永久を知らない星たち

 この世は、儘ならないことだらけだ。まだ平均寿命の半分も生きていないのに、私は人生の殆どを諦めた。
 窓の外が薄明るくなって行く。これから新しい一日が始まるというのに、私はもう世界の終りの気持ちだった。

「見て、空が紫」
「ああ…本当だね」

 彼の肩に凭れて四角い枠の外の世界を見下ろす。眼下に広がる世界は見慣れたもので、駅へと続く一本道がよく見える。始発がそろそろ動き出すという時間では、まだ人なんて殆ど歩いていない。静寂の中の街はまるで時が止まったかのようで、このまま私もこの人と凍り付いてしまいたいと思ってしまう。
 私の髪を撫でる手が、そのまま肩まで降りてぐっと抱き寄せる。私も彼の背に手を回して、この手にその温度を焼き付けるかのように力を込めた。
 
「寂雷さん、」
さん、もう少しだけ」

 強いはずのこの人が、こんなにも弱いことを知ったのは、いつだっただろう。他の誰にも決して見せることのない顔は、私だけのものになっていた。それが嬉しくて、幸せで、彼に永遠に尽くしたいとさえ思った。私の何をどれだけ捧げても構わない程に。私だけの彼、彼だけの私、職場や友人の知らない互いは、たった一つ共有する秘密となった。
 窓ガラスの向こうの空の色が変わって行く。ここは夢などではなく現実だと突き付けて来るかのようだ。
 
「今なら世界が終わってしまってもいいのに。そうしたら、」
「そうしたら、このまま永遠になれる」

 言おうとした言葉を、彼が先に言ってしまう。私の考えていることなんて、きっともうずっと前から彼はお見通しなのだ。私も、彼の考えていることならおおよそ分かっていた。
 
「あなたとなら、逃げ出したって良かった」
「…すまない」

 くしゃりと彼の長い髪をシャツごと掴む。
 謝らないで、と何度も思った。謝らなければならないのは私の方なのだから。本当は、逃げ出せなかったのは私の方だ。私が望めば、きっと彼はどこへだって一緒に逃げてくれたし、私を連れ出してくれた。それを決してしなかった彼の優しさがこんなにも痛いのは、私への罰だった。何もかもを捨てられなかったのも、何もかもを裏切ることができなかったのも、全て私が弱かったせい。
 
「逃げ出したかったな」
「そうだね」
「ずっとずっと、そう思いながら生きて行くんだわ。これから先、ずっと」

 ぽたりと涙がこぼれる。逃げられないと分かってから我慢して来たのに、一度緩んでしまうと涙腺は壊れたかのように、涙は流れ続ける。私の目元を拭う彼の手を濡らしてもなお、止まることを忘れてしまったみたいだ。
 
「君があまりに辛くて、やっぱり逃げ出したくなったら」
「うん」
「今度こそ攫いに行くよ」
「約束よ?」
「ああ、約束だ」

 約束を一度たりとも破ったことのない彼を信じて、指切りをする。それは、彼に対するものではなく、自分に対して。彼との永遠を掴むためなら、もう今度こそ躊躇なんてしない。こんな思い、二度も味わいたくない。だから、もしも次に彼が現れてくれた時には、きっと全てを投げ打って彼について行くだろう。彼に贈られたものではない指輪のはめられた薬指を切り落としてでも。
 夜が明ける。朝陽が昇って行く。彼のものだった私が、知らない誰かのものになって行く。この身が酷く、忌まわしいものになって行くような気さえしてしまう。ただ今は彼の手を放すしかない現実から、どれだけの憎しみを積めば逃げ出すことができるかということしか考えられなかった。