYES OFF YOU!さまへ提出。ありがとうございました!