世界に、優しさは期待しない方がいい。どうせ差し伸べられる手の向こう側には裏があるし、無償の親切なんかこの世には存在しない。カミサマさえもお賽銭を要求して来るのだ。自分以外に何の見返りもなく何かを求めることはしてはいけない。そう、たった十八歳ぽっちで悟ってしまってから、人付き合いと言うのが至極面倒臭くなってしまった。誰ともつるみたくない、関わりたくない、放っておいて欲しいと思えば、周囲への対応も冷たくなるもので、みるみる内に私はクラスで浮いた存在になった。
 同じように少し浮いた存在のクラスメートが一人だけいる。けれど、彼―――影浦くんは、私とは違い友人はいるようだ。多分、見た目ほど悪い人ではない。だから意外と彼の周りに人がいる所を見掛けることが多い。
そんな彼と、初めて席替えで隣になった。彼は私をみて、そしてすぐ目を逸らした。私もちらりと見て、また視線は机の上に戻す。嫌でも二か月はこの席だ―――隣から聞こえて来る舌打ちにそんなことを思った。









 その後、影浦くんとは、なぜか結構話をするようになっていた。予習してあるのかよとか、宿題して来たのかよとか、くしゃみをすれば風邪引いてんのかよとか、どれを取っても言葉だけ見れば文句ばかりに聞こえるのだが。けれど、彼の言葉の裏には決して悪意がないことがまた不思議だった。どれだけ言葉が雑でも、態度が悪くても、見え隠れする彼の本質は決して悪ではない。だから、私も別段、彼との会話は苦痛ではなかった。
 ただ、私と同じで会話の中に私の本質を見ようとしていることだけは分かった。影浦くんが乱暴な言葉遣いや粗暴な態度の割に悪い人ではないことが分かっていたから、真逆の私はそれを悟られまいと目を合わさないように必死だった。

「真面目かよ」
「はい?」
「居眠りしたことねーだろ」
「ないけど…普通じゃないの、それ…」
「俺はしてる」
「知ってる」

 こんなとりとめのない会話だ。これを続けて、もう二週間が経とうとしている。それでも、私がこのクラスで言葉を交わした回数が一番多いのは既に影浦くんだ。私たちが喋っていると周囲の席のクラスメートたちが様子を窺っているのがよく分かった。そういう一つ一つが、とても煩わしい。聞き耳を立てられていることとか、別の場所を見るふりしてこっちを見ているだとか、鬱陶しい以外に言いようがなかった。
 影浦くんはそんなこと気にしていないのか、気にするほどのことでもないのか、周りに噛みついたりはしない。

「お前成績いいだろ」
「少なくとも影浦くんよりは」
「言うじゃねーか」
「寝てる人より成績悪かったら終わりでしょ」
「んなことで死ぬかよ」
「私は何もできないから勉強くらいできないと」

 ふーん、と興味なさそうにして会話を終える。いつもそうだ。適当な所で影浦くんが切って、私から話しかけることも終わらせることもなかった。私はクラスメートとの会話の必要性が、未だに見出せていない。それがたとえ、こうして何の裏もなく話しかけて来る影浦くんだとしても。彼が何を思って私に話しかけているのかは不明だ。村上くん辺りとはよく話しているのを見るけれど、そういう、親しい人間とだけ話すタイプの人間だと思っていた。不快なわけではない、私だって影浦くんは特別好きでも嫌いでもない。向こうの特別好きでも嫌いでもないのだろうが、弾みもしない会話を毎日するメリットは、一体何なのだろうか。

「何かできると思って生きてる奴なんかいねーだろ」
「え?」

 終わったと思っていたはずの会話が再開されて、思わず私は隣の席を見た。机に片肘をついている影浦くんは、私の方を見てはいない。

「少なくとも居眠りしねーってことできてんだろ、は」
「………私の名前知ってたの」
「てめー…」

 いつも通りの舌打ちが聞こえる。それは多分癖のようなもので、別に私を威嚇しようという気はないのだろう。周りは舌打ちが聞こえる度にびくびくしているようだが、彼の根っこの部分が見えていればそれほど恐れることではない。この二週間、彼の隣の席で過ごしてそれはよく分かっていた。
昔から周りの目を気にして来たから、人の本質を見抜くことは得意な方だ。だから、自分を信用するとするなら、彼は決して自ら周囲へ敵意を向けているわけではなかった。周りがああだこうだ噂したりこそこそ陰口を叩いたりするから“そう”なるだけで、本質は攻撃的な言葉とは逆の所にあると思う。
 私こそ、周囲に対して敵意の塊のようなものだ。どれだけ口を閉ざしても、私と同じように人をよく見ている人なら見抜かれてしまうだろう。それが影浦くんのような気がした。

「勿体ねーな」
「何が」
「真面目は悪いことじゃねーだろ」
「そうね」
「なんで周りはを嫌うんだ」
「デリカシーなくない?」
「要るのかよ」
「別に」

 回りくどく言われるよりはずっと楽だ。変に気を遣われるよりストレートに言われた方がいい。

「私が周りを嫌いだからでしょ」
「ふーん」

 誰かに愛されたいならまず周りを愛しなさい、という言葉を聞いたことがある。ほら、やっぱりそうだ。何かを得ようと思えば、愛されようと思えばそれなりのものを払わないといけない。それなら、誰にも好かれなくていいと思った。人間関係の果てに見返りを求めるものではないと分かっていても、なお。
 私には分からなかった。自分の心を分け与えるということが、そのやり方が分からなかった。昔、まだ友達もいた幼い頃、私はどうやって人に優しくしていたのだったか、人を大事にしていたのだったか。もう忘れてしまった。

「俺も別に好きな人間なんていねーよ」
「影浦くんは違うでしょ」
「あ?」
「自分のことって、案外自分じゃ分からないみたいだけど」
「…そっくりそのままてめーに返してやるよ」

 人は見返りなしに人に優しくなんてしないし、構ったりもしない。私は不思議だった、分からなかった。なぜ影浦くんが私に構うのか。







(2016/03/09)