許された午睡

 眠くて眠くて仕方ない。夜眠れない分の睡眠負債は、確実に昼間に圧し掛かって来ていた。会議中に倒れて気付けば医務室、そして無理矢理取らされた有給、ありがたいがいざ休もうとしても休まらない。昨日実家に帰って来たが眠れない夜は続いており、家族のいない日中のリビングで私はうとうとしていた。そこに、インターホンが鳴る。画面を覗けば、こんなところにいるはずのない幼馴染みが映っていた。

「ちゃんと夜寝て昼起きろって言ってたの、じゃなかったっけ?」
「ゴメンナサイ…」

 ESの社員寮から実家に強制送還された私を、りっちゃんは見舞いに、もとい笑いに来た。一体どこからその情報が漏れたのかぞっとしないでもないが、ややメンタルも落ち込み気味の今、りっちゃんが会いに来てくれたことには少なからず感謝はしている。
 三年に上がる際に夢ノ咲を退学した私は、これまでの声楽科における成績などを買われて、天祥院先輩の推薦でES預かりとなっている。そのためESの社員寮に入れてもらっているのだが、職を与えられ住も与えられと、世の中そう甘い話があるはずもない。ESでの私は想像を遥かに超えて多忙を極めていたのだ。

「俺に言ってくれればのES入りなんて絶対反対したのに」
「なんで」
「エッちゃんが噛んでるのに疚しいことがない訳ないじゃん」
「それもっと早く言って欲しかった…天祥院先輩の為人なんて違う学科の私が知るはずないでしょお…」

 一応客人なのでお茶を入れようとしたが、意外にもりっちゃんは「気遣わなくていいから」と、体調不良の私を逆に気遣ってくれた。以前はよく行き来した互いの家だ、勝手知ったるキッチンで好きに紅茶を入れているらしい。
 私も多忙だが、りっちゃんも忙しいのではなかっただろうか。先月、大きなイベントだったMDMは終わったけれど、テレビに雑誌にラジオにと、Knightsは手広く仕事をしている。相変わらずりっちゃんだって暇ではないはず。…待て、学校はどうした学校は。

「りっちゃん、あの……」
「学校はサボり」
「……私もうこれ以上真緒に頭下げるの嫌なんだけど」
「別にが頭下げる必要ないでしょ」
「いやあるでしょ」
「だとしてもま~くんがに怒ったことないし。二人とも俺にはよくギャンギャン言うのに不公平だよねえ」

 いやそれは自分の胸に手を当てて考えてみなよ、と喉元まで出かかって飲み込んだ。仮にも私を見舞いに来てくれた訳だし、あまり今りっちゃんを叱責するだけの元気もない。
 別に、職場で嫌なことがあった訳ではない。どの会議に出ても最年少の私が馬鹿にされたり舐められたこともない、…という訳ではないが、日常的に嫌がらせを受けるなんてこともない。確かに作った曲がなかなかコンペを通らないことが続くと落ち込みはするけれど、多分、何か一つが契機ではないのだ。積み重なった疲労と、背中に感じるプレッシャー、学生とは違い甘えが許されない環境―――色んなものが、何か言い表すことのできない不安となり、私を不眠へと陥れた。

「不公平とか、そういうのじゃなくて…」
「でも俺は優しいから、に膝を貸してあげよう」
「いや別にいいです」
「枕変えたら寝れるかも知れないじゃん」

 私が寝たいのは夜だってことを分かっていないのかこの幼馴染みは。今は必死に昼間の眠気に抗っていたのに。
 反論する気も失せている私に手招きする。リビングのソファに凭れたりっちゃんは、自身の膝を指差した。渋っていると、圧を感じる笑顔で今度は膝を叩いている。どうしてもそこに私を寝かせたいらしい。

「…普通に部屋で寝かせてくれた方がありがたいんだけど」
のベッド狭いじゃん」
「誰も一緒に寝てくれとは言ってないんだけど!?」
「そう、残念」
「なにが、」
、しーっ」

 そっと私の唇に人差し指をあてて、諭すように言う。寝なよ、と。
 昨年まで、度々授業を抜け出してどこかで昼寝をするりっちゃんを探して、起こすのはいつだって私の役目だった。けれど、今度こそ進級してちゃんと卒業するとりっちゃんは決めて、Knightsの活動にもまた真面目に取り組み始めてから、りっちゃんは睡眠リズムを夜に合わせるように努力をしていた。私はその過程を知っている。ずっと見て来たから知っている。あの頃、眠い眠いと辛そうにしていたりっちゃんに、がんばって、おきて、と声をかけ続けたのも私だ。
 今度は立場の逆転した私に、りっちゃんは起きていろとは言わない。夜眠れなくなった私を大して責めることも叱責することもしない。あの頃の、眠りたくても眠ってはならなかったりっちゃんの辛さを、同じように体験しているというのに。

「りっちゃん、わたし」
「寝られる時に寝たら良いよ」
「りっちゃん…」
「大丈夫、は元気になったらまた夜眠れるようになるから」

 そう言うと、今度は私の両目を片手で覆ってしまう。強制的に瞼を閉じられると、どうしても眠気に抗えない。りっちゃんの声も、さながら子守歌のようだ。

「元気にならなかったら?」
「元気になるまでに会いに来てあげる」
「ほんと?」
「ほんとだよ」

 りっちゃんはいつも怒らない。私が夢ノ咲を退学することを伝えなかったことも、りっちゃんに何も言わず家を出たことも、ESに入職したことを知らせなかったことも、再会した時りっちゃんは怒らなかった。気まずさから逃げようとする私を捕まえて、「良かった」とだけ言ったのだ。私はいつもあんなにも口うるさく言って来たのに、これまで一度もりっちゃんは私を責めたり怒ったりしたことはなかった。りっちゃんを甘やかしているつもりが、甘やかされて来たのは私なのかも知れない。

「だからおやすみ、

 抗い続けた眠気に従って眠りに落ちることはあまりに容易い。りっちゃんがいてくれることに酷く安堵し、何の不安も感じず意識を手放す。次に目が覚めた時も、きっと目を開ければ一番に映るのはりっちゃんのはずだ。それはあまりにも幸せな気がした。