本当の噓つきは誰
青天の霹靂、なんて言葉では足りないくらいだった。自分にとっても、にとっても。昨年の体育祭以降、とはずっと静かにやり過ごして来たつもりだ。多少の問題はあったとしても、大きな波風は立てず、進展も後退もせず、ずっと自分とは変わらなかった。がそれを望んだからそういう風に接して来たし、別にそれは苦でもなかった。がこのままを望むなら、ずっとこのままでいられる。進展もない代わりに、壊れることもない。けれどそれは何より大切だし重要だった。“幼馴染み”というのは危うい関係だということを知っているから。
それなのに、自分にもにも何の関係もない全くの第三者によって壊されることになるなんて、夢にも思わなかったのだ。
「いやまあこれは…悪質だよなあ…」
「が見たらただじゃ済まないんだけど……」
ひっきりなしに届く通知に嫌気がさし、スマートフォンをもう一人の幼馴染みであるま~くんに渡して三十分、同じやり取りを繰り返している。幸い星奏館のま~くんの部屋には他に誰もいなかったお陰で、人目を気にせずの名前を出すことができている。同室者、特にセッちゃんがいたらこうは行かなかったかも知れない。
今朝、ネットニュースサイトのエンタメカテゴリに堂々と載ってしまったのは、事実無根の自身のスキャンダル記事だった。Knightsのメンバーや親しい人物はそんなものデマだと自分を信じてくれるが、果たしてはどうか。あの繊細ながこの記事を見たらどう思うだろうか。その姿は想像に難くない。
「俺の計画が丸潰れ~…」
「なんだ、やっぱりとどうこうなろうって気あったのかよ」
「当たり前じゃん。何年好きだと思ってんの」
「いや知らねえけど…聞いてて恥ずかしいから幼馴染み同士のそういう話あんますんなって」
「大丈夫、俺とが付き合ったとしても仲間はずれにはしないから」
「もうそこはいっそ外してくれ……」
がま~くんにどこまで話しているかは知らないけれど、自分からはある程度喋った。何の説明もなしに三人がぎくしゃくしたり、変に気を遣われるのも嫌だったからだ。暴露したことで「逆に気遣うわ!」なんて言われたりもしたが、言わなくても遅かれ早かれバレていたような気はする。意外と、は三人でいる時に嘘が上手くない。
だから、今に会ったとして、きっとは上手に誤魔化すことができないと思う。それはもう、幼い頃から兄妹同然に育って来たから分かる。けれど放っておいていいかと言われればそうでもない。少なくとも今現在、自分とは“幼馴染みをぎりぎり装ってる風”と言っていいくらいだからだ。自分はずっとのことが好きだし、だってそう。それを知っていて幼馴染みを演じて、今回のことをスルーしてしまうのは多分まずい。そう装わざるを得ないだけで、きっかけさえあればすぐにでも一歩線を踏み越えたっていいのだ。
(……あれ?)
むしろ、この状況を逆手に取ってしまえばいいのでは。頭の後ろの方で悪魔が囁いて来る。
「…凛月、お前頼むからを泣かすなよ」
「ごめんま~くん、多分もう泣いてる」
「それ以上に泣かすなって! 朔間先輩に睨まれるの俺なんだぞ!」
「兄者はシメる」
スマートフォンを取り返し、すぐさまにメッセージを送る。ものの数秒で既読がついたが、丁度仕事が休憩中だったのか、暇なのか、はたまた休みを取ったのか。話があるんだけど、というメッセージに返って来たのは、実家にいる、という簡素な一文だった。これは実家に来いということだ。
「に会いに行って来るから応援しててね、ま~くん」
「俺は誰の応援もしないぞ、お前もも」
「良い報告できるようにするから」
「要らん!」
スマホだけを持っての家に急いだ。オフだったのが幸いしてこうしてすぐ対応できたが、もしそうでなかったらと思うとぞっとする。
ごめんなさい、と言って泣いたの顔がもうずっと忘れられないのだ。またあんな風に泣いていたらと思うと、会いに行かずにはいられない。この状況を利用してなんとか、という下心がないわけでもないが、いやむしろ最初はそうだったが、を泣かせたくないという気持ちだって嘘ではない。
拾ったタクシーが赤信号で止まる度に歯痒い。一分一秒だって早く駆け付けたいのに、信号を無視するわけにはいかないし、制限速度は守らないといけない。残念なことに、予想通りの時間を要しての家に到着した。とはいえ、スキャンダルが出ている中で白昼堂々の家の前にタクシーで乗り付けるわけにもいかないので、一旦すぐ隣の自分の実家に入り、表からは見えない裏庭を経由しての家に向かった。子どもの頃からの家に行く時はよく使う経路だ。直接繋がっているわけではないけれど、表の道からはの家に入ったことは見えない。
