「いいってば、重いから」

 二人で本部を出る頃には、外はもう真っ暗だった。時間も時間で危ないので、捻挫したさんを家まで負ぶって送ろうとしたのだが、断固拒否されてしまった。その理由が先程の発言だ。医務室まで抱えて運んだ時もそんなに気にならなかったというのに、さんは随分嫌がった。好きな人ひとり運べないなんて、そんなに弱いつもりはないのだが。結局、さんの荷物を持つことと、腕を貸すことで妥協した。

「さっき俺がいないと駄目だって言った癖に」
「い、言ってない!捏造しないで!」
「ちょっと傷付くんですけど」
「からかわないでよ…!」

 暗くてはっきりと表情は見えないが、さんは照れているのだと思う。俯いて、唇を尖らせるのは分かった。
 玉狛にいる時、さんは理想的なお姉さんのような人だった。面倒見も良くて、教えるのも上手くて、レイジさんと話している時は手の届かない大人だった。けれど、今日初めて知るさんはそれとは真逆だ。泣くし、素直じゃないし、子どもみたいな表情をする。こっちが本当のさんなのだろうか。それこそ、これまでいい先輩のふりをしていたのだろうか。どっちが良いとか、どっちが悪いという訳ではない。ただ、その落差に驚くと共に、年上のさんに対して放っておけないという気持ちが生まれた。

「京介くんもこんなに意地悪とは思わなかった」
「俺もいい後輩でいようと思っていましたから」
「ずるい」
「それはこっちの台詞です」

 終いには拗ね始める始末。おかしくて肩を震わせると、「もう!」と言って腕を叩いて来る。そんなに騒いだら足が痛むのに、と思った次の瞬間には、「い、いたい…」と弱々しい声で訴えて来る。

さん、やっぱり負ぶって行きます」
「いい…」
「あと少しなんで」
「…………」
「ほら」

 さんから離れてしゃがむと、やがて恐る恐るさんは俺の背中に乗った。緊張しているのか固まっているので、転んだらすみません、と言ってやると、やめてよ、と叫ばれる。緊張を解すつもりが悪化させてしまったらしい。
 やっぱり、さんが気にするほどの重さはない。むしろ、さっき本部で抱えた時よりもさんの体温を近くに感じられて嬉しいような気がした。さんは「本当に大丈夫?」と何度も聞いて来るが、ようやく思いが通じた相手だ。大丈夫じゃない訳がない。

「京介くん」
「なんですか」
「私、また泣くかも」
「何の予告ですか」
「何だろうね」

 上手いことはぐらかされたような気がする。けれど、何となく言いたいことは察した。さんはあれだけ真面目にボーダーで任務にあたっていた人だ。多かれ少なかれ未練があってもおかしくはない。さんを慕う人は、それこそ俺以外にもたくさんいる。そんな人間がさんを抜かして行けば、複雑な気分にならないはずがないのだ。だからと言って新人指導で手を抜くような人ではない。上に頼まれれば指導係を断れる人でもない。だから、いろんな気持ちの狭間で揺れたり、板挟みになったりしても仕方ない人なのだ。
 器用にこなしているように見せかけて、実はそうではなかったさん。もし上手くやれていたのなら、今頃戦闘員を辞めていなかったはずだ。

さんは、さんのやるべきことをして下さい」
「…うん」
「また防衛任務をしたくなったら戻って来ればいいですし」
「簡単に言わないでよ」
「上はさんを手離さないと思いますけど」
「そうかなあ」
「でも何かあったら俺が守るんで」
「い、いきなり飛躍するなあ」

 また照れたらしい。俺にしがみついている腕の力を強くした。首の辺りにさんの髪が当たってくすぐったい。すぐそこにさんがいる。さんの呼吸を感じる。一度遠ざかった思った人は、以前よりずっと近くに戻って来たのだ。
 住宅街に入ればこんな時間に出歩いている人間は見掛けず、一定の間隔で現れる街灯と住宅の明かりだけが道を照らしている。さんが玉狛にいる頃も、こうして二人で帰ることは時々あった。あの頃はまだ、さんは“お姉さん”の顔をしていて、話もそれなりに弾んで、けれどその内容はいつでも俺を心配しているという所に着地していた。今とはまるで違う。会話も弾んでいるとは言い難い。けれど、あの頃よりさんの気持ちは見えるような気がした。

「…静かだね」
「そうですね」
「京介くん」
「なんですか」
「すき」
「俺もです」
「即答…」
「本当のことですから」

 もうあと少しでさんの家に着く。それが、随分惜しい気がした。もっとさんといたいだなんて、それこそ子どもの我儘のようだ。
明日になって今日が夢だった、なんてことはないだろうか。さんはまた遠い人になってしまわないだろうか。そんな、今心配しても仕方のないことが頭を駆け巡る。同時に、同じようなことをさんも思っていればいいと思った。
 それでも夜は更けて行くし、さんとは家の前で別れなければならない。またさんに会うには、最低でも明日にならなければならない。

さん」
「なに?」
「明日も会いたいです」
「…仕事、玉狛に持ってく」
「待っています」
「うん」

 明日、さんに会う理由が一つできた。別れるのが惜しいのは変わらないけれど、これでちゃんと今日を終えられる。この街に来る朝を待つことができる。明日が待ち遠しいと思うことができる。

「おやすみ、京介くん」
「おやすみなさい、さん」

 玄関に吸い込まれて行くふらふらした後ろ姿。さんも明日を待ち遠しいと思いながら眠ってくれるだろうかと、背中に感じていた体温を思い出しながらそんなことを思った。








Fin.

(2016/02/08)