烏丸くんにもらったのど飴はすっぱくて、甘くて、またすっぱくて、失恋したばかりの私の気持ちみたいだった。最後のひとつはさっき食べてしまった。喫煙者ではないけれど、なんだか口寂しくて喉が痛いわけでもないのに、三つしかなかったそれはあっという間になくなってしまった。
 失恋して一週間、未だ私は深手を負って立ち直れずにいる。








 辛気臭い、とに一刀両断された。そんなこんなで、今度は私がバイト後のに呼び出されてファミレスにいるのだ。夕飯時とは言え何も食べる気にはならなかったため、一週間前と同じドリンクバーだけを頼んでいる。
 この一週間、何をしても身に入らず、気付けば溜め息ばかり。大学を無断欠席したり、バイトで失敗したりしたことはない。ただ半年の片思いが破れた傷は、さすがに呑気な私でも一週間そこらで治るものではないのだ。さすがに大泣きしたのは一日だけだったけれど、引き摺り続けている私にがとうとう苛立ち始めたらしい。

「落ち込むなとは言ってない」
「言ってるじゃん」
「引き摺るなって言ってるの」
「一緒だってば」
「恋の傷は恋でしか直せないって何百年も前から決まってんのよ」
「ええー……」

 確かによく聞く言葉ではあるが、おいそれと新しい恋なんて落ちているものではない。しかも、失恋直後に新しい恋というやつを探す気にもなれず、ころっと変われば変わったで軽い女のような気がしてならない。私は私なりに乗り越えようとしているのに、私の友人は随分手厳しいようだ。よく他の大学の友人たちにも、「なんで正反対なのに友達してんの」と言われることがある。正反対だから上手くやれているのかも知れないが、こう言う時だけは味方になって欲しかった。

「敵になったつもりはないけど」
「どこが」
、あんた視野が狭いのよ」
「視野…」
「せっかく差し向けた刺客に気付かないなんて」
「待って今すごく物騒な単語聞こえた」

 一体いつ送り込んで来たと言うのか。思い出す限りそれらしき人物はいない。とはサークルも同じだし、取っている講義も被っているものが多々あり、彼女のバイト先は私もよく知っている。の行動範囲を思い出して見るが、やはり思い当たる人物は見つからなかった。首を傾げていれば、「ほんと馬鹿ね!」という罵倒の言葉が飛んで来る。
 明らかにそれらしき人物をさりげなく寄越していたなら、私だって分かる。ということは、単にが失敗しているだけではないのか。いや、私を気遣ってくれていたのはありがたいが、当の私まで届いていない。

「一週間前どころじゃないわよ。もっと前から送り込んでる。あの先輩は脈なしだって思ってたから傷が浅い内にって思ったのに、は馬鹿」
「なにそれ!脈なしって!」
「見る目ないわね、どう考えても彼女いるでしょあれは」
「もっと早く言って…」
「言っても聞かないこと分かっていたから、痛い目見れば分かると思って。この舞い上がり娘が」
「う…っ」

 一頻り私に説教すると、いつもと同じアイスティーのおかわりを入れに行った。私が一杯目に選んだレモンティーは全く減っておらず、説教が始まった時は湯気ものぼっていたのに生温くなってしまった。口をつけると美味しくない。
 食べ物と言うのは、人間の体温に近付けば近付くほど美味しくなくなるという。恋もきっと同じだ。好きだ何だと騒いでいる時は熱くて美味しい。けれどふられて落ち込んでしまえばその熱はたちまち冷めて現実に戻る。つまり、現在の自分の体温だ。これは美味しくない。もっと冷めてしまえば笑い話になる。だからまずいも何もない、ただの良い思い出、いい経験になるだけだ。私は今、一番辛い時期にあるのだろう。

さん、お疲れ様です」
「…烏丸くん」

 ふとテーブルに影が落ちたかと思えば、ではなく烏丸くんだった。まだ勤務中だというのに、私に声をかけて良いのだろうか。

「また来てたんですか」
に呼び出された」
「あれ、さん帰りましたけど」
「うそ!」

 がつんと言われて落ち込んでいたから気付かなかったが、確かにの荷物は消えている。また見捨てられた、とテーブルに突っ伏す。帰るなら一言くらいあっても良かったのに、あれで帰るなんて薄情にも程がある。一応連絡を入れようと携帯を取り出すと、「姉に呼び出されたから先に帰るわね」という一文メールが届いていた。烏丸くんの言うことは本当らしい。