の家の裏庭から再度に連絡をすると、すぐに裏口へが迎えに来てくれた。ドアを開けてくれたの顔を見てぎくりとした。曇天のように暗い。目も合わせようとしないし、口も開かない。
「ごめん、遅くなって」
「…別に」
暗い声でそれだけ言うと、背を向ける。多分、入れということなのだろう。大人しくの家に上がり、について行く。家の中は無音だった。の両親は共働きで日中留守なのは知っているが、テレビもなにもついていないの家の中はあまりに静かである。
リビングの真ん中で立ち止まったは振り返らない。その背中に向かって、恐る恐る訊ねた。
「、見た?」
「なにを」
「その…記事……」
「見たけど。この間ドラマで共演してた女優さん」
「」
「別にいいんじゃない、ファンは減るかも知れないし、泣くかも知れないけど」
「」
「私には関係ないもんね」
は嘘が下手だ。自分に対しては特に。
「私なんて、別にちょっと昔から知ってるだけだし、ファンとかじゃないし」
「…………」
「なんの約束もしてないし、特別何かってわけでもないし、立場なら真緒と変わらないし」
「…………」
「…このままがいいって言ったの、私だし」
段々と尻すぼみになって行く声が、最後はほとんど掠れていた。声が掠れている理由も、目が腫れている理由も、暗い表情の理由も、全て察しはついている。ネットニュースは何もかも出鱈目だけど、夢ノ咲にいた頃のように、何もかもを把握できていた頃とは違い、だって不安になるのは仕方がない。それに、ほんの少しでも隙ができてしまった自分にも非はある。とはいえ何の間違いも犯していないし、断じて記事に書いてるようなことは一切ない。以外の誰かに目移りしたことも、ほんの少しだって気持ちが揺らいだことすらない。それでも、こうして目に見える記事として出てしまった。それは自分の非だ。
「それから?」
きっと、まだ何か言いたいことがあるであろうに、その先を促す。こんなこと前にもあったなと、昨年の景色をぼんやり思い出した。ほとんど日の暮れた帰り道で、しばらくゆっくり話せていなかったが、自分のことをたくさん話してくれた。授業がどう、レッスンがどう、教室の雰囲気がどうと、当たり障りのない会話だった。あの時とは、まるで空気が違う。
「別に、もう、何も」
「になら何言われてもいいよ、今も」
けれど、あの時と同じ言葉を繰り返した。すると、も同じことを思い出したのか、細い肩が一瞬小さく揺れる。
「何でも言ってよ、俺に怒る資格なんてないから」
「うそ、そんなの範疇超えるもん」
「超えない」
「うそ」
「うそじゃない、のことが好きだから、うそじゃない」
「は……」
ゆっくりと振り返ったは、泣きそうな顔をしていた。疑いに満ちた目でこっちを見ている。
さっきが言ったことの中には、ほんの少しは本心が含まれているのかも知れない。けれど、ほとんど嘘だ。の嘘を自分が見抜けないはずがない。
が逃げないのをいいことに、ゆっくりと近付いてその手首を掴んだ。弱弱しく首を振って、けれどそれでも拒むことをしないを抱き寄せる。嫌がることも拒否もしない、腕の中で大人しいに、一年前のあの日もこうしていればよかったと心底後悔する。多少強引でないとどうすることもできなかったのだと、一年越しに正解に辿り着いた気がした。
「はさ、俺にアイドルしていて欲しくないんだよね」
「…………」
「だからと言って辞められるものでもないけど、思うことは自由だしいいんじゃない」
「…でも、嫌でしょ、私がりっちゃんを応援できないの」
「まあ、嫌か良いかと言われると嫌だとしか言えないけど」
「私、りっちゃんが思ってるよりずっと嫌な人間だよ」
その場しのぎの慰めや謝罪の言葉ならいくらでもあるだろうけど、が求めているのはそんなものではない。ようやく少しずつ本心を話し始めたに、嘘で返すわけにはいかなかった。例えば、と返しての顔を覗き込む。よほどばつが悪いらしく目は合わせてはくれないが、きゅっと服を掴んで来た。
「そのまま炎上し続ければ、もうりっちゃん活動できないなって」
「…………」
「Knightsでいられなくなるなって、そうしたらここに戻って来るかなって」
「…………」
「昔は、私だけのりっちゃんだったのに、って」
話している内に、涙をこぼし始める。ぽたぽたと、大粒の涙がフローリングに落ちて染みを作っていく。
「私、今日、そんなことずっと考えてた」
怯えたように震えながら物騒な発言を繰り返したは、だけど変わらずにずっと好きだっただ。いつからか上手に取り繕うことも覚えていたけれど、今ここにいるは幼い頃から知っている素直なままのなのだ。嫌いになったでしょ、と涙ながらに言うを、さっきよりも強い力で抱き締めた。
