かわき

が風邪?」
「せや。今日の撮影来る予定やったはん、熱出たっちことでお休みしはったわ」

 外部のスタジオ撮影からESビルに帰って来た桜河から聞かされたのは、そんな知らせだった。今朝メールで連絡を取った時はそんなことは一言も言っていなかったはずだ。まさか、その後で急に熱が出た訳でもあるまい。

「一人暮らしで熱出る言うんは心細いやろな」
「彼女なら一人暮らしも長いので大丈夫でしょう」
「それでも女の子やろ、はん」

 体調不良に限った話ではないが、は昔からそういう弱みを他人に見せない人間ではあった。けれど、それなら何も今朝自分の送ったメールに返事などしなくても良かったではないか。別段、急ぎの用事でもなかったのに。いつもと何の変りもない返事を送って来ていた裏で、まさか体調を崩していたなんて想像できるはずがない。

「HiMERUはん、はんと知り合いやっち言うんなら、連絡してみてくれへんやろか」
「はあ、まあそれは構いませんが」

 構わないが、体調不良を隠していた彼女には思う所がある。自分は他の人間よりずっとに近いつもりでいた。にも拘らず、他の人間と一緒くたに体調不良を知らされなかったという事実に、少なからず納得が行っていない。それとも、自分がの近しい人間だと言うのは、こちらが勝手に思い込んでいただけだったのだろうか。

「社会人なら体調管理くらいしろとに言ってやらないと気が済みませんね」
「なんやはんに厳しいな…」





 昼間のそんなやり取りもあって、仕事が終わってから差し入れも持っての部屋を訪れた。インターホンを押すのも気が引けて、在宅なのは分かっていたが、教えられていたの部屋のデジタルロックのナンバーで部屋に入る。最初はそう安易に人に部屋のロックナンバーを教えたことに警戒心がなさ過ぎだと呆れたが、どうやら他に教えている人間もいないらしく、色んな意味で安心した。自分が悪人だったらどうするのだろうか。そう問うたが、「ひめるくんは悪用しないでしょ?」なんて的外れな返答をされただけだった。
 無機質な電子音と共に開錠され、部屋に入るとしんと静まり返っていた。寝ているのだろうから当然だが、いると分かっているのに気配がしないのは嫌な感じだ。控えめに寝室の扉をノックするが返事はない。そっと扉を開けて中を伺うと、静かに眠っているがいた。足音を立てないように近付き、その顔を覗き込む。普段よりずっと赤い顔をしたは、苦しそうに小さく唸っている。さっきちらりと見たキッチンも綺麗なままだったし、もしかしなくとも何も食べていないのではないだろうか。

、起きて下さい
「うぅん……」

 病人を起こすのは気が引けるが、リビングのローテーブルに乱雑に置かれた内服薬の袋も大分気になる。散々人には体調に気を付けろと普段言っておきながら、いざ自分が体調を崩せばこれだ。溜め息をついてを揺さぶった。すると、ゆっくりと目を開ける。眠そうなというのか、ぼんやりとした目で自分を捉える。額に触れると、まだ随分熱い。薬も何も飲んでいないのだろうことがよく分かった。

「ひめるくん……?」
「そうです」
「なんで」
「なんででも良いでしょう。それより、薬飲んでいませんね」
「しょくよくなくて……」

 そう言って、また目を閉じようとする。起きるよう促し、持っていたスポーツ飲料を手渡す。ペットボトルごと渡したが、力が入らないのか蓋を開けかねて、するっとペットボトルは滑り落ちてしまった。ゴトン、と鈍い音が部屋に響く。また溜め息をついて、今度は蓋を開けてかたに手渡し、更にその手の上に自分の手を重ねて支えた。蓋の空いたペットボトルを落とされてはたまったもんじゃない。
 分かりやすくイライラしていた。たかが風邪と言えど、自分にも連絡が来ると思っていたのだ。忙しくてもこうして寝込んでいる彼女を放っておけるはずなどないのに、自分を頼ろうとしなかったに、無性に腹が立った。
 一気に半分ほど水分を摂った彼女は、またそのペットボトルをこちらへ渡す。とりあえず、次は食事だ。

「お粥、買って来たんで温めて来ます」
「やだ」
「はい?」
「やだ、ここにいて」
「帰るわけじゃないのですよ」
「やだ」
、わ…っと」

 やだやだと小さい子どものような我儘を繰り返したかと思えば、身を乗り出して抱き着いて来る。想像以上に熱い体で。危うくバランスを崩して共倒れになる所だった。唐突な行動に、嫌な意味でどきどきしてしまった。怒りたい気持ちを押さえて「」と何度目か分からない彼女の名を呼ぶ。けれど、彼女は俺の肩口に顔を押し付けたまま嫌だ嫌だと首を横に振る。

「行かないで」
「…じゃあも来ればいいじゃないですか」
「そうする…」

 ゆっくりと離れると、またゆっくりとした動きでベッドから下りる。こんな甘えたな彼女は初めて見る。自立している彼女が我儘を言う所も。頭がぼうっとしているのだろうが、やけに素直で離れたがらない。結局、ひよこよろしくキッチンの中でも常に自分の後ろをついて回った。
 電子レンジで温めただけのお粥を「食べたくない」と言いつつも完食し、言われるがままに処方されていた薬も飲んだ。そしてまたベッドに戻ると、すぐに目を閉じてしまった。眠ってもなお手を離さなかったが、明日も仕事なのでさすがにここに泊まるわけには行かない。起こさないように彼女の手をすり抜けて、ここに来た時のように静かに寝室を出る。
 ローテーブルに書き置きを残して帰ることにした。今度体調を崩した時はすぐに連絡するように、と。自分が来たから良かったが、誰も来なかったらどうするつもりだったのだろう。薬も飲まず、水分も摂らず、下手したらこじらせて重症化していたかも知れないのに。
 そんな心配なんて彼女は知るはずもないのだろう。今度見る寝顔は、穏やかなものが良いと思ったことも。