なんか気分が悪い、と思って目を覚ますと、どう考えても自分の部屋じゃなかった。けれど見覚えがある。それを思い出すには時間がかかったが、自分にもまずまず馴染みのある場所だ。間違えるはずがない、何度か運ばれたことのある玉狛支部の空き部屋だった。しまった、と思いながら起き上った所へ入って来たのは京介くんだった。

「目覚めましたか」
「なんか、胃の辺りが、なんか、うん…」
「そりゃそうですよ」

 昨日の記憶はぼんやりしている。ボーダーの成人済み何人かで任務終了後に飲みに行ったのだ。最近お酒を飲むことを覚えた私も誘われてついて行った訳だが、最後の記憶と言えば酔って尻を触りに来そうになった太刀川に平手を喰らわせた所までだ。結局その後、私も酔ったらしいのでこんなことになっているらしく、人のことは言えない。
 いい加減学習して下さい、と言って私にペットボトルの水を渡す。返す言葉もない、もうここ数回飲み会でこんなことになっているのだ。別に、山ほどお酒を飲んでいる訳ではない。自分がお酒に弱いことは自覚している。けれど、度々こういうことになっているということは、私の覚えている二杯目以降で何かあったに違いない。

「無茶飲みしている訳じゃないんだけど」
「二杯でこれなら一杯でやめて下さい」
「どうしても雰囲気で頼まざるを得なくて…」
「風間さんが“これ以上飲み方を覚えないなら次はない”って言っていましたよ」
「うそ!やっぱりまた風間くん!?」

 同じ大学に通う風間くんには、これまで高確率でここに連行されていた。その度に小言は言われていたので今度こそ、と思っていたのだが、そう上手くも行かない。また明日大学で小言を言われそうな気がして来た。友達の少ない私にはあの飲み会が数少ない楽しみの一つでもあるのに、それに声を掛けられなくなったら結構、いやかなり悲しいし寂しい。けれど、皆がお酒を飲んでいる中で、一人ソフトドリンクを飲み続けると言うのもそろそろ嫌だったのだ。お酒は飲むなとドクターストップをかけられる程お酒に弱い体質であるにも拘らず。

「飲み会に行くなとは言いませんけど」
「…うん」
さんが飲み会に行っている間の俺の気持ちも考えて下さい」
「え?」
「いつも女はさん一人じゃないすか」
「そうだけど…」
「これまで黙ってましたけど、酔った太刀川さんにセクハラまがいのことされていることは全部知ってますから」
「は!?」

 潰れた私を運んだことのある人間を思い出して見るが、風間くんだ、風間くんに違いない。太刀川は酔うし、東さんはそんなことをわざわざ告げ口する人ではない、諏訪はあんな奴だけど言うなら太刀川ではなく私の失態ばかり言いそうだ。となると、消去法で風間くんしか思い浮かばなかった。
 途端に、烏丸くんの私を見る目が冷ややかなものになる。隠していた訳じゃない、付き合っているとはいえ、言うほどのことではないと思ったのだ。セクハラまがいと言っても全て未遂で終わっているし、突っ込んだ話をされても上手くあしらって来ているつもりである。私としては、烏丸くんを怒らせるようなことと言えば、度々潰れていること以外思い当たらない。けれどそうではないらしい。

「疑うわけじゃないすけど、毎回男に運ばれて来るのを見ても何とも思わないほど俺も心は広くありません」
「ごめん、なさい…?」
「疑問符付けないで下さい」
「スミマセン」
「なんで片言になるんですか」
「だ、だって京介くん怒ってる…」
「俺が怒ってないとでも思っていたんですか」

 どんどん威圧感の増す京介くんに身を縮こませるしかない。ここまで怒ったというか、感情を顕わにした京介くんを初めて見た。怒っていないと思われても仕方ない原因は京介くんにもあるではないか。飲み会に全く行かないということは、付き合い上できない。けれど、言ってくれれば行く回数自体は減らせる。言われなければ、と思っていた辺りは私も甘かったとは思うけれど。
 けれど、それを言うなら私だって言いたいことはある。一時の気の迷いやら何やらで私と付き合っているのではないかとか、高校にはもっと京介くんに似合う同年代の女の子がいるのではないかとか、悩み出したらきりがない。昨日も、太刀川にその辺りを突っ込まれたせいで「ちょっともう放っといてよ!!」と泣きながら殴りかかりそうになったことをたった今思い出した。結構お酒が回ってからのことだ。

「俺はどうやってもお酒の場には行けないから自分のことは自分で守って下さいって言ってるんです」
「それもう飲みに行くなってことじゃん」
「そんなこと言ってません」
「言ってるし!」
「俺が言ってるのはさんが好きだってことだけです」
「は、はぁ、え、はっ!?それこそ言ってな……うっ」

