眠い。すごく眠い。一度は目が覚めたけれど、体がだるいし眠い。もう一度寝てしまおうか。寝返りを打とうとして体を動かそうとすれば、今度は身動きが取れない。おかしい、どこか息苦しい気もする。重い瞼を開けてみると、何も見えない。分かった、抱え込まれているんだ。私以外の誰かの呼吸が聞こえる―――

「まっ……!!」
「ん……司書さん……?」
「さ、朔先生……!!」

 なんで、目が覚めてすぐって昨晩のことが思い出せないのだろう。朔先生と目が合って、ようやく思い出した。私は朔先生と2回目の夜を過ごしたのだ。しかも今度は、朔先生が私を離すまいとがっちり腕の中に抱え込んでいる。あの、初めて朔先生と朝を迎えた日、私の傍にいなかったことを先生なりに気にしていたらしい。けれど、だからと言ってこれは近過ぎだ。朔先生が私の頭の上で何かしゃべる度に、呼吸が髪を掠めてくすぐったい。

「せんせ、」
「よかった……」
「え?」
「司書さん、また泣いていたらどうしようかと思ったんだ」

 そう言って微笑むと、朔先生はぽかんとする私の頬に触れた。昨日私の身体のあちこちに触れた手だ。それを思い出すとまた昨晩の熱が戻って来るような気がした。じわじわと羞恥心が込み上げて来て、相変わらず頬を撫でる朔先生の手から逃れてその胸に額を押し付けた。こんな顔、見られたくない。またきっとはしたない女の顔をしていたに違いないのだ。どうせ何もかも見られているというのに、それでもやっぱり、それはそれ、これはこれだ。すると、朔先生は意地悪をするかのように私の髪に口付けたり、するすると背中を撫でる。暫く耐えてはいたものの、その手がとうとう腰に伸びようとしたと時、我慢できなくて私が顔を上げた。

「も、もう、朔先生!」
「司書さんが顔、見せてくれないから」
「だって……!」

 見せられるはずがない、こんな顔。はしたないだけでなく、こんな寝起きの顔。起き抜けから昨日のことを思い出して身体が熱くなるなんて、どうかしてる。だから見ないでなんて、そんなこと朔先生に言えるはずがない。
 昨日も朔先生は優しくて、ずっと気を遣ってくれていて、けれど今朝はなんだか意地悪だ。この間の仕返しだろうか。どことなくいつもよりテンションも高い気がする。ずっと嬉しそうにしているし、いつもだったら引き下がるところを、「もっと見せて」と顔を覗き込んで来る。結局私が負けて目だけ逸らすと、おかしそうに肩を震わす。やっぱり今朝の先生はどこか変だ。そう悪態をつけば、

「司書さんがかわいいから」

 なんて、さらりと言う。朔先生って、こんな人だったっけ。先生と恋人同士になるまでは、こんなぐいぐい来る人じゃなかったはず。朔先生から気持ちを聞いた時でさえ、お互い目も合わせられなかったのに、いつの間に朔先生だけが進んで行ってしまったのだろう。最近なんて、一緒に仕事をしていても時々引っ張られることがある。出会った当初の頃がまるで嘘みたいだ。

「か、かわいくなんてないです……っ」
「司書さんはいつもかわいい」
「かっ、からかわないで下さい!」
「本当なのに……」

 真っ赤になりながら朔先生を押し返そうとしても、それ以上の力でぎゅっと抱き締められる。朔先生にはその気はないのかも知れないけれど、上手く丸め込まれてしまった気がする。先生の腕の中にいるとどうしても落ち着くのだ。結局、私の反論がなくなればまた静かな空気に戻った。相変わらず朔先生はご機嫌なようで、私の髪を梳いて遊んでいる。まるで髪の先まで神経が通っているみたいに、私はこんなにもどきどきしているのにまるでお構いなしだ。

「司書さん、体は大丈夫?」
「…今更ですよ」
「ご、ごめん」
「…嘘です、別に、そんなに……」
「本当?」

 また、顔を覗き込んで来る。近いです、と言って押し返すも堪えていないようだ。ゆるゆると私の腰をさする手は、さっきと違って優しい。昨日もそうだった。ちょっと意地悪だったのはさっきだけで、昨日は、そう、確かに今よりもっとその手は熱かったけれど、性急に求められることはなかった。待って、と言えば止めてくれたし、嫌だ、と言えばしないでくれた。…また、私の我儘ばかりだ。
 さすがにもう、この間みたいに泣いたりはしないけれど、思ったように上手く行かないことがもどかしい。こんなこと誰にも相談できないし、きっと自分でなんとかするしかないのだろうけど、こんなにも先生を好きなのに、なんで体と心がまるで別物なんだろう。いや、心自体も二つあるみたいだ。

「朔先生は意地悪なの、優しいの」
「な、なんの話…」
「たまに、白秋先生みたいな所が、」
「司書さん、駄目だよ」

 そっと、手のひらで口元を覆われる。急に、優しかったその目が真剣なものに変わって、一瞬呼吸が止まった。

「駄目だよ、こんな時に他の男の名前を出しちゃ」
「…………」
「ね」
「……ごめんなさい」

 うん、と言ってもう一度私を強く抱き締める。
 あの目、昨日の夜を思い出した。私をまっすぐ射抜く目、私は半分意識を飛ばしながら、あの目が私を見下ろしていたのを覚えている。あの視線一つにぞくりとしたのだ。いい意味なのか、悪い意味なのか、私を喰らおうをしている目。別に怖いとか、そういうことではないのだけれど、見たことのない表情に心臓がきゅっとした。
 それきり口を噤んでしまうと、朔先生が私の指に自分のそれを絡めて来た。

「いくら自分の先生でも妬けるから」
「さくせんせ、」
「それに司書さん、かわいいし…」
「そ、それはもういいです…!」
「昨日もすごく、」
「先生っ!」

 茶化されたのか本気なのか。くすくすと笑うと、私の額に唇を落とす。その満足そうな顔を見るともう何も言えなくて、昨日と同じくらい強く先生の手をぎゅっと握った。握り返された手は、やっぱりあたたかくて優しかった。












(2017/04/21)