あの日見た風景の続きに

 話したこともない女子生徒に「映画を撮らせて欲しい」と頼まれたのは、春の日差しが暖かな午後だった。昼寝場所を探し求めてふらふらしている内に、普通科の敷地にごく近いところまで来てしまったらしい。彼女は、映像制作部とやらに所属していると言った。

「卒業制作でショートフィルムを撮っているの。どうしてもあなたに演じて欲しい役があって」
「…て言っても、俺忙しいんだよねえ」
「最初から最後まで出ずっぱりとは言わないのよ」
「とは言え、映画は映画でしょ」
「そうなんだけど…」

 ほんの少しだから、と懇願される。されるが、これでも一応事務所に所属している身。勝手なことはできないし、正直本当にスケジュールも詰まっている。彼女の熱意は分からんでもないけれど、最早自分一人に何かを決められる権限はないのだ。そこは彼女も分かっているようで、話している内に段々と言葉が尻すぼみになって行く。
 向こうはどうやらこちらを知っていたみたいだけれど、普通科の事情に明るくないため、映像制作部なんて部活があることすら知らなかった。意外と部員数はしっかりいるらしいが、どうしても撮影側に回りたい部員が多い時期らしく、役者が揃わないのだそうだ。演劇科の生徒や演劇部の生徒にも声を掛けてみたが、彼らは彼らで卒業公演に向けて時間が割けないと振られ続けていると嘆いている。

「…あらすじは?」
「へ?」
「ショートフィルムのあらすじは?」
「あ、ああ!うん!」

 彼女は持っていたファイルを取り出し、ずいっと一冊の本を差し出した。いや、台本を丸ごと渡せと言ったわけではないのだが。それだけでぱっと表情が明るくなった彼女に、それだけころころ表情が変えられるなら、自分こそ役者を一度やってみればいいのにと思った。自分もドラマや映画の仕事が回って来ない訳ではないけれど、得意な方ではない。セッちゃんやナッちゃんなんかは、さすがテレビ映えもするし向いていると思うけど。
 ぱらぱらと台本をめくってみる。それに合わせて、彼女は説明をし始めた。

「卒業式が終わった日の話。これで良かったのか、選んだ進路に迷い始めている主人公が、卒業式後にそのまま何日か一人旅をする。その最後の地で出会う男の子の役をお願いしたいの」
「なにこれ、結構重要じゃん」
「この一言で主人公は吹っ切れてちゃんと高校生を卒業できるからね」
「え……しかも幽霊」
「ややファンタジー要素も入ってるの」

 まあよくある筋書きだ。だがその決め手となる幽霊の一言は、何度も何度も上からボールペンで書き直されている。その跡からも、かなり悩んだことが窺えた。

「…実は、まだ最終決定じゃないの、この台詞」
「ふぅん」
「キャストが決まらないと、降りて来なくて」
「あんたが脚本書いたの?」
「一応主導は私だけど、原案は何人かで」

 確かに、他のシーンにはこの少年は出て来ず、本当にラストの場面だけだ。クライマックスの数分だけに自分を使おうというのも大胆なキャスティングである。けれど決して悪気がある訳ではなく、彼女は何度も「どうしても朔間くんが良いんです」と口にする。何を見てそう思ったのだか分からないが、段々と気圧されてしまう。うっかり「はいはいわかった」と言ってしまいそうだ。軽率に受けて後でセッちゃんに大目玉喰らうのだけは勘弁である。
 この話一度持ち帰るね、と言うと、ガバッと頭を下げて「お願いします!」となかなかの声量を出す。その姿を見て、やはり役者をやってみても良いのではないかと思ってしまった。

