私には、ちょうど付き合って一カ月経つ彼氏がいる。これまで誰とも付き合ったことのなかった私は、付き合って欲しいと言われてもぴんと来ず、別に好きでもなかったけれど付き合い始めた。悪い人じゃなかったし、むしろ競争率は高い方だとは思う。あまり接点もなかった私になぜ、という思いはあったものの、断る理由がなかったというのもある。けれど付き合い始めて分かった。多分私は、女避けだ。










「そんな性格悪いことするようには見えないけど」
「人間分からないじゃん」
って“そう”だよね」

 まめにメールや電話をするでもなく、一緒に出掛けるだなんてしたこともなく、手すら繋いだことがなければそれ以上もなく。単に“彼女”というステータスだけを手元で持て余していた。
 烏丸京介―――同じクラスであるものの、それまで殆ど喋ったこともなかった相手に突然「付き合って欲しい」なんて言われた時には、嬉しいより先に驚きの方が生まれた。何かしたっけ、と入学以降の出来事を思い出しても、大きなイベントで彼が絡むことは記憶の中にはなかった。今だってあまり彼のことは分からない。誰と仲が良いとか、そんなことも知らない。ただ、ボーダーでかなり上の方にいることや、バイトに明け暮れていることだけは知っていて。だから連絡がまめではないことも、デートらしきことをすることもないことは納得できた。けれど、かといって教室で喋るかと言われればそういうこともなく。見た目だけ言えばかっこいい方だし、女の子に言い寄られた時に「彼女がいる」と言えばそれっぽい断る理由になる。そのための彼女なのではないかと、最近思っている。

「じゃあ、急にまめに連絡来るようになったらどうするの?」
「苦痛じゃない限りは返事する」
「デートは?」
「まあ、用事がなければ…」
「手繋いだり抱き締めたりキスしたりセッ」
「もういいってば!」

 昼間に教室でするような会話ではない所まで話が及びそうだった。慌てて友人の口を塞ぐも、今度はその口から溜め息が漏れる。

「それじゃないの?」
「何よ」
がそうやって消極的だからさあ、烏丸くんだって手出しにくいんじゃないの?」
「え、何、気を遣われている感じ?」
「有り得ると思うけど」

 だって悪い人じゃないでしょ。そう言う友人の言葉には頷くしかできなかった。
 でも、もし本当に私のことを好きで付き合って欲しいということになったのなら、もう少しこう、向こうから何かあってもいいと思うのだ。私から何か仕掛ける必要性はあるのだろうか。もし何かしたとして、それはころころ気の変わるやつだ、と認識されないだろうか。それに、もし本当に女避け程度に思われていたら、逆に鬱陶しくなるのではないか。
 ぐるぐると考えていると、「それが悪い癖なんだって」と指摘される。

「明日からお昼一緒に食べたら?」
はどうすんの」
「三人でいいなら混ぜてもらうけど?」
「強いね…」
「からかういいネタはできる」
「最低だよ」
「烏丸くーん!」
!」

 少し後ろの席の烏丸くんを呼んで手招きをする。話題には上がっているものの、疚しい話は何もしていないのに、「なに」と言いながらこっちへやって来る烏丸くんの顔を見ることができない。冷や汗をかく私とは逆に、楽しそうな彼女はにこにことよそいきの笑顔を作って話しかける。

「この子のどこがよかったの?」
「は?」
「ちょっとやめてよ!」
「言っとくけど、って結構疑り深いから誤解は早めに解いておいた方がいいと思うんだよね」
「誤解って」
って女避け?」
「ば、ばか!」

 血の気が引いた。さっきの二人での会話の流れから、まさかそんなことを聞くとは思いもしない。本当に「明日から三人でお昼どう?」程度かと思えば、お昼のおの字も掠めて行かない。「なんでもない!気にしないで!」と焦ってフォローするが、時既に遅し。普段表情を殆ど変えない烏丸くんが、初めて怪訝そうな顔をした。かと思えば、私の腕を引っ掴んで「ちょっと来い」なんて言う。私はあらゆるクラスメートの机の角に足をぶつけながら、引っ張られるがままに教室を出た。昼休みの廊下はそれなりに人口があるものの、人の集まるうちの教室に比べればいくらか声も聞こえやすい。
 私を見据える烏丸くんの視線が、とんでもなく痛いけれど。冷や汗はまだ止まらない。

