が泣いたライブの後、何度かさんの事務所との仕事はあったけれどがアシスタントで来ることはなかった。体調が悪いとか、そういうことではないらしい。他の場所では仕事もしていると聞いた。小休憩の間に、さんにの様子を聞きに行った。

「今ちょっと参ってるから事務仕事させてんの。デジタル修正もできる子だから助かってるし」
「参ってるってやっぱりこの間の…?」
「あー、九条が気にすることじゃないからいいのいいの」
「かなり怒鳴ったんですけど」
「そりゃ乗り越えるのはの問題だからな。ま、でもそう思うならメールの一通でも入れてやってよ。別に事務所支給のソレ、マネージャー通すわけじゃないんでしょ?」

 確かに、事務所の携帯だからと言って中身をチェックされることはない。実際、これを使ってプライベートな連絡をして来る先輩もいる。それにさんの言うことも尤もだ。あれくらいで潰れるのならフォトグラファーなんて辞めて事務仕事に徹すればいい。
 いつもならそうやって割り切ることができる。これまで見て来たスタッフや後輩の中にもそんな人間はいた。一度の失敗で潰れて消えて行った人間を何人も見て来た。けれど、のことはどうしてか放っておけない。彼女にファインダー越しに見られた時からそうだ。

「………………」

 携帯を取り出して、宛先を選択する。。そういえば、初めて一緒に仕事をすることになった時、彼女からメールが入っていた。かなり仰々しいというか、他人行儀というか、きっとさんに言われて送って来たのだろうな、と思われる内容だった。龍と楽にも届いていたようだが、何かと忙しい時期で誰一人返信していなかったようだ。その詫びだと思って打てばいい。だが、タイミングがあまりに悪い。演じることなんて慣れているはずなのに、相手にどう振る舞えばいいのか、自分の経験の中からは探り出せない。それに、今更僕からメールが来て、彼女は喜ぶだろうか。逆に落ち込んだりしないだろうか。
 けれど、回りくどいことは嫌いだ。結局、「いつアシスタント復帰するの」とだけ打って送信ボタンを押した。












 その、自分でも素っ気ないと思うメールに返事が来たのは一週間後だった。ちょうどオフの日だったので、メールが来た瞬間に電話をかけてやった。

『は、はい………』
「あれだけのメール打つのに何日かかってんの?」
『……すみません』

 からの返信は、「未定です」だった。そのたった四文字に何かが切れた僕は、自分のことは棚に上げてを問い詰める。

「アシスタント放棄して事務仕事してるって?」
『……はい』
「人手不足って言ってもドロップはこれまでだってその人数でやって来てるんでしょ?君、何してるの」
『すみません……』
「僕を撮りたいって言ったのは嘘?」

 とうとう、何の言葉もなくなった。腹が立ったのは、期待したからだ。事務所の絡まない、仕事の絡まない所で僕の写真を撮りたいと言ってくれたことが、柄にもなく嬉しかった。いつか、が主軸となってTRIGGERの撮影の仕事をしてくれたら、とも思ったくらいには。それがあの日、あんな風に泣いて、TRIGGERの仕事には顔を出さなくなって、初めて辛いと思った。いつもなら失望するはずだ、こんな人間だったなんて、と。けれどにはそうは思わなかった。これはもっと仕事から離れた場所で生まれた気持ちで、僕個人が勝手に期待して、裏切られた気分になっていた。は仕事のつもりで言ったかも知れない言葉を、勘違いして受け取っていたのかも知れないのに。
 随分と長い沈黙の後、は呟くように、ほとんど聞こえない声で言った。

『まだ、撮っていいんですか』

 自信なさげに揺れる声。彼女のことなんてまだほとんど知らないのに、どんな表情をしているか容易に想像できた。

「まだも何も、まだちゃんと撮ってもらってないんだけど。この間のライブの写真も君のはほぼ全部没だよ」
『…聞きました』
「一枚だけ」
『え?』
「一枚だけ、僕が選んだ」
『……うそ』
「五曲目が終わった捌け際を狙った写真。あれは完全に気付かない不意打ちだった」

 本当だ。あの膨大な量を全ては確認できないから、主だったものしか見ていなかったが、ふと目に留まった写真はの撮ったものだったのだ。もっといいのがあるんじゃないか、と言われたが、無理にそれを通してみれば、結果はそうだったというわけだ。直感とでもいうのだろうか、が撮ったような気がした。だから採用するというのも公私混同甚だしいが。

「ブックレットのクレジットに君の名前が入ってるの、見た?」
『ま、まだ…』
「見なよ、ドロップのスタッフで一番下に君の名前載ってるから。一枚も写真が採用されなかったら載らなかっただろうけどね」

 それは嘘か本当かは知らない。少なくともあの場にはいたのだから名前くらいは載ったかも知れないが。電話の向こうで、が息を呑むのが分かった。
 没にはされたけれど、ライブカメラマンを時々しているというだけあってか、いくつか確かにいい写真もあった。写真のことなんて詳しくは分からないけれど、きっとこのまま続ければいい写真を撮るようになるだろうと、そんな予感だけはしたのだ。僕を撮りたいと言っておきながら、勝手に辞めて行くなんてことはどうしても止めたかった。これ以上ない公私混同だ、本当に僕らしくないと思う。のこととなると調子が狂う。
 沈黙の向こうで、ガサガサだの、ゴトンだの、何やら物騒な音が聞こえて来る。しばらくすると、「ほんとだ…」というの声。きっと、ブックレットのクレジットを確認したのだろう。

「また今度も君の事務所に撮影の依頼してるんだ」
『…………』
「復帰するよね、アシスタント」
『…………』

『……します』
「うん」

 その約束通り、は次の撮影からまたアシスタントとして復帰した。申し訳なさそうな顔をして。謝罪もまだだったと、僕たちの控え室にまで一人で来て頭を下げた。よかったね、と声をかけると、初めて僕の前で笑って見せる。

(ああ、この子はこんな風に笑うのか……)

 両手の人差し指と親指でで四角を作り、いつかの未央のようにその四角から彼女を覗き込む。すると不思議そうに彼女が首を傾げた。僕も、今のの表情を写真に残したいと思った。あの時の彼女の気持ちが、なんとなく分かった気がしたのだ。











(2017/07/07)