 そしてその日、早速Knightsに件の脚本家―――に持ちかけられた話を持ち帰ってみた。する意外とすんなり許可が出てしまった。もうちょっと厳しいものかと思ったけれど、学内で収まることならあまり厳しく取り締まっていないとのことだった。どうやらセッちゃんの時も同じようなことがあったり、ナッちゃんはナッちゃんで写真部から卒業制作の被写体の依頼を受けているらしく、アイドル科の生徒も引っ張り凧らしい。Knightsだけでこうなら、他のユニットも同じような状況なのだろう。事務所の偉い人には自分で報告しなよ、と言われてしまったが、とりあえずを失望させることにはならなさそうだ。
 学校も仕事も終わって一息つき、台本と共に渡された連絡先にメールを入れる。すると、五分と経たない内に返事が来た。いやいや、暇か。

(撮影日は俺に合わせるって……そんなこと、言ってたら、終わらなくない?時間あんの?と…)

 更に返事を送ると、今度はやや時間が空いてからメールが届く。すると、この役が決まらなかった為にスケジュールはかなり余裕を持って組んであるらしく、その辺りは気にしない、とのことだった。まあ、部活の卒業制作なんてそんなものなのだろうか。
 その後続けて送られてきたのは、いくつかの動画ファイルだった。動画サイトにアップロードされているURLの一つをタップして開いてみると、それは過去たちが作ってらしい映像作品の動画だった。ご丁寧に、「朔間くんに出てもらうものはアップロードしないから!」という注釈付きである。
 驚いたのは、意外にも完成度が高かったことである。高校生の部活での作品なんて、悪いがもっとお遊び的な作りのものかと思っていたが、その再生数が結果を物語っているようだ。思わず見入ってしまったが、出演者によく知る顔を見付ける。

「げっ、兄者」

 一昨年の作品に兄が出ているのを発見する。これもまた、贅沢な使い方をしているようで、ラスボスのようなポジションだ。
 途端、対抗心が芽生える。「凛月も映像制作部に力を貸したんじゃな!」なんて喜ぶ姿が目に浮かぶのがやや癪だが、あの兄が引き受けて自分が断るというのは、なんだか収まらないものがある。そうだ、この事は黙っておこう。幸い、向こうも向こうで忙しいらしい。わざわざ事細かにこちらの動向を窺う余裕もないだろう。
 一旦動画を再生する手を止めて、台本に向き直った。…思春期の主人公が将来に悩む。しかも、進学も決まり高校の卒業式も終わった時点で。自分は、所謂こういう普通の高校生活は送って来なかった。その台本を通じて、これまで気にしたこともなかった普通科の生徒の生活が見えて来る。もこんな風に悩んだのだろうか。勉強に行き詰まり、部活との両立に悩み、進学先がなかなか決まらず、自分がどうしたいのか迷ったことが。
 確かに自分も、ユニットの行末やこれからの活動についてそれなりに悩むこともあるけれど、恐らく、不安の種類が違う。自分の味わうことのない焦燥感は、いまいちピンと来ない類のものだ。果たして、まだ思案中だという最後の自分の台詞に、ぴたりとはまることができるのだろうか。

(考えたって仕方ないか)

 別に、台詞を自分が考える訳じゃない。与えられた役を全うするのはいつもの仕事と同じだ。…台本をもう一度読み返して、ふと思い返してみる。別に、学校生活と言うものに執着した四年間ではなかった。普通科のような普通の高校生をしていた訳でもない。Knightsとして活動することに重きを置き出してからは、特に。今もまだあまり三年生という実感はない。それでも、もう少し時が進んで卒業が近付いて来た時には、何かしらの感傷に浸ることがあるのだろうか。今はまだよく分からない。あの教室に通うことがなくなることも、クラスメートと顔を合わさなくなることも、眠たい授業も、寝場所を探す昼休みも、当たり前でなくなることに対して何一つ実感がない。
 普通科の生徒たちは違うのだろうか。二言目には受験を振りかざされ、否が応でも高校生活の終わりを実感させられているのだろうか。あの、も。あのショートフィルムには、ただならぬ思いがあるように感じた。三年生は殆ど夏で退部する中で、を含む数人だけは完成まで携わりたいのだと言う。

(卒業制作か……)

