先日、バレンタインにチョコレートを配ったら、いたく気に入られてしまった。バレンタインとはなんぞや、という説明から始まったこの図書館だが、バレンタインという行事などどうでもいいらしく、現代のお菓子に興味を持った彼らは、山ほど用意したチョコレートをあっという間に空にしてしまった。諸事情により業務用の大袋チョコレートを器にどっさりと乗せただけの味気ないものではあったものの、大変喜んでいたのでよしとしよう。来年はもう少し仕事にも慣れて余裕ができるだろうから、今年のようなやけくそのようなチョコレートにはならないと思う。…などと、来年のことを考えていた矢先だった。またチョコレートが食べたいとリクエストが来たのは。 「…これは、一体」 「チョコレートフォンデュですよ。色々用意したんでご自由にどうぞ。白秋先生のお好きな果物もありますから」 「合うのかね」 「合いますよ」 そのリクエストを出して来たのはまさかの白秋先生だった。まあここの所、北原一門の三人には潜書をがんばってもらっていたので、その慰労も兼ねてチョコレートフォンデュを提案したのだった。次こそ手作りでもしようかと思っていたが、何分時間がかかる。これならチョコレート以外にも楽しめるし、何より見栄えがご褒美らしくなる。大皿に果物やカステラ、白玉を用意し、チョコレートは人数分のカップに注いでおいた。最近はチョコレートフォンデュ用のセットもあるようだが、そのようなものなど使わずともちゃんと形にはなる。かなり簡単なものにはなるが。食堂で開催してしまうと人が集まって来てしまいそうなため、いつも通り司書室で行うことにはした。 しかし思っていたのと違う、とでも言いたげな目でこたつの上のチョコレートフォンデュ一式を見つめる白秋先生。犀星くんも萩原先生も困惑した様子である。 「皆さん座って下さい。食べ方をお伝えします」 「…思っていたのとちが」 「とりあえず座って下さい」 教えないことには始まらない。やや不服そうな白秋先生だが、とりあえず私の言葉に従って三人とも席に着いた。 「まず竹串に果物を刺します。チョコレートをつけます。食べます。以上です」 「…………」 「…………」 「随分雑だね」 「チョコレートが固まってしまう前にどうぞ」 「随分強引だね」 「お望みのチョコレートです」 「まあ、確かに言い出したのは僕だ」 意外と素直に言われた通りにする白秋先生は、好物の果物に手を出す。それに倣って、恐る恐るだが犀星くんも白玉を竹串に刺した。ただ一人、おろおろと二人を見比べている萩原先生。 「萩原先生、固まってしまいますよ」 「うん…」 「お気に召しませんでした?」 「ち、違うんだ、その」 「司書さんは僕には冷たいのに朔太郎君には優しいのだねえ」 「白さん……」 「……冷たくした覚えはないんですが」 白秋先生は逐一私の態度に口を出し過ぎだと思う。今も、せっかく萩原先生が何かを言いかけたというのに遮られてしまった。かと言って、ここで白秋先生を無視するとまたややこしい。延々ちくちくと小言を言われるものだから、放っておくこともできない。しかし、そこは今回は上手いこと犀星くんが相手をしてくれた。私は改めて萩原先生の方を振り返る。 「えっと、何でした?」 「その…いや、なんでもないよ、司書さん」 「そうですか?」 「うん」 そうは言うものの、まだそわそわした様子で手を付けようとしない。一方、他の二人の口には合ったらしく食べ進めている。白秋先生は果物ばかり食べているが。犀星くんも気に入ってくれたようで、いくつ目かの白玉を口に運んでいる所だった。萩原先生のことだから味を疑っているわけではないだろうが、何か不安げな表情を浮かべたままだ。私はともかく、萩原先生の分のチョコレートが固まってしまう。もちろんもう一度溶かすことだってできるが、何がそんなに気にかかるのだろうか。バレンタインにの際には萩原先生もいくつかチョコレートを持ち帰っていたし、嫌いなわけではないと思うのだが。 (…………あ、) 萩原先生がそわそわしている理由が分かった。 「ちょっと待ってて下さい」 「あっ……」 一旦司書室を出る。ああ、そういえばあれが足りなかったな、と思い出したそれを食堂から取って来ると、すぐに司書室に戻る。すると、萩原先生を見てぎょっとした。萩原先生も私を見て目を丸くする。 「し、司書さん、すみ、」 「すみません、遅かったですね。これ、すっかり忘れていて…」 「……そんなことは…」 いつも食事の時につけているナプキンを忘れていた。それできっと落ち着かなかったのだと思う。しかし、私が離れた間にチョコレートに手を付けたらしい萩原先生の胸元には、既にチョコレートが付着していた。この少しの隙に白秋先生がけしかけたのではなかろうか。しかし、白秋先生は素知らぬ顔で今度はキウイを取り分けている。 よくよく見れば萩原先生の手元も口元にもチョコレートは付着していて、いつもながらどのような食べ方をしたのだろう、という汚れ方だ。私は萩原先生の隣に膝をついて、おしぼりで口元のチョコレートを拭った。 「司書さん、ごめんなさい」 「何がですか?」 「よ、汚しちゃって……」 「私こそ、気付かなくてすみませんでした」 服は後で洗いましょう、と伝え、今度は萩原先生の後ろに回っていつものようにナプキンをつける。すると、ようやく安心したような顔を見せた。 「白秋先生が果物を食べきってしまう前に萩原先生もどうぞ」 「君は僕を何だと思っているのだね」 「果物がお好きでしょう」 「し、司書さん」 萩原先生の分を、と果物に手を伸ばそうとすると、その袖を隣から引っ張られる。その手の主である萩原先生を見ると、口をぱくぱくさせながら何かを言おうとしている。私だけでなく、白秋先生も犀星くんも萩原先生をじっと見つめる。すると、みるみる内に顔を赤くして俯いてしまう。そして、消えそうな声で「あ、ありがとう」なんて言う。その顔を見ているとなんだかこっちまで恥ずかしくなって来て、かっと顔が熱くなる。いえいえ、なんて返す声もぎこちなくなる。 「犀星くん、僕たちはどうやらいないことになっているようなのだよ」 「あー…ははは……」 |