高校に上がって以降、ほとんど連絡を取らなくなった幼馴染と再会したのは、仕事の現場だった。正しくは、同じビルだがそれぞれ別のスタジオでの仕事だったのだが。
 風の噂で彼女はモデルをしていると聞いていて、セッちゃんやナッちゃんも会ったことがあるらしい。俺も一緒に仕事こそしたことがなかったけど、彼女が表紙を飾った雑誌でKnightsが特集を組まれたことがあったため、モデルの彼女の表情を目にしたことはあった。
 知っているようで知らない顔、知らないようで知っている顔。兄妹のように育ったのに、いつの間にか遠く離れてしまった幼馴染は、すっかり大人の女の顔をしていた。毎月雑誌で見ない日はないほど彼女が人気なのは、どちらかと言うと、近寄りがたいほどの美貌の持ち主だからというよりも、媚びやいやらしさを感じさせない清潔感や、頑張れば真似できそうな素朴な愛らしさ、こちらが尻込みしない大人っぽさのせいではないだろうか。女神のような美しさと言うわけではないのだ、彼女―――は。控え室にあった雑誌の表紙を見て、彼女の話題になった時に、俺は彼女をそう批評した。

『珍しいわねえ、凛月ちゃんがそんなに人を褒めるなんて』

 全くもって褒めたつもりのない俺は反論したかったけれど、面倒臭くてやめる。正しく評価をしたつもりだったけれど、まるでそんな風には聞こえないとスーちゃんにまで言われてしまった。
 で、廊下で鉢合わせした時にはびっくりしたようで、ぎこちなく「おはようございます」と、貼り付けた笑顔で挨拶をしてくる。まるでモデルとは思えないような下手くそな笑顔に、思わず吹き出しそうになって口元を押さえた。
 お互い、メディアで見かける顔は知っているけど、こうして実際に会うのは数年ぶりで、どうも実物だと言う実感が湧かない。幼馴染のから今やモデルのとなった彼女は、昔のような少女さはない。近寄りがたいような美人ではないと評したばかりなのに、確かにモデルの風格と一般人ではない雰囲気を醸し出している。綺麗になったな、と単純だけれど、そんな感想が浮かぶ。

「…はここで仕事?」
「う、うん、夏に向けた特集で」
「へえ。それ、衣装なんだ」
「そう、これ、新作のワンピースなんだけど、撮影のコンセプトが夏の小旅行で…仕事ばかりで長期休暇はないし、気分だけ夏休みができて良いよね」
「ふうん」
「ご……ごめん、興味ないよね、喋り過ぎちゃった」

 しゅんとした様子で俯く。口数が多くなるのは彼女が緊張している時の分かりやすい癖だった。昔はあんなにも仲良くしていたのに、自分はもう接するのに緊張してしまう相手になってしまったのかと、ショックを受けている自分がいる。
 別に、あの頃は手離したくないような存在ではなかった。いなければならない相手でもなかった。だって、もしそうであれば高校が別になった時点で自分の方から連絡を取っていたはずだ。けれど、それもしなかった。気まぐれに連絡しようと思えば、いつの間にか彼女は携帯の番号もメールアドレスも変わっていたし、まして、お互いの家を行き来することなんて当然なくなっていた。にとっても、幼馴染なんてそれくらいの存在だったのだろうと思うと、追い掛けるのも馬鹿らしく思えたのだ。
 そんな相手と何を話せばいいのか俺も分からなくて、何か言いたげなにかける言葉が見つからない。当たり障りない話題を探して、気まずい沈黙を破るべく徐に口を開く。

「…この間、の新しいCM見たよ」
「新しいって……ルージュの……?」
「夏のコスメに夏の洋服、忙しいみたいだね」
「り…りっちゃん、も」
「俺?」

 躊躇いがちに懐かしい呼び方で呼ばれ、どこか擽ったい。あの頃よりずっと大人びた表情で、体もずっと大人の女性になって、声さえもそう。聞き覚えがあるようで、けれど確かにどこか違う響きを孕んでいる。初めて呼ばれたかのようにどきっとした。けれど、動揺しているのをどうしても悟られたくなくて、飽くまで平静を装う。冷たいとさえ思われそうな抑揚のない声で応答する。

