「賭けは私の勝ちね」

 望ちゃんはふふん、とご機嫌そうに笑った。絶対にないと思っていたのに、本当に二宮くんに興味を持たれてしまったらしい。
 私と望ちゃんは、窓に面したカウンター式のテーブルで本日の日替わりメニュー、天津飯を食べていた。約束通り、賭けに負けた私は学食で望ちゃんにランチを奢ったのだ。日替わりメニューを見て今日が良いと彼女がリクエストした天津飯は、確かに美味しい。
 それはそうと、講義開始前のあの突然の告白―――私はあれ以来、二宮くんを見掛ける度に逃げている。けれど学部が同じで、取っている講義も被っているものが多いことに気付いてしまい、どうしても逃げ切れない。避けていることを気付きつつも言及はして来ず、ただ講義の時に私の隣を確保して来るだけ。

「それで、なんて返事したの?」
「……してない」
「ええぇ?」
「か、考えさせて下さいって……」
「馬鹿ねー、どんどん追いつめられるだけよ」

 まさにその通りだった。毎講義ごとの「隣いいか」から始まり、「芯をもらった礼だ」とコーヒーを奢られ、「任務で出られなかった講義のノートを貸して欲しい」なんて言い出した。そしてそのお礼にまたコーヒーを奢られる、の繰り返しだ。じわじわ距離を詰められている。外堀から固められているような気がしないでもない。今、私の手にはまた二宮くんにもらったコーヒーがあった。気持ちは嬉しいが、私はブラックが飲めないため、いつも持ち帰ってコーヒー牛乳にして飲んでいる。これももう四本目になるだろうか。

「嫌なら嫌って言えばいいじゃない」
「嫌な訳じゃないんだけど…」
「けど?」
「二宮くんのことよく知らないし…」
「付き合って知って行くって考えはなかったの?」
「それだとあまりに不誠実な気がしたの!」

 真面目ねえ。そう言って溜め息をつかれる。とはいえ、「じゃあお友達から」なんて言えるような雰囲気ではなかったし、少し期間を貰えばその間に二宮くんを知ることができるかも知れないと思った。
 大体、なんで私なんかを、と何度も思った。遊びや冗談であんなことを言うような人ではないから本当なのだろうけど、一体私のどこを見て付き合いたいなどと思ったのだろう。そもそも、二宮くんに彼女がいないことが私にとっては少し驚きだった。確かに近寄りがたい雰囲気はあるし、誰かとつるんでいる様子もない。けれど、実は他の大学に彼女が…なんてことは有り得ると思ったのだ。あの容姿にあの頭の良さなら。正直、私のお粗末な講義ノートなんて借りなくても大丈夫なのではないかとも思う。

「噂をしていれば来たわよ、お迎え」
「え?」
、探した」
「え、え?」
「何度か電話はしたんだが」
「……うわあ」

 放置していた携帯には二宮くんからの着信履歴がずらりと並んでいた。そんな私たちのやり取りを見て、望ちゃんは益々にやにやと笑う。いつの間に連絡先なんて、とでも言いたげな顔だ。連絡先なら、告白されたその日に交換した。しつこく電話やメールが来る訳でもなく、こういう業務的な用事がある時しか二宮くんからの連絡はないが。それにしても、どうせ次の講義で一緒なのだからわざわざ探さなくてもよかったのに、もしかしてまた任務で抜けるのだろうか。それに、そのノートの返却だって急いではいない。不思議に思いつつもノートを受け取るも、差し出したノートを二宮くんが離そうとしない。

「あのー……」
、もう行っていいわよ」
「はい?」
「どうせ二宮くん、このままと次の教室行きたいんでしょ」
「えっ、あ、そ、そうなの?」
「…………」

 二宮くんは何も言わない。困った私は二宮くんと望ちゃんを交互に見る。心なしか、二宮くんがむすっとしているようだ。気のせいだろうか。とりあえず、ここは二宮くんと付き合いの長い望ちゃんの言う通りにした方が良さそうだ。ノートから手を離して荷物をまとめ、ランチのトレーを持とうとすると、それをさらっと二宮くんに奪われた。

「あ、あの!」
「なんだ」
「別にそれ、持てるんだけど…」
「もう二宮くんの好きにさせてあげなさい、
「はあ……」

 そのまま、トレーを返却口まで返してくれた。いや、どうせ行く方向は同じだから後ろをついて行ったのだけれど。
 二宮くんが何を考えているのかさっぱり分からない。距離を縮めようとしているのだろうとは思うけれど、語る言葉が少ないせいで彼自身が見えて来なくて、私は正直、少し戸惑っている。彼の行動一つ一つに意味を見出すことは、望ちゃんのようには瞬時にはできない。関わる時間が増えれば分かって来るものなのだろうか。表情すら変わらないのだから、もうどうすればいいのやら。付き合いたいと思うくらいの相手の前でくらい、ちょっと揺れて見たりしないのだろうか。男性って大学生にもなるとこんなものなのだろうか。
 次の講義の教室に向かう途中の廊下で、ふと二宮くんは足を止めた。

「…悪かった」
「な、なにが?」
「加古と話の途中だっただろう」

 何を謝られたのかと思えば、そんなこと。謝られるほどのことではないし、私が気にしているのもそこではない。突然の謝罪の言葉に変にどきどきしてしまった。ときめく方ではない、冷や汗をかく方のどきどきだ。

