人混みの嫌いな私は、今日の司書定例会議が憂鬱だった。まず人見知りは会議が自由席だと座る場所から困る。会議自体には司書のみの参加のため、会議開始までの空白の時間の居心地の悪さも嫌いだ。そして何より、今日は下期最後の定例会議のため、会議終了後に慰労会と言う名の飲み会があるのだった。最悪だ。
 私はお酒に強くない。きっと煙草を吸う人もいるだろうが、煙草も苦手だ。友人もいないからきっと延々一人だろう。参加費は多額ではないものの、寧ろ払うから帰らせてくれと言いたい。そんな憂鬱さが顔にに出ていたのだろう、出発前に萩原先生が私を心配そうに見ていた。

「なんて顔してるんですか、萩原先生」
「本当に、付き添いはなくて大丈夫かなって…」
「小さい子どもじゃないですし大丈夫です」

 そんな私たちのやり取りを見ていた白秋先生は、珍しく立場が逆だね、なんて言いながら笑っている。まあ、確かにいつもは私が心配をする方だ。

「すぐ帰ってきますから」

 そう言って十四時頃には図書館を出た。予想通り、友人のいない(正しくは作ることのできない)私は一人で会議室の隅っこに座り、各部門だの偉い人だのの話を聞く。各有碍書で起こった新たな問題や対処法くらいしか特別メモするようなこともない。只管早く帰りたいと思いながら話を聞く。暇だ、欠伸が出そうなほど。
 けれど会議が終わって終了ではない。遠方の司書を除きほぼ強制参加の飲み会がある。この時ばかりは遠方の図書館に配属されたかった、と思った。
 どうせ同じ飲み会なら、図書館の中だけで行いたい。みんな知った仲だし、共通の話題だってあるし、きっとそんな空間ならお酒だって美味しいはず。

(みんな、思いの外すごく飲むんだもんなあ…)

 私はせかせか働いていればいい。お酒が切れそうなら厨房から出してきて、みんなが飲んでいるのを眺めながら洗い物をするなり何なりしていればいいのだ。ずっと話に入ることがなくても、時々、司書さん司書さん、と何か頼み事をしてくれる。それくらいが丁度良いのだが。

(うわ、病気みたいだな……)

 まるでワーカホリックみたいだ。働きすぎだ、とたまに言われるが、もしかするとそうなのかも知れない。当たり前のようにしていたけれど。だから知らない内に疲労が溜まって、自覚がないまま顔に出て、萩原先生に心配される。

(て、いやいやいや)

 はっとして頭を振った。そこでなぜ萩原先生が出てくるのだ。いや、確かに助手はほぼ萩原先生だけれど、今そこで萩原先生である必要はなかった。犀星くんにだって言われるし、多喜二にも言われるし、秋声にも言われたことがあれば初期助手の重治にだって言われたことはある。ただ、白秋先生だけは「酷い顔だね」なんて笑うけれど。そうだ、今日送り出してくれたのが萩原先生だからだ。それになんだかんだ、やっぱり助手をしてもらうことが多ければ自然と話す機会も同じ部屋で過ごす機会も多いわけで――。

(いやいや、だからなんでそんな自分に言い訳みたいなこと……)

 なんだかすっきりしない。会議の内容ももう頭に入ってこない。とりあえず早く帰りたい。いや、でもきっと帰ったら真っ先に萩原先生が出て来るだろうから気まずくて―――

(いやいやだから!)

 萩原先生が真っ先に出てくると決まったわけではない。たとえこれまでがそうだとしても。なんだか帰りたいのか帰りたくないのか分からなくなって来た。なんだか一人で変な方向へ暴走している気がする。今この状態で萩原先生の顔をまともには見られないのではないだろうか。なんでだ、なんでかは分からないけれど、なんでだ。



***



 司書さんが月に一回の定例会議に行った。はじめの内は、誰か同行させていたという。まだ僕が司書さんに転生してもらう前の話だ。もう今はその必要はないと、毎回一人で行ってしまうけれど、本当は大丈夫じゃないように思う。いつも会議から帰ってきた司書さんはかなり疲弊していて、真っ直ぐに司書室に籠ってしまうのだ。会議で嫌味を言われたのだろうかとか、嫌な思いをしたのだろうかとか、心配するけれど疲れた司書さんを言及することはできないでいる。

「いや言及すればいいだろ」
「犀は会議から帰った司書さん見たことある?それはもう、すごく疲れているんだ」
「だからこそだろ、司書さんは溜め込む気質だし話してすっきりするんじゃないか?」
「ぼ、僕にそんな大役は無理だよ」