「もうすぐ、ツアー始まるんでしょ?」
「へえ、知ってんだ」
「CD、いつも聴いてるから。デビューした時から、ずっと…」

 何が自信がないのか、尻すぼみになる言葉。人通りのない廊下では、その最後まで聞き取れたが、つまり、自分の声も思った以上に冷たく伝わっていることが推測できた。その時、握っていたスマートフォンが震える。メイン画面には、そろそろ休憩が終わるから戻って来いというメッセージがセッちゃんから届いている。それを見てもはっとしたのか、つけている腕時計を確認した。それが私物なのか撮影小道具なのかは分からないけれど、の細くて白い腕によく映える紺色のベルトをしている。
 記憶の中にあるの手首は、あんなにも細かっただろうか。長いスカートの裾から覗く足首も、あんなにも折れそうなほど細かっただろうか。自分の中に残っている彼女のシルエットとまるで重ならなくて、やはり別人なのではないかと思ってしまう。その現実が何か自分を苛立たせ、ぎり、と奥歯を噛んだ。雑誌の中で見たことのない表情をしているを見た時と、まるで同じようなどす黒い何かが胸の奥にすとんと落ちて行く。

「そろそろ、戻らなくちゃ…まだ少し、撮影あるから」
「そう」
「りっちゃんもがんばって、」
「…さあ」

 の言葉を遮って声を被せる。むしゃくしゃとしたこの気持ちを、どうにかしたい一心だった。

「似合ってないよ、その口紅」

 その瞬間、は泣きそうな顔をして、けれど無理矢理に作った笑顔で「私もそう思う」と言って、俺に背を向けて走って行く。
 八つ当たりのような発言に、けれどそれでもすっきりしなくて、廊下の壁を思い切り殴る。ドン、と鈍い音がしたけれど、彼女の後ろ姿はもうこちらを振り向いてくれることはなかった。





「馬鹿ねえ、大馬鹿」

 事の顛末を知ったナッちゃんは、俺を強く叱責した。自分でも反省している。まさか、あんな顔をされるとは思わなかったのだ。最早、何を言っても言い訳にしかならないが、全面的に俺が悪い、と思う。
 今更、連絡も取らなくなった幼馴染みを傷つけた所で、別に生活に響くわけじゃない。俺だってもう高校生じゃないのだから。彼女にだって彼女の生活があって、偶然鉢合わせした幼馴染みの通り魔的な八つ当たりにぶち当たってしまっただけだ。

「んもー!そういうことじゃないのよ!女心が分かってないわねェ!」
「なるくん五月蠅い」
「泉ちゃんも何か言ってやってちょうだい!」
「鳴上先輩、そろそろ凛月先輩が机にめり込みそうです」

 後悔が圧し掛かって、机から顔を上げる気にもならない。ナッちゃんやセッちゃんに何を言われようが、ス〜ちゃんにどう励まされようが、元気なんて出て来る気配がない。最後に見たあのの表情が頭から離れないのだ。生まれてから高校に入るまでの十五年間、一緒に育った相手だ、簡単に傷付けていいような相手ではなかった。
 そんなこと本当は分かっている。本当は誰より大切にしなければならない相手だったのに、それができなかった自分への苛立ちだったことも。たった一言で関係が誰かとの関係がいとも簡単に壊れてしまうことだって、ずっと昔から知っていたはずなのに。

「別にメンバーのプライベートに口突っ込むわけじゃないけど、上手くはやってよね。そんなとこ誰かに目撃されたらどうなるか分かってるわけ?」
「泉ちゃんもそういうことじゃないのよ〜!」
「ああもうなるくん五月蠅いってば!」

 セッちゃんの言うことも尤もな正論だ。これから俺たちはツアーを控えている訳で、それに向けてテレビや雑誌の露出も多くなる。どんどん知名度も上がって行くし、人気だって右肩上がり。たった一人、疎遠になった幼馴染みがなんだって言うんだ。今更だろう、お互い遠い相手になったのは。だけど、Knightsのメンバーとしての自分と、幼馴染みを思う自分が葛藤する。

「それと、モデルの仕事でスタジオが一緒になると毎回くまくんのこと聞いて来るけど、面倒臭いから直接くまくんに聞くように言っといてよね」
「…………は?」
「泉ちゃんとちゃん、お友達なのよねェ。ちゃんも凛月ちゃんも心配なのよ〜」
「は?」

 聞き捨てならない言葉に、セッちゃんの方を勢いよく振り返る。セッちゃんとがお友達、それと、口ぶりからするにナッちゃんもと知り合いのようだ。確かに二人はモデル歴も長いし、どこかの何かで仕事を一緒にしていたとしてもおかしくはない。おかしくはないけれど、初めて知る事実に頭がついて行かない。

「友達じゃなくてこっちが先輩なんだけどぉ!幼馴染みの教育くらいちゃんとしといてくれる!?」
「待ってセッちゃん、その辺詳しく」
「ああもうこの話は終わり!撮影に戻るよ!」