嫌いになんてなるものか。やっと聞きたかったの本音を聞き出せたのだから、安心こそすれ嫌いになんてなるはずがない。それどころか、一年前とは違い独占欲を言葉として吐き出したが、たまらなく愛しいと思う。
「前にも言ったけど、俺はが好きだよ」
「うそ」
「今日のは疑り深いなあ……まあ、俺のせいだけど」
「ちが、りっちゃんのせいじゃ」
「俺、のものになるよ」
「え?」
そっと身体を離して、の頬を両手で包む。泣いて真っ赤になった両目がこちらをまっすぐに見上げている。何を言われたか理解できないとでも言いたげに、ぱちぱちと何度も瞬きをして。丸い目が今にも落っこちそうだ。
「Knightsを辞めることはできないけど、のものになるよ」
「いや、意味分からない……」
「が望むなら幼馴染みのままでもいいと思ったけど、もう無理でしょ。俺ももそれじゃ安心できないよ」
「で、でも」
目を泳がせて返答に迷う。アイドルを辞めないのであれば、の不安や心配の直接的な解決にはならないかも知れない。けれど、ただの幼馴染みでしかないよりは、ずっとを安心させてあげられる。自分も、ありもしない噂でを泣かせることはなくなる。多分もう、解決策はこれしかない。互いに好きだということは分かり切っているのに、ここまで来て待ったをかける理由もないだろう。
こつん、と額を合わせる。幼い頃、よく熱を出していた自分にはよくこうしてくれた。泣かないで、元気を出して、と言いながら。
「あと何が不安?」
「ば、バレたらクビだよ」
「すぐクビにはならないだろうけど、仕事は減るかもね~」
「や、やっぱり……」
「でも俺、も欲しいから」
一度青くなった顔が、今度は真っ赤になる。そして、一度引っ込んだはずの涙がもう一度溢れたようだった。
「りっちゃんが、わ、私のものになるんじゃなかったの」
「俺はのものになるし、も俺のものになるでしょ?」
「なにそれ、なにそれ…!」
「そうしたらお互い安心でしょ」
の手をぎゅっと握る。いつの間にか、自分よりずっと小さくなった手。昔は同じ大きさの手で繋いでいたのに、いつの間にか自分の手の中にの手が収まってしまうようになっていた。この手をずっと離したくないと思う。これまでもそうだったし、これからもずっと。
は、自分がから気持ちが離れる日が来ることを酷く恐れていた。けれど、そんな日が来るはずがない。なぜなら、よりも自分の方がずっと独占欲も強いし欲張りだからだ。にESで仕事して欲しくないし、他のユニットに曲提供なんかして欲しくない、ボイトレの先生だってもちろんして欲しくないし、じゃああのまま声楽家として成功して欲しかったかと言われれば、それもノーだ。の方こそ、なんの肩書きも持たずただ自分の手の内にいればいいと思っていた。夢ノ咲の外の世界になんて知らずに、ずっとここにいればいいと思っていたのだ。を泣かせたくない気持ちも嘘ではないし、を閉じ込めておきたいのも嘘ではない。
こんなことを知ったら、それこそは怖がるだろうか。
「だから、もう泣かないでよ、」
は嘘が上手くない。けれど、自分はよりも嘘をつくのが少しだけ上手い。だから全部は言わないだけ。今は、が安心できる言葉だけを選べばいい。たとえいつか、今日心の裏側に隠した黒い気持ちがに知られる日が来たとしても、それはまだ今じゃない。
まだ今は、は知らなくてもいい。を好きだという気持ちが嘘じゃないということだけ、知ってくれていればいい。
***
「今日ほどお前を敵に回したくないと思ったことはないぞ、凛月…」
「お褒めに預かり光栄の極み~」
「褒めてねえぞ!」
後日、事のあらましをま~くんに報告した。飽くまで掻い摘んでではあるけれど、話すにつれ目の前の幼馴染みの顔は青褪めていく。
「今からでも考え直せってに言うべきか…」
「もう遅いよ、ま~くん」
「お前ってそういうやつだよ…」
なんとでも言えばいい。こればかりはま~くんだって口出しはさせない。ようやくがただの幼馴染みではなくなったのだから。別に今すぐ取って食おうってわけではないし、束縛して仕事を奪ってやろうというわけでもない。飽くまで胸の内ではそう、というだけの話だ。誰だって大なり小なりあるだろう、程度の話なだけで。
「が大事なのは本当だよ」
「…………」
「だから泣かさない」
「……だったらいいよ」
ようやくに対して過保護なま~くんも納得してくれたらしい。
もしかして、のことで誰より説得が必要なのは目の前の人物なのでは、と今更ながらに気付いたのだった。