 犀みたいに聞き上手じゃないし、白秋先生みたいに話を振るのも上手くない。中野くんほど付き合いが長いわけでもない。確かに、最近はよく助手を任されるけれど。

「居心地の悪い相手とか、気質の合わない相手だったら助手にしないと思うけどな」
「そうかな…」
「だって司書さん、テンションについて行けないからって乱歩さんは助手にしないし」
「ああ……」

 確かに、そんなこともあった。とりあえず試してみる、という方向らしいが、一度きりの人もいるようだ。それを思えば、確かにほぼ毎日助手をしている僕は少しは役に立っているのだろうか。今では他の誰かに助手の立場を譲ることもなんだか、少し嫌だ。有魂書への潜書を言われれば仕方ないけれど、そうでないなら助手は僕がいい。例え白秋先生や犀でも、できることなら助手にしないで欲しいと思う。そんなこと、まさか司書さんには言えないけど。

「…それにしても遅いな」

 今日は会議の後に飲み会があると言っていた。遅くなるから図書館は閉めておいて欲しいとも。生活している方の棟も、鍵は持っていくから起きていなくて大丈夫だと言われた。「お酒なんて飲めないのに」と苦笑いしていた司書さんを思い出す。それでも強制参加なのだと憂鬱そうにしていた。飲み会であれば遅くなるのも仕方ないが、時計の針はもうすぐ天辺で重なろうとしている。まさか、帰り道の途中で倒れているのではないだろうか―――そう口にすれば、僕と犀の会話を聞いていたらしい龍がおかしそうに笑った。司書さんがいないのをいいことに、室内で煙草を吹かす龍は、ふう、と息を吐いて見せた。

「もう少し違う心配をしたらどうかな」
「違う心配?」
「彼女も女性だ、気になる男と二人、そのまま帰らない可能性も」
「なっ……!」

 まさかそんな、司書さんに限って。そんな影は少しもなかった。そんな様子は微塵にもなかった。だって、今日あんなに嫌そうに図書館を出ていったというのに、まさかこのまま明日の朝まで帰ってこないつもりだろうか。うちの司書さんに限って、僕たちに何の言伝てもなく。
 その時、玄関の方で何やらガタガタと物音がした。司書さんだ、司書さんに違いない。犀が呼び止めるのもよそに、急いで玄関へ向かった。

「あ、れ………はぎわらせんせ……?」
「司書さん、おかえりなさ、」
「んー……せんせ、」
「わ、わわ…っ!」

 ぼんやりした顔の司書さんは、出て来たのが僕だと認識すると、僕の方へ倒れ込んで来た。けれど、当然そんな司書さんを受け止められるはずもなく、そのまま後ろに倒れ込んでしまう。痛い、あちこちが痛い、頭も背中も思い切りぶつけて痛い。司書さんの頭が僕の顎にぶつかって痛い。そんな僕を見た龍は益々可笑しそうに笑った。犀はもちろんそのようなことはなく、慌てて駆け寄って来てくれたけれど。そしてぴくりとも動かない司書さんを犀が起こしてくれて、ようやく僕の体も自由を取り戻した。
 どうやら、司書さんはお酒に酔っているらしく、犀に支えられながらも相変わらずぼうっとした顔で眠そうに瞬きしている。

「はぎわらせんせー」
「な、なに」
「かえり、おそくなって、ごめんなさ」

 そう言ってがくんと頭が落ちる。そのまま起き上がって来ないかと思えば、やがてすうすうと寝息が聞こえてきた。
 そんな司書さんを見てほっとする。他の誰かの所へ行ったわけではなく、ここに戻って来たのだ。司書さんは僕たちに何も言わずどこかに行くなんてことはしない。今日は帰って来ると行ったのだから、帰って来るのだ。龍の煽りに一瞬でも惑わされた自分が恥ずかしい。司書さんが約束を破ったことなんてなかったのに。
 眠る司書さんの頬に触れると、いつもより熱いような気がした。なんだかどきどきしたけれど、こんな無防備な姿を帰ってくるまで一体どれだけの人間に見せたのだろうと思うと気が気でない。僕も人の多い場所は嫌いだけれど、次からは会議について行った方がいいのではないかと思う。

「朔、司書さん運ぶぞ」
「うん」

 ここを出ないで欲しいなんて言わない。けれど、ここを出るときについていけたらいいのに、と思った。











(2017/02/27)