 結局はぐらかされてしまったが、セッちゃんが単独でインタビューを受けている間にナッちゃんが色々と話してくれた。どうやらセッちゃんとは長い付き合いらしい。もう何年も前、何かのイベントで二人が一緒になった時に、の方からセッちゃんにコンタクトを図って来たのだという。もちろんは、セッちゃんが俺と同じKnightsのメンバーだと分かっていて近付いた。連絡も取らなくなった俺には直接聞けない普段の様子を聞くために。
 自分の知らない所で繋がっていた細い糸。辛うじて自分とは繋がっていた。切れてしまったとさえ思っていた繋がりは、自分ではない誰かの手によってなんとか保たれていた。それを今日、きっと自分で絶ってしまった。がどんな気持ちでセッちゃんに話しかけたのかも知らず。

「大丈夫よりっちゃん、女って男が思うほど弱くないもの」
「はあ…しかし鳴上先輩は、」
「それ以上言っちゃだめよぉ司ちゃん?」

 ぎゃいぎゃいと騒がしい二人を横目に、今日見たの姿をもう一度思い出す。綺麗だった。綺麗な大人の女性になっていた。雑誌で見るよりもずっと、実物の方が。
 それをそのまま言えば良かったのだ。別に自分の天邪鬼をこれまでさほど気にして来たことはなかったのに、珍しく後悔したのだった。



***



 梅雨に入り、じめじめとした日が続いている。遠方のロケが昨日で良かったと思う。今日のラジオ収録ですらこんなにも気が重いのに、大雨の中外を歩かなければならなかったかも知れないと思うと、どんよりと気分も重い。
 控え室にはいつものようにナッちゃんがいくつか雑誌を持ち込んでいた。その中にはいつだったかと同じように、が表紙を飾っているものもある。あの、鉢合わせした時に撮影されたであろう一冊が目に留まり、手を伸ばした。アプリコットのルージュの塗られた形の良い唇に、白い歯を見せて笑っている。あの時遭遇したが、もう夢のようだ。やはりこうして誌面で見ると、どうにも別人のような気がしてならない。実際会った瞬間、綺麗だと感動したあの気持ちは湧き上がって来ない。ぱらぱらとめくれば、表紙とはまた違う服を着たが現れる。雑誌を読んでいることに気付いたナッちゃんが、「あら」と言って隣に座って来る。

ちゃん、口紅の色変えたのねェ」
「え?」
「ほら、どっちかというと通年赤のルージュで通すような子なのォ」
「いや、ほらって言われても…………あ」
「凛月先輩が似合わないなんて言ってしまったからでしょうか」
「傷口抉るのやめてくれない?末っ子の癖に生意気だよ」
「い、痛い、痛いです凛月先輩Stop!」
「ま、まあ雑誌側の要望かも知れないし!ちゃんアプリコットも似合ってるわよ!ね!」

 弾力のあるス〜ちゃんの頬をぐいっと引っ張ってやる。…お菓子はあれだけ控えろってセッちゃんも言ってるのに、また食べてるな。

「別に、本気で似合わないなんて思ってないし」
「んも〜!だったら凛月ちゃん、早くちゃんに謝りなさいよね〜!」

 言われなくても分かっている。けれど、連絡先も知らないのにどうやってコンタクトを取れと言うのだ。最近はなかなか実家にも帰ってないし、恐らくそれはも同じだろう。と共通の友達だっていない。だからと言って、セッちゃんの力を借りるのも何となく癪な気がする。あの時のようにスタジオでたまたま遭遇するのが一番だけれど、そんな偶然が二度も容易に起こるはずがない。
 あれから、思ったよりものことを俺は引き摺っていた。時々夢にも出て来るほど。仕事に支障は来さないけれど、のことを考えない日はないくらいだ。夢に出て来るは笑っていて、赤いルージュが印象的だった。だから余計、雑誌を見た瞬間に記憶との齟齬が生まれて違和感しか抱かないのかも知れない。

「そんなくまくんに朗報〜。、また今日スタジオ同じだって」
「いや…だからさあ……」
「王様が帰って来てツアーのリハが始まる前にケリ付けて来てよね。そんなモチベーションで仕事して欲しくないんだけどぉ」
「瀬名先輩、なんだかんだ優しいですよね」
「貸し一つね」
「優しくないわねェ」

 さっさと行って来てよ、と意外と押しの強いセッちゃんに控え室を追い出される。バタン、と乱暴な音を立てて閉められたドアを苦々しく思いながら睨む。行って来いと言ったって、この広い放送局のどこにがいるというのだ。番組収録中だったら出会えるはずがない、はずなのだけれど。