 話の腰をばきばきに折られた気がする。さっきから京介くんの口から出るのは説教ばかりだったはずだ。いきなり屈曲した言葉をつらつらと吐かれて思わず変な声が出る。出るものの、胃の方から何かせり上がって来そうな感覚がして思わず口元を押さえた。

さんが色々考えてることも分かってます」
「考えてないし…」
「嘘つくのが下手なのも知ってます」
「嘘じゃない」
「大体強がりますし、そこに付け込まれますし」
「そんなの京介くんだけだし」
「知ってますか、隙あらばって狙ってる人いるんですよ」
「またそんな嘘言う」

 口ではめちゃくちゃ言って来る癖に、私の背中をさする手だけは優しい。飲み会で意識を手離してここに運ばれて来た時はいつもそうだ。毎回大なり小なり説教を受けて、でも結局いよいよ私の気分が悪くなって来ると急に優しくなる。そういう飴と鞭は要らないのだ。私はできれば飴だけ与えられていたい人間で、まして言いがかりのようなことを言われれば私はますます拗ねるし臍も曲げる。そんな面倒臭い人間だ。年上なんて名ばかりで、実際こうやってしょっちゅう面倒は見られていて、年上らしいことなんてほとんどしたことがない。記憶にない。
 それに、私みたいに地味で目立たなくて個人の成績だって特にぱっとしたものなんてない人間を、一体誰が狙うと言うのだ。京介くんみたいな子と付き合っていると言うだけで奇跡のようなものなのに。「烏丸はお前のどこがよかったんだ?」と言われる度に思う、そんなの私が聞きたいと。

さん、自分の評価低過ぎです」
「京介くんといたら嫌でもそうなる」
「俺のせいですか」
「そうだよ京介くんのせいだよ。なんで私だったの」
「ボーダーに入ったばかりの頃に随分お世話になって気付いたら好きになってたでは足りませんか」
「それ100回くらい聞いた」
「じゃあそれ以外ありません」
「…………」
「不満そうですね」

 まだぶすっとしている私の顔を見ると、今度はご機嫌取りに抱き締めて来た。そうやって毎回絆されることを京介くんはよく知っている。
 いろいろ考えてしまうのは私だけの問題で、実際は京介くんには何の非もない。私が女子高生に僻んでいるだけだ。あと少しでも生まれる年が遅かったらと、京介くんと付き合い始めて何回思ったか数えきれない。女子高生になりたい、と風間くんに泣きついて困らせたこともあった。「そんなに辛いのなら別れろ」と言ってばっさり切られたが、それでも別れなかったのは京介くんが好きだったからだ。本当はこんな可愛くないこと言いたくないし、拗ねたくもないし機嫌も悪くなりたくない。女子高生になれないならせめて可愛げくらいないといつか愛想を尽かされる。

「もうやだしんどい、なんで好きなのにしんどいの」
「俺はしんどくないですけど」
「だって京介くんは何でもできるし」
「関係ないと思いますけど」
「じゃあなんでしんどいの」
「好きだからじゃないですか」
「京介くんはしんどくないって言った!」
「そりゃ人それぞれですから」
「やだもう信じられない…」

 もう最初に何の話をしていたかも忘れてしまった。飲み会で潰れて帰って来てまた怒られたんだっけか。そこから私が逆ギレしたんだっけか。そこから私の八つ当たりが始まったんだ。自分でもここまで面倒臭い人間だとは思わなった。面倒臭いのは分かっていたが、程がある。二十歳も過ぎたのに、なんでこんななのだろう。
 まだ気分が悪いのが相俟って、考えも気持ちもまとまらない。さっきまで散々なことばかり言っていた京介くんももう怒っていないようだし、むしろいきなり優しい。いつも通りに戻っている。声色も冷たくないし、私を抱き締める腕は温かい。泣きそうになる。面倒臭い自分が嫌で泣きそうになる。しゃくりあげれば、頭を撫でられた。

「そういう面倒臭い所、絶対他の男には見せないで下さい」
「見せたい訳じゃない」
さんの世話を焼くのは俺一人で十分です」
「高校生に世話焼かれる大学生ってどうなの」
「俺はそういうさんも好きなんで問題ないです」
「…言質とったから」
「どうぞ」

 恥ずかしいことをさらりと言うので、もうどうでもよくなる。大概、いつもこうやって丸めこまれてしまうのだ。京介くんにしてみれば、面倒臭いけど扱いやすいのだとは思う。考えこんでしまう割に、私の脳は単純なつくりをしているみたいだ。
 けれど素直になるのはやっぱりできなくて、代わりに私も京介くんの背中に腕を回して思いっ切り力を入れてやった。苦しいです、という声は平然としていて、そんなの嘘だと容易に見抜けてしまう。すると今度は「さんが俺のことかなり好きなことが分かったんで今日は許します」なんて言うものだから、「そんなことないし!」と叫べば、はいはい、と言ってキスされてしまった。今度こそ私は減らず口すら叩けなかった。








(2016/02/21)