ひやりとした風が耳元を掠めて、私は目を覚ました。まだ半分眠っている頭で布団を引っ張り頭まで被る。けれど、まだ冷たい風は吹き込んで来る。何かおかしいと思い、身震いしながら布団から頭を出した。上半身を起こしてみると、ずるりと落ちた布団の下は、あろうことか何も着ていない。

「ひえ……っ!?」

 思わず再び布団を手繰り寄せて、ベッドの隅に追いやられてくしゃくしゃになっている服を手探りで掴んだ。何があったかを一瞬で思い出した。同時にかっと顔が熱くなる。そうだ、昨夜はそう、朔先生と、そう。布団の中で丸まって、服をぎゅっと握り締める。自分のベッドなのに、慣れない匂いがもう一つ残っている。それは私のじゃない。

「司書さん、起きたの?」
「…………」
「司書さん…?」
「…………はい」

 恐る恐る顔を出して振り返ると、窓際で煙草をふかしている朔先生がいた。私と目が合うと、はっとしたのか慌てて煙草を消して、気まずそうに頭を掻いた。私のいる前で煙草なんて吸ったことはなかったのにとか、居住棟の中は禁煙なのにとか、そんなことはどうでもいい。とにかく恥ずかしくて私はすぐに目を逸らす。朔先生も発する言葉に悩んでいるのか、口を閉ざしている。やがて、ゆっくりこちらに歩いて来るのが見えて逃げたくなったけれど、ベッドの上だし、後ろは壁だし、何より何も着ていないのに逃げられるはずもない。一歩朔先生が近づいて来る度に、心臓がまた一つ速くなる。そこで止まって、と思いながらぎゅっと目を閉じるけれど、そんな願いも虚しくとうとうベッドの前に朔先生が立つと、ゆっくりと腰かけた。少し沈むベッドに、いよいよ胸が痛い気さえする。

「司書さん」
「…………」
「司書さん、嫌だった?」
「ち、ちが……」

 嫌とか、そういうことじゃなくて。嫌だったらこうして、自分以外の誰かを部屋に入れることなんてしない。熱が出た時だって、森先生が部屋に入ったけれど、あれはまた別の話だ。それ以外で誰かを部屋に入れるなんて、余程好きな相手でなければ私はしない。だから当然、昨晩のようなことだって何の間違いでもない。間違いでもなんでもないからこそ、どんな顔をすればいいのか分からない。ひたすら恥ずかしくてどうすればいいか分からない。朔先生の顔さえ見ることができないほど。
あんなにも朔先生に名前を呼ばれたことはないし、あんなにも好きだと言われたこともない。それがまして、熱を孕んだ声であれば。それだけではない、私に触れる手も、肌を掠める吐息も、何もかもが熱かった。思い出せばますます恥ずかしさばかりが募る。それなのに、ぎゅっと目を閉じれば瞼の裏側に思い出されるのは昨晩の朔先生のことばかり。訳が分からなくて泣きそうだ。

「はずかしい…」
「何が?」
「自分が、はしたなくて…」
「司書さんが…?」

 朔先生を呼ぶ自分の声は、自分でも聞いたことのないようなもので、痛い癖にもっともっとと朔先生を求めた自分に後悔している。あんなはしたない私を見て、先生はどう思っただろう。幻滅していないだろうか、これきりだと言われないだろうか。

「司書さん、そんなに泣いたら目が腫れるよ」
「ひゃ……っ」
「…もう腫れてる」

 私の目元を撫でる朔先生の指先は冷たい。さっきまで窓際にいたせいだろう。けれど、私に触れている内にその指は段々と温かさが増して、目元だけでなく頬に触れる頃には昨日の夜の始まりを思い出すくらいの温度には戻っていた。まだどきどき鳴っている心臓のせいで息が苦しい。触れられている限り治らないような気がする。けれど、もう離して欲しいと思う裏側で、このまま頬だけでなく抱き締めて欲しいとも思う。欲張りなんかではない、やっぱり私ははしたない女なのではないだろうか。もっと、幸せな気持ちになると思っていたのに、なんでこんなにも後ろめたい朝を迎えなければならないのだろう。

「司書さん、泣かないでよ」
「だ、だってぇ……」
「もっと、その…笑ってくれると、思ったんだけど」
「う……っ」
「起きて、自分がいないのが駄目だった…?」

 違う、違うの、と首を振るけれど、困ったように朔先生は首を傾げるばかり。やがて、シャツの袖で優しく私の目元を拭うと、そっと抱き寄せた。

「はしたなくなんかない」
「で、でも、」
「だったら、そうしたのは自分だから」

 司書さんが泣くことなんかない、と言って子どもをあやすみたいに私の背をぽんぽんと優しく叩く。するとようやく安心して、握り締めていた両手から力が抜けた。しゃくりあげていた呼吸も落ち着いて、ゆっくり朔先生に体重をかける。
 やっと朔先生の気持ちを考える余裕ができる。私は酷いことをしたのかも知れない。受け入れられたと思っていた相手が、朝起きたら目を合わさないだけでなく泣いているのだ。朔先生からすればいい気持ちはしないし、傷付いたかも知れない。私は私のことでいっぱいだった。本当なら好きな人に、先生に抱かれたことは幸せなことのはずだし、おはようございます、と言って笑い合いたかったのに、あまつさえ「嫌だった?」なんて言葉を言わせてしまった。

「司書さんが嫌なことはもうしないよ」
「朔、せんせ……」
「司書さんの気持ちが変わらなかったら、それでいいから」

 朔先生の優しさは毒だと思う。この図書館に先生が現れた当初は、危なっかしい人だとばかり思っていたのに、目を離せないとばかり思っていたのに、いつの間にか甘えていたのは私だった。その優しさに甘えて、これまでどれだけ傷付けただろう。朔先生が優しくしてくれるからと言って、優しい言葉をくれるからと言って、最近の私は勝手が過ぎる。昨日だって、あんなにも優しくしてくれたのに。

「い、いやじゃない、かわってない、から」
「…………」
「もうしないなんて、言わないでぇ…」

 また泣きじゃくる私の髪を撫でる朔先生。くすくすと笑うと、両手で私の頬を包んで言った。

「じゃあ、次は笑ってよ」

 そんなことを言われればもう泣くしかできなくて、泣き出してしまうと朔先生がもう一度抱き締めてくれた。近く訪れるだろう次の朝を思って、私は目を閉じる。全身で朔先生の体温を感じてようやく、幸せだな、と思った。












(2017/04/09)