「りっちゃん……?」
「…なんでいるかなあ」

 はそこにいた。大方予想はつく。セッちゃんが呼び出したのだろう。

「ご、ごめん、瀬名くんに呼ばれて」
「瀬名くん……」

 聞き慣れない呼び名に一瞬考えたが、俺も頭に思い描いている人物で合っているらしい。先日別のスタジオで会った時とは違って眼鏡をかけたは、気まずそうに俯いた。俺も俺で、何の心の準備もできていないままだったため、沈黙してしまった空気をどうにもすることができない。遠くの廊下からは人の声が聞こえるけれど、ここには二人きり。どちらかが口を開くまでは沈黙が支配するばかり。参ったな、と思いながら頭をがしがしと掻いた。こちらを向かないをちらりと見て、俺の方から話を始める。

「この間は、ごめん」
「この間……?」
「口紅似合わないとか、言って」
「あ、ああ、いいの、そんなこと」

 顔を上げたの唇は、赤い口紅は塗られていない。控え室で見た雑誌と同じように、もっと彼女の顔立ちに馴染んだ色味をしている。無理に背伸びをしているようには見えない印象に、彼女と再会して感じた焦燥感のようなものの正体が分かった気がした。

「綺麗になってたから」
「え?」
「久し振りに会ったが綺麗になっててびっくりしたって言ってんの」

 急にが大人になって、取り残されたような気がしたのだ。ずっと一緒に育って来ていたのに、いきなりだけが遠くへ行ってしまったような気がして。いきなりなんかじゃない、もうずっと昔に手の届かない所に行ってしまっていたはずなのに。再会することがなければ抱くことのなかった感情だ。

「…りっちゃんだって、もうすっかり男の人だね。いつもテレビで見てるのに、会ってみると全然違って」
「俺も同じこと思ったよ」
「ほんと?」
「ほんと」

 レンズの向こうの丸い瞳がこちらを見る。ぱちぱちと瞬きをする双眸は、もう不安そうには揺れていない。最初はぎこちなかった声も、段々と昔のように砕けて来る。それでも、もう彼女の話し方にも声色にも少女っぽさは欠片もなく、落ち着いた雰囲気が離れた年数の長さを表しているようだった。

「この間は、知らない人みたいでびっくりしちゃった」
「まあ、もう何年も会ってなかったし」
「うん」
「連絡先も、分かんないし」
「…うん」

 ポケットの中に入っているスマートフォンをぐっと握る。連絡先を聞くなら今じゃないか。これを逃したら、今度こそもう彼女にばったり遭遇なんてできないかも知れない。セッちゃんにもこれ以上貸しを作りたくはない。それに、他の男からの連絡先を聞くなんて面白くない。
 しかし、躊躇している間に「そろそろ戻らなきゃ」とが言い始める。あっさりとこの場を去ろうとするの手首を掴んで引き止める。それは、予想以上に折れそうなほど細かった。

「連絡先、教えてよ」
「それ、は」
「もうすぐツアーで忙しくなるし、東京も離れること多くなるし…」
「…………」
「…じゃなくて、その、…の声が聞きたいだけ」
「瀬名くんに、」
が教えてよ」

 なぜか頑なに教えてくれようとしないにじれったくなる。彼女の持っているラジオの台本にボールペンも引っ掛けられていたのを見付けて、強引に引っ手繰った。一枚めくり、俺の番号を殴り書きして押し付ける。ぐしゃりとそれを握ったは、また泣きそうな顔をする。

「りっちゃん、」
「連絡待ってるから」
「駄目だよ、りっちゃん、アイドルだよ?」
だってモデルでしょ」
「訳が違うよ」
「どういう訳があるっていうの」
「やめてよ、私、またりっちゃんを好きになっちゃう」

 絞り出したような声は震えている。は耳まで真っ赤にして、泣くのを必死で堪えているみたいだった。

「じゃあなんで今日ここに来たの」
「それ、は……」
「好きになってよ、俺もうを好きになってるから」

 言った瞬間、ぱっと顔を上げる。もう殆ど泣いているような表情で、は俺を見上げた。手背で頬に触れると、はらはらと涙がこぼれる。握り締められた台本に水滴が落ちて、文字が滲んだ。
 好きになっちゃう、だなんて、もう告白しているようなものじゃないか。俺だって、そうだった。再会した時の苛立ちも焦りも、こんなにも引き摺ってしまったことだって、原因はただ一つしかなかった。が好きだ。

「口紅、似合ってないなんて嘘だよ。この間のも今日のも似合ってる、とても」

 りっちゃんのばか、と言っては笑う。泣き顔の下手くそな笑みは、記憶の中にある子どもの頃の彼女の面影と重なる。それを見て、やっぱり何も変わってないなと思った。










(2019/05/31 企画『COFFRET』様へ)