あまりの欠片

「凛月が拗ねてたぞー」

 昼前にスタプロの事務所の前で遭遇した真緒が、二言目にはそんなことを言った。

「なんで」
「直接聞いてみろよ」
「知ってるなら教えてくれても」
「そしたらますます拗ねるだろ。昔からそうじゃん」

 そうだっけ、と首を傾げるとわざとらしい大きなため息をつかれてしまった。
 秋ごろ、私が倒れてしまってからは時々生存確認程度にりっちゃんと連絡を取っているけれど、そんな様子は微塵にも見せたことがない。自分だって忙しい癖に、あれ以来ちゃんと定期連絡を入れるようにと言ったのはりっちゃんなのに、向こうからの返信はスタンプ一個とか、絵文字一個で済まされることが多い。そりゃあ、労働環境の改善された私よりも、りっちゃんの方が忙しい証拠なのだろうけど。

のことを俺の方が知ってるとあからさまに機嫌悪くするんだよ」
「最近はまめに連絡取ってるつもりなんだけど」
「頼むから、もうちょっと、凛月の末っ子気質を理解して接してやってくれ」
「そ、それはご迷惑おかけしましたね…」

 一体何を言われたのやら、かなり念押しされてしまう。そうして、真緒は次の仕事へと向かって行った。
 とはいえ、今回に限っては本当に心当たりがない。真緒曰く今回に限ったことではないととくとくと説かれてしまったが、ここまでの一連の流れについては謝罪もしたし説明をしたはずだ。これ以上何かと言われても。

「……あ」

 ただ一つあるとしたら、あれしかない。そこまで気にすることか、と首を傾げたものの、拗ねていたことすら私は知らなかったくらいだ。意外とりっちゃんの機嫌を損ねるポイントを把握することが、私は下手なのかも知れない。まさか仕事に関することまでとは思わないではないか。
 ポケットからスマホを取り出して、つい昨日連絡したばかりのりっちゃんに、もう一度メッセージを送る。「今日話す時間ある?」という簡素な内容のものだが、すぐさま既読が付き、「ある」とだけ返事が返って来た。秒の返信に思わず苦笑いしてしまう。授業中の時間ではないのか。
 続いて、何時、という二文字が画面に追加される。夜九時なら良いよ、分かった、また連絡する、うん。さくさくと画面上の会話は進み、一旦そこで終了した。授業ちゃんと受けなよ、と打って、自分が蒔いたらしい種にわざわざ引火する必要もないと思い、その一文はすぐに消した。



***



 てっきり電話で話すものかと思っていた私は、その日の夜、ESの社員寮にいたりっちゃんに思わず頭を抱えてしまった。

が星奏館に来るのは問題あるでしょ」
「りっちゃんがES社員寮にいるのも問題なんだけど…」

 もちろんりっちゃんがいたのはエントランスではなかったのだが、あろうことか私の部屋の前で、私の仕事帰りを待ち構えていたのだ。事務所の偉い人に見つかったら怒られるのは私なんだけど、と思ったものの、ここまで来たりっちゃんを追い返すわけにも行かなかった。確かに電話で、とは言わなかったけれども。
 社員寮とはいえごく一般的な賃貸アパートと同じような作りで、各部屋はプライベートも守られていればキッチンやお風呂も各部屋の設備として揃っている。だからこそりっちゃんを部屋に上げたのだけれど、よくよく考えなくても多分問題大ありなんだよな、と思うと、頭痛がするような気がした。
 そんな私の気も知らず、りっちゃんは最初からずっと上機嫌だ。これのどこが拗ねているものか。私の実家に来る時もそうだけれど、自分の家のように寛ぎ始めるのが早い。

「紅茶でいい?」
「気が利くねえ、今日はアールグレイの気分」
「はいはい」

 嫌でも増えてしまったたくさんの紅茶の缶から、ご所望のアールグレイをいれる。リビングに運ぶと、「褒めて遣わそう~」なんて言いながらカップを揺らす。それはどうも、と適当な返事を返しながら、無音が気まずくてテレビをつけた。りっちゃんと少し間をあけて、横並びに座る。テレビにはちょうど、かなり前に曲提供したアイドルが映っている所だ。
 どう話を切り出せばいいのやら。今こうして機嫌も良さそうなのに、わざわざ蒸し返す必要があるだろうか。いやでも真緒にもフォローをしろと念押しをされたばかりだ。ただ、りっちゃんと真面目な話をするのは、私は苦手なのだ。この前、情けない所を見せた手前、余計に。
 そんな空気を感じ取ったらしいりっちゃんが、カップをローテーブルに置いてこちらを振り向いた。

「で、の話ってなに?」
「私の話っていうか…いや、そうなんだけど……」
「ま~くんから何か聞いた?」
「少しだけ」

 そっかあ、と言ってりっちゃんは足を投げ出す。私は両膝を抱えた。

「別に隠してたわけじゃないよ、トリスタの曲を作ったこと」
「分かってるよ」
「Knightsにはユニット内に曲を作れる人がいるし、もし外の人間が作ったら…」
「反感買うだろうねえ」
「……うん」

 お互いに仕事だ、分かっている。彼らには彼らの方向性があり、それを守らなくてはいけない。彼らのためにも、ファンのためにも。ESという組織自体は春に立ち上がったばかりで、Knightsだって人気のユニットとはいえ盤石ではない。私も駆け出しの身だ、組織に所属しているからにはあまりに大それたことはできない。もっと確固たる地位を築いてかられあれば、その反対の声もごくわずかかも知れないけれど、今Knightsが外の音楽を取り入れることはリスクが高い。
 それでも一歩引いた時、どこかで割り切れないものがあることを私たちは知っていて、それはどうしようもないことだということも、もちろん知っている。私たちはまだ十代の子どもで、未熟だからだ。

「でも面白くなかった」
「うん」
「俺は面白くなかったよ」
「…うん」

 ぶすっと唇を突き出すりっちゃん。そんなりっちゃんに手を伸ばして、その少し癖のある黒い髪に手を伸ばす。

って俺の機嫌の取り方一辺倒だよね」
「ご、ごめん」
「こういう時は膝の一つや二つや三つ貸すものでしょ」
「膝三つあったら怖いし今貸したらりっちゃん帰らないじゃない」
「俺はに膝貸してあげたっていうのに」

 薄情だなあ~と毒づいて大仰にため息をつく。今日はため息に始まりため息に終わるらしい。いよいよ拗ね始めたりっちゃんに膝で近寄り、両手で少々雑に頭をかき混ぜてやった。

「ちょっと乱暴なんだけど~」
「また来ればいいよ」

 抵抗するりっちゃんの顔をがしっと掴んで、もう一度言う。また来てよ、と。仕方ないな、と口を尖らせる幼馴染みは、けれど満更でもなさそうだった。