にがみ

 クリスマスからの年末のSS、そしてお正月。かと思えば二月にはバレンタインもあり、冬というのはアイドルとしてのイベントが目白押しの季節だ。大丈夫だと言いつつも時々疲労を滲ませるひめるくんを心配していたのだが、すっかり一か月ほど私の部屋から彼の足が遠のいていた。時々ESビルで見かけても挨拶をする程度で、世間話すらする暇はなかった。ようやく「今日は会いに行きます」と連絡が来たのは、真冬の寒さがほんの少し和らいで来た頃だった。
 そんなに顔に出ていたのか、昼間ESビルで会った天城さんには「顔緩みすぎっしょ」などと言われてしまった。いや、緩んでいたつもりはない。なにかそう、天城さんはそういうフィルターで見ているからそう見えただけだ。未だに“メルメルの愉快な仲間”なんていうそれこそ愉快な呼び名でも呼ばれている。
 かくして、そわそわしながら私は自宅でひめるくんを待っている。いつもより念入りに掃除はしたし、ひめるくんが気に入っているという茶葉も切らしてはいない。その時、ピンポーンと、普段はあまり鳴らないインターホンが鳴る。もちろん、宅配のお知らせなどではなくひめるくんの訪問を告げるものだった。ひめるくんは、今はESの寮に入っているけれど、このマンションに借りている部屋も解約はしていない。だから、こうして鳴らされるインターホンは、マンションのエントランスではなく私の部屋のインターホンなのだ。
 なんとなく前髪をちょいちょいと直して玄関へ向かう。ドアを開けると、帽子とサングラスを着用したひめるくんが立っていた。テレビでは見かけるものの、久し振りの実物にわずかに緊張してしまう。固まってしまっていると、

「早く入れて下さい、

 今日は寒いんですよ、といつもの調子で入室を催促されてしまった。ひめるくんはいつも通りなのに、私ばかりが動揺しているみたいで恥ずかしくなる。
 部屋に入ってようやく装備を解いたひめるくんは、小さく息をついた。自身も同じ建物の中に部屋を借りていても、やはりいくらか気を遣うらしい。

「お疲れさま、忙しかったみたいだね」
「お陰さまで。ああ、これは桜河からのお土産です」
「お土産?」
「先日ニューヨークへ行っていたんですよ」
「ああ、IFFだっけ」

 ESからノミネートされた作品が二作受賞したとかで、国内でも話題になっていたことを思い出す。残念ながらひめるくんの出演作は受賞とは行かなかったものの、現地の投票でも得票数は悪くなかったという。

「わざわざ私にまで…」
はお友達だから、だそうですよ」
「友……友達だったんだ、私と桜河くんって」
「そのまま桜河に伝えておきますね」
「待ってやめて誤解」

 私をからかう時のひめるくんはいつも楽しそうだ。
 確かに、知り合いと言うと他人行儀だし、仕事仲間と言うとそれもよそよそしい。だからと言って友達と言うのも微妙に違う気はするのだが、桜河くんが友達と言うのならそうなのだろう。
 その友達からのお土産を開封する。ニューヨークの景色のポストカードと、赤い薔薇のプリザーブドフラワーだった。なんだかとても情熱的なお土産を貰ってしまった気がする。いや、どう考えても桜河くんに深い意味はなくて、「はんお花好きやったな! よっしゃこれや!」というノリで選んだに違いない、違いないのだ。この薔薇に罪はない。けれど、ちょっとどこかで桜河くんには贈り物のセレクトについて教えてあげないといけない気はしてしまった。
 それは後程考えるとして、このプリザーブドフラワーというものはとても可愛い。部屋に飾るなら生花にしているのだが、こういったものをインテリアとして導入するのも良いかも知れない。
 色んな角度からそれを眺めていると、やたら視線を感じた。その元を辿ってみると、それは一人しかいないのだが、ジト目でこちらを見ている。

「あの、ひめるくん」
と桜河は友達ですからね」
「いやあの」
「まあは友達とは思ってなかったみたいですけど」
「あのひめるくん」
「そんなものをもらってはさぞ嬉しいでしょう」
「いやあの」

 謀ったな。コッコッコ、と愉快そうに笑う桜河くんの姿が浮かんだ。天城さんにしても桜河くんにしても、私たちを引っ掻き回すことをやたらと楽しんでいるようだ。ひめるくんのこの反応まで想定した上で真っ赤な薔薇なんて選んだのだとしたらとんでもないことだとは思ったが、案外その説が濃厚のような気がして来た。頭が痛い。久しぶりに会ったというのに何もひめるくんの機嫌を損ねるようなイベントを用意してくれなくてもいいではないか。私はまだ、ひめるくんの機嫌の取り方を知らないのだから。

「……ふっ、」
「ひめるくん……?」
「真っ青ですよ、
「な……っ!」

 ひめるくんまでグルだったというのか。もう何も信じられない。

「残念ながら、の想像するようなことはありませんよ」
「ひ、ひどい……」
「慌てるが可愛くて、つい意地悪してしまいました」
「せ、せいかくわるい…!」
「コミュニケーションの一環のつもりだったんですが」

 そんな心臓に悪いコミュニケーションを図らないで欲しい。まだ変な動悸がしている。慌てるどころか焦りすらしたというのに、ひめるくんは至極楽しそうだ。まだ笑いをこらえて肩を震わせる様子を見ると、なんだかもうどうでも良くなって来てしまった。元気なら何よりとでも思っておかないと、私の気持ちのやり場がない。随分な空振りをしてしまったではないか。

「ひめるさんは絶好調ですね」
「ああ、怒らないで下さい」
「怒ってません。元気だなって思っただけです」
「あなたに会えたから元気になったんですよ、

 私の顔を覗き込んで、そんな調子のいいことを言う。ついさっきまで息をついていたのと同じ人物とは思えない振り幅だ。その顔に笑みを湛えたまま、私の手からそっとプリザーブドフラワーを取り上げる。テーブルの上に見向きもせずに置くと、徐に私の両手を握った。そして、その指先に唇を落とす。

「ほんっと性格悪い」
「ええ、そうでしょうね」
「分かってやってるんだから性質も悪い」
「浮かれているんですよ」

 浮かれる度にこんなことされていたらこっちの心臓が保たない。今度は私がじとりとひめるくんを見る。これくらいではもうそろそろ誤魔化されないんだから、と思いながら。けれど、ひめるくんは「怖い怖い」とおどけるばかりで、全く反省をしていないようだ。今日は本当に、いつもよりもテンションが高い。浮かれているというのは強ち嘘ではないのだろう。私だって、ひめるくんを迎え入れるまでは浮かれていた。そわそわしていたというのに、一気に急降下だ。自覚がある、拗ねていると。

「どうやって機嫌を取りましょうか」
「自分で考えたら? 推理はお得意でしょ!」
「困りましたね」
「困ってない癖に」
「そうですね、拗ねて可愛いなと思っています」
「ほ、ほだされないんだから」

 そう言っておけば喜ぶと思って、と心の中で舌を出す。けれど、当然ひめるくんも引きはしない。それどころか前のめりだ。

「ではの機嫌が直るまでいろいろ試してみましょう」
「い、いろいろ」
「はい、いろいろ」

 にっこりと笑って詰め寄って来る。一歩後ずさって、ああそういえばお茶が、と言いかけた所で、ひめるくんは私の手首を掴んだ。
 ああだめだ。頭の後ろの方で警鐘が鳴る。ここまで来たら簡単に陥落しそうな予感がしてならない。、と名前を呼ばれて、その顔がゆっくりと近付いて来たので、私はもう目を瞑るしかなかった。