潜書に応じてボーナスが出るようになった。これでこの殺風景な司書室を改装するなり、仕事しやすいよう内装するなり、好きにしていいようだ。ただ、特に仕事現場にこだわりのない私は、こんなにたくさん臨時収入を得ても使い道が思い付かなかった。それなら、自分よりも実際働いてくれている彼らのリクエストを聞く方が有用だ。そこで皆の希望を聞き司書室に導入されたのが炬燵だった。彼等の時代にはなかったものだ。簡単に暖をとれるそれを購入したことで、たちまち私の仕事場は彼等の溜まり場になってしまった。 どういう風の吹き回しか、今日は北原一門が居座っている。 「…あの、私仕事が」 「僕の誘いを断るんだね」 「しごと……」 「へえ、国民詩人である僕の」 「しご……」 「司書さん諦めて下さい、白さんには勝てませんから」 「報告書くらいあとですぐ作れるだろう。せっかくこうして懐かしい顔触れが揃っているんだ。ゆっくりするといい」 「懐かしい顔触れなら私なんて益々お邪魔なのでは」 「犀星くん、蜜柑をとってくれるかな」 最早無視。私は仕事が早い方ではないのだから、こんなのんびりと炬燵で暖まっている場合ではない。それに何より、先程から白秋先生と犀くんが何やら論議をしているだけで、文学に明るくない私は場違いもいいところ。ちらりと隣を見れば、萩原先生も熱心に……というか、蜜柑の皮を剥くのに手こずっているようだ。 「萩原先生、剥きましょうか?」 「えっあっ…」 「ああ、僕のも頼むよ」 「……はい」 白秋先生は私を上から叩いて楽しんでいる節がある。いや、実際私は頭が良いわけでもなく、文学史なんてテストのためだけに暗記したようなもの。聞こえてくる二人の論戦は知らない言語のようだ。だから下に見られても仕方ないのだが(しかも彼は相当な努力家だったという)。この三人のあまりのでこぼこ具合に、どうして二人が白秋先生を慕っているのかも、萩原先生と犀星くんが友人なのかも割りと疑問には思っていた。タイプが違う方が仲良くできるものなのだろうか。 「……萩原先生は加わらなくていいんですか?蜜柑なら私が剥きますよ」 「あ、あのテンポに、ついてはいけなくて、論戦は…得意じゃ…」 「確かに饒舌な萩原先生は想像しにくいです」 「いやいや司書さん、朔も喋るときは喋りますよ」 「そうなの?」 「筆まめだしね」 「分かっているなら白秋先生は萩原先生に手紙を出してやってくださいよ…」 「や、やめ、司書さん、白秋先生は、」 「僕はそれほど筆まめじゃないのだよ」 「………………」 あっトドメだ。落ち込む萩原先生の顔を見てそう思った。なにせ萩原先生が助手の時は、まず私に確認する事項が手紙なのだ。これだけ待っているというのに、潜書に出ていない時でさえ白秋先生はなぜか萩原先生に手紙を書いてはくれない。いっそ潔いほどに読んでは積んでいる。一応、読んではいる。 「はははは白さん!!朔だって今更だろ!?」 「す、すみません、私余計なことを…」 「白秋先生は…お忙しいんだ…」 「は、萩原先生ゴメンナサイ…」 「謝る必要はないのだよ。それに、彼には僕からよりずっと欲しい人がいるからね」 「そうなんですか?」 「ああ」 「はっ、白秋先生…!」 「それは俺も初耳だなあ。もううちにいる人?」 「さ、犀もやめてよ…!誰でもいいじゃないか…!」 「私が頼みやすい相手なら声かけておきますよ?三好くん?芥川さん?」 「い、いや、ちが、違います司書さん」 「これは、なかなか手強い司書さんだねえ。未だ名前すら読んでもらえていないようだし」 「…………………」 「ええぇ……誰ですか……」 萩原先生を見ても顔を赤くして蜜柑の皮剥きを再開するだけ。なんだか見ていてこっちまで暑くなってきた。 有魂書へ潜書時以外は助手を務めることの多い萩原先生だが、多くの仕事時間を共にしているはずなのに、意外と知っていることは少ない。この図書館には彼らに関する資料も多く入れられているが、転生前の人生を勝手に探るようなことはできなくて、彼等の作品を摘まんでいるだけ。だからまあ、炬燵を設置して彼等と話す機会が増えたのは、現在の人となりを知るには良いことなのかも知れない。ただ、こんな風に仕事が進まないのは困るが。 それにしても、萩原先生が手紙を待っている相手が白秋先生以外にいたのは驚きだった。私も気になるけれど、未だ彼等の人間関係を全ては把握できていない身では予測も立てられない。そんな中、犀星くんがぼそりと呟く。 「…お、俺分かりました、白さん」 「さ、犀……!!」 「私は分からないんですけど」 「分からなくていい!」 「ひ……っ」 「あーあ」 「あー……」 びっくりした、萩原先生も大声出すんだ―――とでも思わなければ、この怒鳴られたショックをどうすることもできなかった。 「し、司書さん、違うんだ、あの、僕、」 「言えばいいじゃないか、司書さんからの手紙が欲しいって」 「ぉわぁぁあぁぁあ!?」 「へっ」 「あー……うん、そういうことだ、司書さん」 「そ、そういうことって」 「忘れて司書さん…!なんでもないんだ…!」 「は、はあ」 「なんだいそれ、ただ僕がからかっただけみたいなのだよ」 「白さんはからかってるだけでしょう」 まだ何やら白秋先生と犀星くんは言い合いを続けているけれど、さっきまでとは違う意味で頭の中に入ってこなかった。 私からの手紙なんて、なんの価値や意味があるのだろう。尊敬する師でも、親しい友人でもないのに。未だ彼等の詩集を読んだとて半分も理解できない頭の持ち主だ。白秋先生はとても面倒臭がりながらも詩の解説をしてくれるものの、自力で解釈するなんて何百年かかることやら。そう、常々言っているのに。 「し、司書さん」 「は、はい」 「今度、詩を書いて、持って来るから」 「ど……どうぞ…………」 「よかったねえ」 「きっ、きこえて……!?」 「この距離で聞こえない方がおかしいし、君は隠し事が下手だろう、昔から」 指摘された萩原先生はまた俯いてしまった。図星だったのか耳まで真っ赤だ。 (前にも言ったのに、難しすぎて全部はわからないって) それなのに、意外と萩原先生は強かだ。私なら理解しにくいと言われた時点で諦めるのに、返事をくれない白秋先生に延々手紙を書き続けているだけのことはある。 「まあでも、見ていたら可哀想になって来たのだよ」 「どういう意味ですか」 「色々な意味でね」 ふ、と鼻で笑われた。 酷い、と思いながらまたなんとなく萩原先生の方を見ると、蜜柑の皮剥きに参加していない白秋先生は置いておいて、その他三人の中で誰よりもハイスピードで萩原先生は蜜柑の皮を剥いていた。そんなにたくさん食べられるかしら、と心配になるも、無心に蜜柑の皮を剥いている萩原先生はなんだか声をかけにくい雰囲気で、それは彼の友人である犀星くんも同じのようだ。だがそこは流石師と言うべきか、「そんなにたくさん食べられるのかい」という白秋先生の一言でようやく我に返ったようだった。 「ご、ごめんなさい」 「い、いえ、私も食べますから」 「えっ」 「えっ」 「犀星くん、この二人摘まみ出してくれないかな?」 「い、いや……」 |