手に入らないから欲しい

 仕事の合間にタブレットを確認する。あらゆる情報を入手するために、タブレットで新聞や雑誌もチェックするのは、もう何年も日課である。適当にスクロールする画面の中には、経済関係のものだけではなく、趣味娯楽雑誌もまざっている。ぴたりと、あるカテゴリーで指を止めた。女性ファッション誌だ。ある雑誌の表紙にいたのは、よく知る人物だった。目的の雑誌まで辿り着かず、ついそこでタップして読み始めてしまう。
 ―――今、若い女性から人気のモデルの一人だ。毎月雑誌で見ないことのない彼女は、今月も大手雑誌の表紙でクールな表情を見せている。誌面でも特集が組まれているが、その中では、今度神楽と組んで立ち上げられるブランド展開についても言及されている。

(また忙しくなりそうだな……)

 元々彼女は忙しく、頻繁に会っていた訳ではない。だが、これまで以上に会える時間が少なくなりそうだ。いや、今だって別に彼女は自分のものではない。大分思わせぶりなことを彼女の方にされてしまったが、ただそれだけだ。何か確約されたわけではない。連絡が増えたかと言われれば、そういう訳でもない。
 タブレットを置いて溜め息をついた。最後に会ってから、もう三か月は経っただろか。その間連絡を取ったのは数えるほど。彼女と幼馴染みである神楽や槙は特に何の用もなく連絡を取り合えるだろう。神楽に至っては仕事で関わることも多い。…しかし、果たして自分は人に連絡をするためにこんなにも躊躇う人間だっただろうか。こんなにも慎重になる性質だっただろうか。

『亜貴ちゃんにもよく言われる』
『慶ちゃんにも女の影がないのよ』
『今日は羽鳥さん、いないのね』

 思い出す彼女との会話は、自分以外の男性の話題ばかりだ。それも、自分にごく身近な。共通の友人である彼らの名前が出るのは自然なことなのかも知れないが、なんだか心の奥で引っ掛かるものがある。果たして彼女が神楽や槙と会う時、自分は話題に上っているのだろうか。いや、あの三人の場合は、他者をわざわざ出さなくてもいくらでも豊富な話題を持っていそうなものである。
 その時、プライベートのスマホが震える。メールやLIMEではなく着信の知らせらしい。画面に表示された発信元は、今まさに思いを馳せていたの名前。彼女からの着信なんてよもや夢にも見なかったが、なぜか通話ボタンをタップするのを一瞬躊躇ってしまった。

「…桧山だ」
です、久し振りね』
「ああ、活躍は聞いていたが元気そうで何よりだ」
『あら嬉しい。ここ三か月、ちょっと忙しかったの』
「毎月のように雑誌に出ていたな。あと、神楽とのアパレルブランドの仕事があったのだったか」

 覚えてくれていたの、という声がぱっと明るくなる。彼女が今、どんな表情をしているのか想像できるようだ。雑誌やウェブページで見るは、そのほとんどが凛とした表情だ。プライベートで見せるような可愛らしく笑う姿は少ない。それが彼女のモデルとしてのイメージであり、求められているものだということは自分もよく分かっている。だから、誌面の彼女を見る度に自分の中に生まれるのは、小さな優越感だ。自分はの本当の顔を知っている、と。

「…ところで、今日は何か用があったのか?」
『用がなきゃ電話しちゃ駄目だったかしら』
「え?」
『ふふ、なんてね。良かったら近々食事でもどう?忙しくなければ』
……」

 笑いをこぼしながら、悪戯っぽい声で揶揄って来る。どきりとする一言に、額を押さえた。そうだ、は“こういう”女性だ。久し振りのやり取りにすっかり油断していた。これまでも何度心臓を冷やされたか分からない。

「あとでスケジュールを確認しておく。今こちらも落ち着いているからな」
『楽しみにしてるわ』
「ちなみに、」
『二人よ、桧山さん。二人でゆっくり話したいの、久し振りなのよ』

 参った、本当に参った。先手を打たれてしまった。ちなみに二人か、と確認しようとしていた所だったのに。
には本当に敵わない。後にも先にも、勝てないと思う相手は彼女くらいだろう。羽鳥に言ったらまた笑われるだろうか。口だろうと力だろうと誰にも負けない自信はある。けれどどうしても、彼女を言い負かせる想像ができない。一瞬こちらが言葉に詰まると、あの余裕たっぷりな綺麗な笑みで、頬杖をついてただ見つめて来るのだ。そうすればもう、いよいよ何も言えなくなってしまう。
 誰かのものになど収まらないようなは、掴んだと思えば容易にすり抜けて行く。翻弄するだけして、本音をちらつかせるだけちらつかせて全ては口にしてはくれない。そんな姿を見る度に強く思う、それでもが欲しいと。敵わないと思っている間は決して手に入らないだろうに。


『なあに』
「いや、なんでもない。楽しみにしている」
『私もよ、桧山さん』

 欲しい、が欲しい、どうしようもなく。あの細く、折れそうな手首を掴んで引き止め、無理矢理に唇を奪えなかったのかと言われれば、できなかった訳ではない。けれど、そうした瞬間にきっと彼女は二度と手の届かない所へと去って行ってしまう。この手の内に留めておけないのなら、せめて自分がいつでも手を伸ばせるテリトリーに置いておきたい。だから今はまだこの距離で我慢しているくらいで良い。
 連絡待ってるから、という一言を残して通話は終わる。ツー、ツー、という電子音の向こうに、まだ彼女の小さく笑う声が聞こえる気がした。