初めて実際のさんに会ったのは、二宮さんに用事があって彼女が作戦室に来た時だった。二宮さんと同じ大学に通うと言うさんは、ボーダーではなく大学でのことで相談か何かあったらしく訪れていた。暫く二人で何か話した後、わざわざ俺と犬飼先輩に「お疲れ様」と言って出て行ったのだが、その時どんな顔をしていたのかよく覚えていない。
 それからなぜかうちの作戦室に度々出入りするようになったさんを見て、もしかしてさんは二宮さんと付き合っているのかと犬飼先輩に聞いたら笑われた。







 さんが寝ている。なぜかうちの作戦室でソファを独り占めして。テーブルの上には大学で使っているテキストやレポート用紙が散乱している。恐らくまた二宮さんに相談か何かしていたのだろうが、肝心の二宮さんはいない。大学のレポートならなぜ自分の作戦室でしない、いや、自分の家でしないのか。短くはないものの、プリーツスカートから伸びている脚が目に入って思わず目を逸らした。どうすればいい。
 動けずにいると、丁度いいタイミングで外に出ていたらしい二宮さんが帰って来た。そしてさんを見るなり大きなため息をつく。

「この女……」
「疲れてるんですか」
「知らん」

 そう言うと「邪魔だ」と言いながら、腕を引っ張って叩き起こした。
 さんと言えばシューターとしてもそこそこ上位だが、二宮さんの同期としても有名だった。普段はへらりと笑っているのに、いざ戦うとなるとかなり荒っぽい戦い方をする。ランク戦でも当たったことはある。開始数秒で市街地の一角をいきなり真っ平らにしたことは忘れられない。射線を通すためと言っていたが、二宮さんによると「緻密な攻撃ができないだけ」らしい。致命的だとは思うが、実際スナイパーから飛んで来た弾をガードした場所が的外れで、早々に足をやられていたこともあった。その緻密性のなさからか、訓練でもあまり良い成績ではないと自分で言っているのを聞いたことがある。自慢することではない。

「寝るなら帰れ」
「あは、ごめん、ついここ居心地良くて」
「自分の隊が居心地悪いみたいな言い方だな」
「そんなことないない、帰るよ」

 二宮さんに睨まれながら、さんは片付けを始めた。もう関係ないと俺もその場を離れる。だが、帰る帰ると言いながらさんは一向に帰る気配がない。お陰で、やることはあったはずなのに集中もできない。いくらさんがここに来慣れているとはいえ、こちらがさんに慣れているかと言われればそうではない。二宮さんもさんがここまで入り浸るのをよく許していると思う。やはり付き合っているのか。
 静かになった二人のいる方を振り返ってみると、一つのテキストを二人で見ながら何やら真剣に論議している。自分がここにいる方が邪魔なのではないかと思えて来る。後ろ姿しか見えないが、さんは話しながらもべたべた二宮さんに触っている。二宮さんも振り払おうとはせず、嫌がる様子は見せない。
 これを見て、それでも付き合っていないと言うのだろうか。付き合ってもない異性にあんな風に容易に触ることが誰でもできるのだろうか。

、そろそろ帰れ。犬飼が来たら部隊ミーティングだ」
「真面目だなあ」
「お前はもっと真面目になれ。性格がそのまま戦いに出る」
「二十年この性格だからもう無理でしょ。二宮みたいには無理だって」
「努力くらいしろ」
「努力せずにぶいぶい言わせてた人に言われたくないわ」

 二宮さんの言葉で時計を見る。確かにそろそろ犬飼先輩もひゃみさんも来る頃だ。早く来てくれないとさんが出て行ってくれない。さんがここにいる時間というのは、今でも居心地が良くないのだ。嫌ではないのだが、胸の奥がざわざわするような気がする。経験したことのない感覚に、自然とさんに対する苦手意識が膨らむ。二宮さんや犬飼先輩と話している時のさんの声も、ずっと耳の奥に残って離れない。
 もう一度後ろを盗み見ると、やはり楽しそうにしている。するとさんに気付かれてこちらを向く。思わずすぐに視線を戻した。それでも背中にさんの視線が刺さる。とても居心地が悪い。

「あー…ごめんね辻くん、もう帰るから」
「だからさっきから帰れと言っている」
「二宮は黙って」

 そう言うとばしん、と二宮さんの背中を叩く音がした。呑気そうに見えてこう言う所が随分豪快らしい。二宮さんがむせている。けれど俺はどうすることもできず、ともすれば冷や汗が吹き出しそうだ。

「言っておくが、辻は無理だぞ」
「あ、ちょっとやめてよ」
「お前の言う“見つめたら勘違いする”は逆効果だ」
「ばらすとか最低じゃない?」

 後ろでなんだか不穏な会話が聞こえる。俺が参加していない会話で俺の話を出されるのは良い気がしない。けれどそこに参加できるはずもなく、二人の会話を聞き流そうとするだけで精一杯だ。会話の内容なんて入って来るはずもないが、とりあえず自分がその会話の中に出て来ていることだけは理解できた。
 大体、いつもさんはあまり俺に声もかけて行かないのに、なぜさっき俺に話を振ったのか。犬飼先輩は持ち前のコミュニケーション能力で年上のさんにも随分可愛がられているようだが。

「でもうちの隊員に手を出すなーとか言わないんだ」
に勝算がないから言ってないだけだ」
「それ私じゃなかったら心折れてる所」
「お前も折れろ」
「この間山をまっ平らにした人間の心が折れると思う?」
「折れないと思うから遠慮なく言わせてもらっている」
「二宮ほんと性格悪い。辻くんはこんな大人になっちゃだめだよ」
「辻に振るな、

 俺が口を挟む隙もなく二宮さんが返し、とうとう無理矢理さんを負い出そうとする。起こされた時と同じように、乱暴に腕を掴まれて引きずられるようにして締め出されたさん。ドアが閉まる瞬間、ついそっちに目をやると笑って手を振っていた。そんなつもりはなかったのに目が合ってしまい、喉が引き攣る。ドアの閉まる音がスイッチであるかのように、いきなり体温が上がったような気がした。










(2016/02/13)