 自分とは縁遠いものだと思っていた。そういう発想もなかったくらいに。元々人の為に動く人間でない自覚もある自分が、まさかこんな形で関わることになろうとは。
 アイドル科という特殊な場所を選んだ自分に、学校生活に対する未練なんてない。けれど、卒業制作という一種の儀式めいたこの作品で自分が在学したことを残せるなら、それはそれで悪くないと思った。



***



 いくらか時間が空き、スケジュールの調整がついたところで、ショートフィルムの撮影日になった。天が味方して見事快晴、撮影に参加する部員の誰もが嬉しそうにしている。夏日とは行かないものの、それなりに気温も上がるようで、早く撮影を終わらせたいとげんなりしている自分とはまるで逆だ。現場で落ち合ったも、先日以上に良い笑顔だった。

「そんな顔できるってことは、散々今日まで焦らした最後の台詞ができたんだ?」
「い、一応ね!撮影監督からもオッケー出たし…」
「へえ…」
「詳しくは監督に聞いて!私、今日はさほど口出さないから!」
「そ、残念」

 今回の撮影を仕切るのは、と同じクラスだという普通科の女子生徒だった。卒業制作と言うだけあって、今日集まっているスタッフは三年生も多い。主人公を演じるのも、卒業後に映像関係に進むという男子生徒だ。演じる側は今回の作品が最後だと言う。簡単に顔合わせをして挨拶もしたが、いかにも普通な、人の良さそうな男子生徒だった。光栄です、などと言われたけれど、自分は演技派で売っている訳ではないのに、なんて思う。きっと他意はないのだろうけれど。
 今日は、自分のスケジュールに全員が合わせて来ただろうに、嫌な顔一つしない。そこで、たかだか部活、なんて思っていた自分を殴りたくなった。も、それ以外の部員たちも、映像コンテスト以上にこのショートフィルムに注いでいる気持ちがある。三年間の集大成だと言う卒業制作のショートフィルムに、彼女らの学校生活の全てが詰まっていると言っても過言ではない。コンテストのようにプレッシャーもない、課題もない、彼女らが本当に作りたいものを作るのだ。最初で最後の作品として。
 自分にはKnightsがある。高校で始めたユニットだけれど、卒業後も続いて行く活動だ。けれど、彼女らは違う。卒業してしまえば、もう同じメンバーが集まることはない。
 始めまーす、という監督の言葉に、散っていた部員が集まって行く。近くで主演キャストと最終確認をしていたも、その声に顔を上げた。そのを、自分が呼び止める。


「なに?」
「俺、あんまり芝居の仕事はしないんだからね」
「…うん、知ってる」
「だからさ、ちゃんと見ておきなよ」

 預かっていた台本をに返す。すると、は嬉しそうに笑った。うん、と一つだけ頷いて。
 芝居の仕事は、あまりしていない。これからもそれをメインにするつもりはない。単純に、向いていないと思うからだ。役が憑依して来るタイプでもない、自分以外の誰かを演じることが好きなわけでもない。けれど、は言った。どうしても自分が良いと。自分の何を見てこの役を演じるのに適していると思ったのだか。
 いつものように大人たちに囲まれていない現場。周囲は同年代の高校生ばかり。ピリピリとした雰囲気など一切なく、和気あいあいとした空気が流れている。こんな現場は初めてだ。部員でもない自分が、ラストシーンだけとはいえキャストに抜擢されたことを、不服そうに思っている部員は一人もいない。居心地がいいな、と思ってしまった。順調に進めば進むほど、自分の出演個所の撮影は終わって行く。思った以上にスムーズに進んだお陰で、当初の予定時間よりも早く終わるかも知れないと。それがなんだか、惜しいような気がした。ああもう終わりかと、照りつける太陽を見上げる。こめかみを汗が伝った。

