その日、司書室に到着すると部屋の前にいたのは白秋先生だった。室内禁煙のルールを守って喫煙はしていないようだが、暇さえあれば外の喫煙所で吸っているのを見かける。少々心配にはなるが、何を言っても聞かない人だ。図書館内でさえ吸わなければもう何も言わないことにした。その白秋先生が、私を見るなり何やら含みのある笑みを見せた。おはようございます、と構えなが言えば、ああおはよう、と返される。 「僕はね、あの子たちは好きにすればいいと思っているし口出しなんて最低限で良いと思っている」 「はあ……」 「でも君は朔太郎君の孤独をどこまで理解できるかな?」 「は……?」 いつものようににこやかにはしているけれど、どこか棘のある言い方だった。人の言葉の裏を読むのは、私も得意な方だ。白秋先生は、恐らく牽制している。一見ここにいることに不満も不服もなさそうだし、なんだかんだ言って犀星くんや朔先生と再会できたことは嬉しそうだ。けれどそこに私という別時代の人間が置かれることに、いい気分はしていないのだろう。 別に、加わろうなんて気持ちは微塵もない。文学に関して何の学もない私がこの図書館に就任したのは、偶然アルケミストとしての力があったからだ。特別本が好きだとか、そういう訳でもない。ただ、図書館に就任し、彼らと接するとなれば嫌でも勉強しなければならない。だから、ある程度彼らの関係性や経歴は勉強した、つもりだ。そうなると余計私は邪魔なのではないかと自分でも思っていた。 「朔太郎君の詩を読んでどう思う?」 「どう……」 「あれが彼の生きている世界さ。分からないなら並んでは歩けないよ」 分かる、なんて到底言えない。それこそ、小説のように脈絡のある世界ではなく、ごく抽象的な世界のことなんて私には分からない。繰り返し読んでも見たけれど、私には何を考えて書かれたものか理解できなかった。それが、目の前にいるこの人物にはできるというのだろうか。同じ詩人であるこの人物なら。…まあ、できなければこんなことは言えないし、朔先生の師なんてしていない。けれど、それと私があの人を思うことは関係あるのだろうか。彼の考えるありとあらゆることを理解できなければいけないのだろうか。 「…あの人が生きてるのはこの世界です」 「…………」 「あなたたちにしてみれば腹立たしいことかも知れませんが、私は作品そのものより今生きているあの人に興味があるんです」 「ふうん」 「い、今は、ですけど……」 「なぜそこで弱気になるのだね」 そりゃ、あなたが怖いからですよ。なんて言えるはずもなく。いえ別に、と口籠る私は、白秋先生から目を逸らした。すると、私の答えに満足したのか何なのか、にっこりと笑うと「それでは、今日も励んでくれたまえ」と言って踵を返す。ひらひらと振られた手に、見えないと分かりながらも軽く会釈をした。 なんだったんだ、今のやり取りは。普段あれだけからかっておきながら、今更口を出して来るなんて。なんだかこれからあの人とも、朔先生や犀星くんと接するのが怖くなって来た。いや、あんな風に言われてしまえばここにいる全員だ。あんなことを言われないために、どう生きておくべきだったのだろうか。大学にでも行って、文学部にでも入っておくべきだったのだろうか。大学事情なんて、学科事情なんて知らないけれど。 「ああもうやだ……」 都会の職場の人間関係が煩わしかった。この図書館はそんな都会の喧騒から離れた場所にあって、もっと心穏やかに仕事できるだろうと思い切ってやって来たのに、ここでもまた人間関係に巻き込まれながら仕事しなければならないのか。 「好きなだけじゃだめなのー……?」 ああでも、今回ばかりは自分から突っ込んで行ったから自業自得なのかも知れない。 |