「あと十五分」
「え?」
「あと十五分でバイト終わるんで、五分前くらいになったら会計に来て下さい」
「はあ」
「分かってますか?」
「あと十分で出ろってこと?」
「送るって言ってるんです、バス停まで」
「あ、ああ、そう…」

 どうしてこうも烏丸くんはタイミングが良いのか。いや、悪いのだろうか。バイト先の先輩が放置した友人を回収して帰らないといけないなんて、毎度災難過ぎる。私が面白い話の一つや二つできれば良いかも知れないが、元々面白くない上に傷心中の身だ。面白くも何ともない。それでも気を使ってバス停まで送るなんて言うのだから、烏丸くんはできた高校生である。これだけ気の利く子だったら彼女の一人や二人いてもおかしくないのに、いないのだという。バイトが忙しいとか何とか言っていたが、私が高校生の時だってバイトしながらも彼女と上手くやっている子もいたのに。実はああ見えてそういうことが器用にはできないタイプなのだろうか。
 忙しそうにフロアを動き回る店員さんたちを見ながら、十分はあっという間に過ぎてしまった。には丁寧なメールなんて返せなくて、「ドーゾお気を付けて」とだけ皮肉たっぷりの念を込めて送ってやった。私も荷物をまとめてお店を出る準備をする。伝票がここにあるということは、私が全額支払いなのだろう。数百円くらいとは思うが、さすがだと、ここまで来るとそう思わざるを得ない。会計で烏丸くんに伝票を渡すと、やっぱりは自分の代金を払っていなかった。

「ここまで来るとさんも災難ですね」
「後厄かな…」
「どん底まで落ちたらそれ以上はありませんよ」
「慰めてるのか落としてるのかよく分からないんだけど」
「一応慰めているつもりです」

 千円札を出せば、細かいお釣りになってしまった。いつものように右手を出すと、烏丸くんもいつものように手を添えてお釣りを手のひらに乗せた。十六歳ってもう大人みたいな手をしているんだ、とお釣りを渡される度に思う。自分が十六歳の頃だって、もう純粋な子どもではなかったのに、こうして高校を卒業してしまうと、どうしても十六歳はまだまだ子どものような気がしてしまっていた。
 まだ重なっている手を見て、そして烏丸くんを見る。すると、そこでようやく手を離して「またお越し下さい」と言われた。

(これは…勘違いした子が絶対いただろうな…)

 ありがとうございます、と少々他人行儀な挨拶をしてレジの前から退く。私の後ろにも会計待ちの女子高生の三人組がいたので、お釣りを財布に戻せないまま。入口付近でお釣りをしまってもう一回レジを見る。

(あれ……?)

 ちょうど、その女子高生たちにお釣りを渡す所だった。けれど私の時と違う。が私にするほど雑ではないけれど、手を添えるほど至極丁寧かと言われればそうでもない。驚いて財布を鞄にしまうのも忘れたまま、レジの方を凝視する。すると、私の視線に気付いたらしい烏丸くんが私の方を向く。何かを察したのか、少し気まずそうに視線を逸らされる。
 誰にでもこんなことしている訳じゃないですよ―――一週間前、バス停で言われた言葉が、ふと頭の中に浮かんで来る。の送り込んだ刺客の正体に気付いてしまった。ずっと前から私に仕向けられていたというそれ。視野が狭いと言われたが、これでは気付かない。気付くはずがなかったのだ。
 もし私の想像通りだとしたら、私の失恋を聞いて烏丸くんはどう思ったのだろう、どんな気持ちであの日私をバス停まで送り、あまつさえのど飴なんて渡して来たのだろう。絶好の機会だとでも思ったのだろうか。またぎゅっと心臓は苦しくなるし、自分で分かるほどに顔が熱い。
 恥ずかしいなんて可愛いものではない、湧いて来たこの感情は怒りに近い。あまりに腹が立った私は、烏丸くんを待たずに帰った。






(2016/02/11)