「本番いきまーす!最後なんで気合入れて行きましょう!」

 ラストシーンだ。ここに来て、現場には俄かに緊張が張り詰めた。一番重要なシーンだと、は最初に説明してくれた。自分の台詞で、主人公がようやく高校生の自分に別れを告げられるのだと。キャストが自分に正式に決まって、やっと書けた台詞なのだと。
 台本を改めて読んで、この台詞だけでなく、全てがするりと入って来ていた。まるで当て書きされたかのように。もしかしては、最初から自分に交渉するつもりだったのだろうか。そのつもりで書かれていると勘違いしてしまうほどに、役と自分が乖離していない。わざわざ本人にそれを確認するつもりはないけれど、だとすれば、それこそこんな光栄なことはないだろう。わざわざ自分たちの最も大切な作品に、無関係な自分をこうして加えてくれたのだから。何か一つ作品を作る大変さは、これでも理解しているつもりだ。それは、Knightsの活動でよく分かっている。

「朔間くん」
「なに、もうカメラ回る、」
「高校三年生の朔間くんは、今だけだね」
「当たり前でしょ」
「でも、ショートフィルムには永遠に残ってくれる。今の朔間くんが」
「……うん」
「ちゃんと見ておくから」

 そう言って、自分の背中を押した。何か、つっかえたものが取れたかのように、足が軽い。引き受けたものの、この天候に朝は怠くもなっていた。それが嘘みたいだ。
 カメラが回る。主演が自分を見る。これで良かったのかな、という彼の台詞の後、見計らったかのように大きく風が吹いた。ストップはかかっていない。みんな、息を呑んで芝居の中心を見守っている。風が止んだのを確認し、徐に空を見上げる。そしてたっぷりと間を取った後、小さく笑った。
 間違いなく、この世間に出ることのない作品が、自分の中で大切な映像作品の一つになるだろう。誰にも評価されることのない、内輪の作品。なんの利益にもならない、報酬も出ない芝居。それでも、引き受けて良かったと思っている。たった一日だけ、この撮影の間だけ、普通の高校生として普通の部活に参加することができた。思いの外、それが強く胸に刺さる。未練も何もないと思っていたが、やり残したことだったのかも知れない。
 最後の台詞を言い終えて、カットの声がかかる。その瞬間、わあっと拍手が起こった。きっとまだ他のシーンは残っているだろうに、まるで全て撮り終えたかのような。の方を振り返ると、両手で口元を押さえて泣いている。み、て、た、と口パクで伝えれば、しっかりと頷いたのだった。



***



「おかしいわねェ」
「鳴上先輩、こうじゃないですか?」
「ああもう二人とも退きなよ!」

 プロジェクターの配線を巡って、三人が争いをしている。別に、そんな大袈裟な準備は要らないって言ったのに、ナッちゃん曰く、「こんな大事な日にそうは行かないわよォ!」らしい。身内だけのイベントなのに、大事も何も―――と言ったら、また吠えられそうである。今度はガチャン、と派手な音がする。音の主はペン立てをばら撒いた王様だった。「ちょっと部屋傷つけないでよね!」今度は王様に向かってセッちゃんが怒鳴る。プロジェクターも映せる白い壁の部屋に住んでいるセッちゃんの部屋が本日の会場に選ばれてしまった訳だが、プロジェクターが片付くと最早各々が自分の家のように寛ぎ始めた。

「あっ!来たわよ!」

 ガチャ、という音と共にドアから控えめに顔を覗かせたのはだ。なぜか首だけである。早く入りなよ、と言うと、「凛月ちゃん言い方!」と、本日二回目の雷だ。ここまで来てそんなにこそこそしなくても、と思ったが、どうやらそういう問題ではないらしい。自分としても、早く入って来て欲しいのだが。まだその姿をしっかりとは見ていないのだから。とうとうナッちゃんも焦れたのか、立ち上がってドアまで近付くと、の手を引っ張って部屋の中へ招き入れた。