「さっきのの言ってたことって、」
「き、気にしないでってば!、節介焼きだから!」
「否定はしないんだな」
「…………」

 顔が引き攣るのが分かった。揚げ足を取るではないが、言葉の意味を汲み取るのがとても上手いようだ。ようやく気付くなんて、これまでどれだけ私たちが会話をして来なかったかがよく分かる。

の方が、乗り気じゃなかっただろ」
「え?」
「とりあえず付き合ってみるか、て思ってるのバレバレなんだけど」
「…断る理由もなかったでしょ」
「じゃあ俺の好きにしていいんだな?」
「待って何する気」

 さすがに怒っているような気がして少し怖くなる。馬鹿正直に答えなければよかった。ここは「そんなことないよ」と言うのが正解だったのだろうか。いや、でも言葉で誤魔化せる気がしない。どちらにせよ烏丸くんを怒らせる運命にはあったのだ。
 えっと、あの、と言いながら両手を組んだり握ったりして狼狽える。口籠っていると、その手を絡め取られる。組んでいた両手をするりと解いて、右手が烏丸くんの両手に攫われた。初めて触れた手は思っていたよりも大きくて、私の手なんてすっぽり包んでしまう。驚いて重なっている手を見つめていたら、段々恥ずかしくなって来た。こんなこと、普通のクラスメートなら絶対にしない。

「あ、あの…」
「何でもかんでもに相談しすぎ」
「え?」
「大体筒抜けだから」
「え!?」
「結構っていうか、かなり、焦った」
「えっ、え、えぇ?」
「…え、しか言えないのか?」

 そう言いながら私の顔を覗き込む。急に接近した顔に、驚いたのと恥ずかしいのとで反射的に顔を背ける。けれど手だけはまだ繋がったまま。
 グルだった。烏丸くんとはグルだった。ショックとか悲しいとかそんなことは一切ない、ただ驚きと後ろめたさでいっぱいになった。これまでほぼ毎日、烏丸くんの話をとしていたのだ。そう、毎日。あまりよろしくない話もたくさんした。烏丸くんの耳には入れたくない話もした。それも全部、烏丸くんは知っていたのだろうか。今日みたいな話も全部。

「ひ、酷い…」
「酷いのはだろ。女避けだなんて俺の気持ちを憶測で図った」
「す、みません………いやいや、待って!だって烏丸くんだって何もしなかった!」
「していいんだ」
「それ、は…」
「だからもうちょっと時間かけてやろうと思ったんだけど、がそこまで言うなら」
「言ってないってば!」

 ぶんぶんと右手を振ってみても、全く振り解かれてくれない。それどころか、手ではなくて手首を掴まれる。ますます力づくでは離れなくなってしまった。
 手繋いだり抱き締めたりキスしたり―――さっきのの言葉がふっと思い出される。手は、今繋いだ。果たして、それ以上を目の前のこの人とできるのか、私は。誰かと付き合った経験もない私が、烏丸くんと。私が“そういうこと”をしている所を想像しただけで、泣きそうなくらい恥ずかしくなった。無理だ。

「じゃあ、じわじわ手出して行くんで」
「な、なんか言い方がやらしい…」
「そういうこと言ってる内は大丈夫だな」
「や、あの、あんまり大丈夫じゃないんで…」

 右に左に視線を彷徨わせる。逃げることを諦めた右手は、烏丸くんにいいように触られている。傍から見たらおかしな図なのに、昼休みの自由さのお陰で廊下の片隅にいる私たちのことを気にする人なんていない。

「触って分かるならもっと早く触っておくべきだった」

 そんな後悔の言葉も、耳には入って来るものの噛み砕いて理解できない。手を出す、なんて直接的な言葉で以て宣言されてしまえば身構えてしまう。どきどきと爆発しそうになる心臓を左手で押さえた。
 が好きなんだ、と、あの日と同じ言葉を告げられる。けれど、あの日とは全く意味が違って聞こえる。こんなに動揺もしなかったし混乱もしなかった。初めてその言葉をもらった時の方が冷静だったくらいだ。それが触られているからかなのかは知らない。ただ私が分かるのは、「はい」と返事をしなければならないことだけだった。
 頷いた私の視界は、次の瞬間烏丸くんでいっぱいになった。








(2016/01/26)