司書さんが本を貸してくれた。この図書館の蔵書ではなく、司書さんの個人の持ち物らしい。先生も読みやすいと思って、と渡された小さな文庫本は小説だった。現代の言葉がたくさん出て来て少し時間はかかったけれど、司書さんが勧めてくれたものだと思うと読むのをやめるということはできなかった。 「…それで、今度は朔が司書さんに勧める本を選んでるのか?」 犀に手伝ってもらって図書館内を歩き回っていたが、なかなか思うような本がない。いや、司書さんがどんな本が好きなのかが分からない。文学には明るくないと言っていた。詩歌もあまり嗜まないと。そもそも読書をあまりしないと言われてしまえば、頭を抱えるしかなかった。 「でも司書さん、最近気付くと何か読んでるぞ」 「何かって?」 「うーん…この間は森先生の本だったな」 「あとは」 「川端先生」 「それから」 「白さんの詩集読んで首傾げてた。…あ、これ白さんには言うなよ」 「言わないよ」 やがて、詩歌の本棚に辿りつく。そこにはもちろん自分や犀、白秋先生の本もたくさん並んでいる。伝記などの分類へ行けば転生前の自分たちの生涯について色々と書かれた本があるらしいが、そっちには足が向かない。それは誰もが同じだった。どうしても詩歌の本棚に足が向くけれど、白秋先生の詩集に首を傾げていたというならこの辺りは避けた方がいいだろうか。本当は勧めたいけれど、押し付ける訳にも行かない。 「案外中原とか読むんじゃないのか?司書さんが教科書にも載ってるって言ってたぞ」 「そ、そうなのか…」 でも、なんかそこは勧めたい気持ちにならない。しばらく本棚の前で悩む。また頭を抱えた。とうとう、犀はそんな自分を放って白秋先生の本を手に取っていた。 「…これにする」 「おう、……っておい、それ俺の本!!」 「さ、犀のは分かりやすいと思うんだ…!」 「それなら自分の勧めろ!!」 「いやだよ…!」 犀と暫く本を取り合っていたが、やがて大きなため息をついて犀が手を離した。好きにしろ、と言ってがしがしと頭を掻く。なんだか気まずそうにしている。いや、照れているのか。自分からしてみれば、いい本なのに。司書さんだって、きっとこの詩集なら首を傾げることはないだろう。自分も白秋先生も気に入っている犀の一冊だ。 「でもいいのか?」 「なにが?」 「それ、序文跋文に白さんと朔の文章載ってるぞ」 「あ」 「もう戻すのなしだからな」 「ちょ、ちょっと犀…!」 貸出カウンターへと速足で向かう犀は、自分の手からもう一度その本を取り上げてしまう。慌てて追いかけていると、本棚の陰から飛び出して来た誰かと思い切りぶつかる。「ひゃ!」と高い声を出して自分に倒れ込んできたのは、他の誰でもない司書さんだった。今まさに、話題に上っていた人物だ。あまりにタイムリーで自分はますます慌ててしまった。いたた、と言いながら体を起こす司書さんは、ぶつかった相手が自分だと気付くと焦って飛び退いた。 「ご、ごめんなさい…!」 「自分こそ、前、見てなくて…」 「怪我はありませんか?」 「し、司書さんこそ」 双方の無事を確認すると、司書さんはほっとしたように小さく笑った。最近、司書さんのちょっとした仕草や表情にどきどきしてしまう。ついさっきまで自分の上に倒れ込んでいたのだと思うと、思い出して顔が熱くなって来た。そのままお互い黙り込んでしまうと、犀が「いい加減立てよ」と言い、ここが本棚と本棚の間の通路なのだということを思い出した。こんなところで留まっていては迷惑だ。 「あ、そうだ丁度いい。ほら、朔」 「へ、い、いま…!」 「なんですか?」 「え、えっと……」 犀が「あとはがんばれよ」と言って自分に再び本を戻してどこかへ去って行く。 「えっと…」 「はい」 「これ…いい本だから…」 「朔先生のお勧めですか?」 「う、うん」 「……うれしい」 「え?」 「あ、い、いやなんでもないです!今日からさっそく読みますね!」 自分から本を受け取り、何かを誤魔化すように早口でそう言った。多分、聞き間違いじゃなければ司書さんは「うれしい」と言った。どういう意味かは分からないけれど、間違いなく負ではない言葉だ。大事そうに本の表紙を撫でる司書さん。そんな司書さんを見て、もうどうしようもなくたまらない気持ちになった。 |