ちゃん素敵!似合うわあ~!」
「な、ななKnightsの嵐ちゃんにそう言ってもらえるなど…!」
「同い年の同級生だったじゃない~」

 真っ白なドレスを着たは、顔を真っ赤にして俯いてしまった。そんなに、ス~ちゃんが小さなブーケを手渡す。試着の時にも見ているはずだが、メイクもヘアセットもちゃんと施されたは、その時よりずっと綺麗だった。思わず、かける言葉を失ってしまうほど。目が合うと、控えめに「どうかな」なんて言う。いや、まあ、いいんじゃない、と、天邪鬼な返答が口をついて出てしまい、ナッちゃんが溜め息をついたのが聞こえた。
 と付き合い始めたのは、卒業してからだった。高校を卒業後、普通の大学に進学したは、大学の演劇サークルに入っていた。また脚本を書いているのかと思えば、なんと演者側に転身していたのだ。それを教えてくれたのは、あのショートフィルムで主役を演じた男子生徒だった。なんだかんだで時々連絡を取っている彼が、の状況も教えてくれていた。
 一体どんな心変わりがあったのか、撮影以降殆ど連絡をとらないまま卒業したに、思い切ってメールしてみたのが始まりだった。それからまたとの交流が始まり、交際が始まった。もちろん、自分がこういう仕事をしているからKnights以外の人間には内緒のままで。

「さあさあ並んで!ちゃんと凛月ちゃんの写真を撮らせてちょうだい!」
「って、俺に撮らせる気でしょ!」
「だって泉ちゃんが一番いいカメラ持ってるじゃない」
さん!私のスマホでも撮影して良いですか!」
「ス~ちゃん、なんで俺じゃなくてに許可取るかな~」
「いひゃいいひゃいいひゃい!Stop凛月先輩!」
「はっ!今ウェディングソングにぴったりな旋律が降って来たぞ!」
「本当うるさいんだけどぉ!!」

 写真撮影一つ、まともに始まらない。ぎゃあぎゃあと騒ぎ続けるこちらを見て、はくすくすと笑った。
 とは、婚姻届を出していない。まだ、Knightsの活動的に出せるような状況ではないのだ。けれどどうにか、にウェディングドレスを着せてあげたかった。の周りの女の子たちが次々に結婚していく中、俺はきっとまだ当分同じことをしてあげられない。それでも自分以外考えられないと、別れることを拒んでくれたと、なんとか、どんな形でもいいから結婚式を挙げたかった。そうメンバーに相談した結果、こうして誰かの部屋で小さなパーティーをしようと言ってくれたのだ。こんなことしかできないけど、と言うと、は泣いて喜んだ。

「…ねえ凛月、今日アレ見るって本当?」
「そのためにプロジェクター引っ張って来たからね~」
「…………」
「見たくない?」
「私、完成したショートフィルム、見てないの」

 ごめんね、と言って俯く。てっきり、編集後の確認も彼女はしているものだと思っていた。謝られるようなことではないが、なんとなく残念な気持ちになってしまった。だが、見なかったというよりも、きっと何か見ることのできない理由があったのだろうと思う。

「あのラストシーン、忘れられなくて…あの記憶を上書きしたくなかったの」
「ラストシーンって…俺の?」
「あまりにも綺麗だったから、あのまま残しておきたかった。映像にすればずっと残るって言ったの私なのに、変だよね」

 もう一度、ごめん、と言いそうなの手をぎゅっと握った。今度は映像の再生でもめている三人は、こちらの会話に気付く様子はない。
 あのショートフィルムは、今でも自分にとって大切な映像作品だ。けれど、それと同時にあの撮影こそが、彼女の中で永遠に汚せない作品になっていたのかも知れない。それまで映像に拘っていたという彼女が、舞台作品に傾倒していった理由が、初めてはっきりと分かった気がした。
 芝居は生物だ。あの日の演技を、今の自分がもう一度再現できることはない。映像に残せたとしても、生で見る感動や感激はまた全く別のものとして根付くだろう。彼女にとっては、あの日のたった一度きりの芝居がそうだった。

「今日見るの、やっぱりやめとく?」
「…ううん、見たい。凛月と一緒なら」
「そっか」
「お二人とも、準備ができました!」
「再生するからこっちに来なよ」

 の手を取って、プロジェクターの前を陣取る四人の傍へ近付く。足元気を付けなよ、と言うと、はこちらを見上げて幸せそうに笑った。