「そんな大事な話していたわけじゃないし、大丈夫…」
、俺は迷惑か」

 突拍子もない言葉ばかりだ。今度こそ答えるべき言葉が見つからない。二宮くんは依然前を向いているから私はその表情すら分からない。けれど、少なからず気にはしていたようだ。というよりも、私の態度があからさまだったのかも知れない。確かに私は今、好意を持たれていて、私の都合で返事を先延ばしにしているのに、そこで避けたりなんてしたら二宮くんが嫌な気持ちになるのは当たり前だ。それこそ不誠実である。

「迷惑なんかじゃない」
「でも困っているだろう」
「困っている…でもなくて……私、どうしたらいいか分からなくて」
「何がだ」
「これまで二宮くんと話したこともなかったし、二宮くんのことだってよく知らないから…」

 迷惑とか、困っているとか、そんな負の気持ちではないのだ。なんで私なんだろう、私の何が良かったのだろうと、その疑問が渦巻いてやまない。それが結局私を動揺させていることには変わりないけれど、二宮くんが嫌で避けていた訳ではない。
 それ以上は上手く言葉にできなくて、黙り込んでしまう。すると、二宮くんはようやく私の方を振り返った。その表情は相変わらず静かで、いつも通りだ。初めてちゃんと離した時と一ミリも変わらない。この人の表情が変わるのはどういう時なのだろう。誰とどんな話をしたら違う表情が見られるのだろう。…そう言えば、「付き合ってくれ」とは言われたが、好きだとかは言われていない気がする。けれど、「付き合ってくれ」とか、「告白しているんだ」とか言われた時点で、私のことを二宮くんは好き、という認識で間違ってはいない、のだろうか。少し自信がなくなって来てしまった。

「知らないから付き合うでは駄目なのか」
「へっ、いや、だめじゃ、ないけど…二宮くん、それでいいの?」
「むしろ何が駄目なんだ」
「え、す、好きじゃないのに、付き合うのは、嫌じゃない?」
「今はそうでなくても今後は分からないだろう」
「結構ポジティブなんだね…」
「悲観的な人間だったつもりはない」

 確かに。そう心は頷くものの、やはり踏ん切りがつかない。付き合うって、そういうものなのだろうか。彼氏いない歴イコール年齢の私にはよく分からない。でもまあ、他の彼氏持ちの友人だって最初から彼を好きだったわけではないと言っていた。そういうものなのか。

「だが、待つのは性に合わない」
「……ごめん」
「それが返事か」
「えっ!?いや違う違う!」
「じゃあ付き合ってくれるか」
「あぁ、もう……」
「なんだ」
「二宮くんってなんで全か無かしかないの……」

 あまりに直球過ぎて思わず顔を覆う。今更恥ずかしい。初めて告白された時は動揺と混乱が先行して恥ずかしがる暇もなかったけれど、こう改めて言われるとどうにも耐えられない。思えば人生で初めて人に告白されたのだ、もっと純粋に喜んでもよかったのではないか。私は多分、色々考え過ぎた。

「あの、私で良ければ…」
「最初からがいいと言っている」
「お、お願いだからもうちょっとオブラートに包んで…」
「必要がない」

 そう言うと、繋ぐと言うよりは、引っ手繰るように私の手首を掴んだ。そのまますたすたと歩き出すので「どどどどこいくの」と言えば「次の講義に決まっているだろう」と当たり前の返事が降って来た。あっですよね、と思いながら必死で足を動かす。身長差があればある程、歩幅も差が開くもので、けれど二宮くんはそんなことも気にせず二宮くんのペースで歩いて行ってしまう。ついていくのでいっぱいいっぱいの私は、もう何も声をかけることもできない。子どもが親に引っ張られているような光景が面白いらしく、擦れ違う学生にも注目されてしまう。これまで目立ったこともなかった、私が。

「に、のみやくん!」

 けれど流石に足がもつれそうになり、名前を呼んで彼を止めた。大学に上がって以来、運動という運動をして来なかったため、これだけで軽く息が上がってしまっている。次の言葉が継げない私を見て、二宮くんの方が口を開いた。

「言っておくが」
「は、はいっ」
「俺は好きでもない相手を構うほど暇ではない」
「う、うん?」

 分かっていないだろう、と言った二宮くんのこの目は、多分、いや、間違いなく私を睨んでいる。ごめん、と小さく返せば彼は溜め息をつく。人に溜め息をつかせるのが得意なのだろうか、私は。

「まあいい、その内分かれ」

 結局何が言いたいのか分からない。私の察しが悪すぎるのか、二宮くんが言葉足らずなのか。望ちゃんにはどっちもどっちだと言われそうだけど。
 そして、また私の手を引いて、今度はさっきより少しゆっくり歩き始める。まるで連行されているみたいだ。付き合っている人と手を繋いで歩くって、もっとこう、違うような気がする。でもさっき付き合うということで合意した私たちとしては、最初から恋人繋ぎと言うのは余りにハードルが高い。だから多分、まだとうぶんこれで良いと思った。二宮くんの直球で極端なもの言いにも、まだ慣れていないのだから。











(2016/04/19)