ぐらつき

 以前新しいコスメブランドのCMモデルとして出てもらった桜河くんが、CM契約の更新をすることになった。売り上げが順調らしく、その一端を担っているのが起用した桜河くんのお陰らしい。アイドルの力ってすごい。そう言う訳で次の商品会議があった訳だが、依頼をするにあたって私はまたESビルを訪れていた。ここ最近、足を運び過ぎている気がする。
 無事に会議も終わった所で、遅めのお昼をどこかで取って帰ろうと考えていたら、桜河くんにランチに誘われてしまった。アイドルと二人で食事をするなんて避けたいのだが、逆にESビル内のカフェだと堂々としていて変に噂にならないのかも知れない。
 そう思いランチの誘いに乗ったのだが、前回の仕事の時に個人的に連絡先を交換していたこともあり、既に打ち解けている私たちは他愛もない話をしていた。最近の仕事がどうとか、メンバーの様子がどうとか―――主に仕事の話ではあるが。

はんってHiMERUはんと何喋りはるん?」

 藪から棒にそんなことを聞かれて、思わず口に含んだ水を噴き出しそうになった。

「何って、別に、普通に世間話だけど」
「HiMERUはんて雑談するん?」
「結構喋る方だと思うけど…え、そっちでは無口なキャラなの?」
「無口っちわけちゃうけど、雑談しとるとこは想像できへんわ」

 本格的にひめるくんの友人関係が心配になって来た。MDMを終えた今、ユニット内の関係の険悪ではないような気がしていたのだけれど、そこまで打ち解けてはいないのだろうか。いや、それも飽くまでひめるくんから話を聞いている限り、だ。別に、ユニットメンバーと仲良しこよししろという訳ではないが、どこまでもオンオフをきっちり分ける人だなとは思う。

「その…、二人はほんまに茶飲み友達っちやつか?」
「…私はそのつもりではあるけど」
「なんや逆に不健全やな」
「やめて桜河くんからそんな単語聞きたくない」

 耳を塞ぐジェスチャーをすると、桜河くんはあの独特な笑いをした。年が近いとは言え、飽くまで年下に揶揄われて楽しい案件ではない。なんとか話を逸らしたい。あまり人とひめるくんの話をするべきではないことは、以前天城さんとエレベーターで遭遇した一件以来学んでいる。
 そういえば、と先日のフレグランスの一件を思い出す。話題を変えようと、「そういえば!」と、多少わざとらしく手を叩いた。

「この間渡したフレグランスのサンプル、使ってくれてるんだって?」
「おん、ええ香りやっち言われるわ」
「ちょっと女性向けかなって思ったんだけど、桜河くんなら違和感ないかも」
「HiMERUはんも褒めてくれたし」
「…なんて?」
「せやから、HiMERUはんも」
「HiMERUがどうしたのですか」
「だからひめるくんが……わぁっ!?」

 人の噂なんてするもんじゃない。件の人物の突然の登場に、思わず椅子からずり落ちそうになってしまった。行儀悪いですよ、と私を窘めながら、なぜか自然に空いている椅子に座ってそのままランチに混ざって来る。今更、「仕事の話中だから…」なんて言って追い出すことができない。冷や汗が背中を伝う。
 もう殆ど食べ終えているので、じゃあ私はこれで、と立ち上がっても良かったのだが、なぜかそういう空気ではない。桜河くんが何か期待に満ちた目でこちらを見て来る。そんなに雑談をするひめるくんを見たいだろうか。この間fineとも仕事をしたけれど、アイドルの子たちってよく分からない。

「…ひめるくん、お昼まさか飲み物だけなの」
「いえ、もう済ませました。二人が楽しそうだったので混ぜてもらおうかと」
「仕事の話していただけだよ」
「へえ、では今後の参考にさせてもらうのでどうぞ続けて下さい」
「それは続け辛いでしょ。ていうか、暇なの?」
「少し空き時間ができただけですよ」

 私としてはいつも通りの会話をしているだけなのだが、私とひめるくんを行き来する桜河くんの視線がどうにも居た堪れない。少し早いけれれど、もうここを立ち去ってしまいたい。ひめるくんと自分の部屋以外の場所で話すのも落ち着かない。
 別に何か疚しいことがあるわけじゃないのに、周りの目が酷く気になってしまう。まして二人は、MDMである意味注目を浴びたグループのメンバーだ。私が過去、芸能活動をしていたことを知っている人間がここにどれだけいるかなんて知らないけれど、何事も火のない所に煙は立たない。余計な懸念事項を増やしたくはない。とにかく、居た堪れないのだ。
 ガタン、とそれなりの音を立てて立ち上がった。

「私!そろそろ事務所戻る!」
「お、おん、お疲れさん」
「ミニトマト残ってますよ、
「い、いいっ!」
「ではHiMERUがもらいます」

 なんだって、と制止するよりも先に、ひめるくんが私のトレーに手を伸ばす。サラダの小皿に残っていたミニトマトを、摘まんで、食べた。

「ひ……っ」
「どうしたのですか」
「ひめるくんそういうとこ!」

 家じゃないんだから、と叫ばなかっただけ褒めて欲しい。酷く動揺している。自分でも顔が真っ赤なのが分かる。返却口にトレーを返すと、その後もあちこち椅子やテーブルにぶつかりながら、カフェを出た。
 ここまで、と引いているはずの線に気付いてくれない。そういうひめるくんは、本当にひどい。本当にひどくて、ひどくて、けれど好きなのだ。