恋愛で損得を考えるのはどうかと思うけれど、二十歳も超えるとそれを考えさせられることがある。自分より、相手が損であるなら好きであるということを認めたくないほどには。身の丈にあった恋愛をしろ、とは言わない。そもそもそんなものはよく分からないし、私だって未だに子どもっぽい所はたくさんある。好きだと言われたことがどうこうではなくて、彼のためにも私は止めておいた方がいい、と言っているのだ。
 それでも頑なに、意固地なほどに私を好きだと言って止めなかった。

「…本部に来る度にうちに寄って行かなくてもいいんだけど」
「そうでもしないとさん会ってくれませんよね」
「…………」

 玉狛支部の烏丸くんは、たまに本部に用事が入ると必ずうちの隊の作戦室に顔を見せるのだった。隊の中でもそれは最早公認で、二十歳周辺の女性で構成されたうちの隊ではむしろ弟のように可愛がられている。それ自体はいいことなのだけれど、私まで弟のように可愛がることを彼は至極嫌がる。私を恋愛的な感情で以て見ている、というのがその理由だった。
 私が高校生の時もそうだったと思う。少し背伸びして自分よりいくつか年上の人にときめいてみたり、少し優しくされただけで恋に落ちかけたり、そんなことはよくあった。けれどそれらは実際には恋とは違う所にあって、単なる憧れだったことが大半だ。だから、その人に彼女ができたとしてもご飯が喉を通らないほどショック、なんてことはなかった。背伸びしたい年頃なのだ、要は。高校生なら高校生同士で恋愛をしている方がきっと楽しいし楽だ。

「これ、支部長が持って行けって」
「…ねえ、どこまで話が広がってんの」
「さあ」
「とぼけないでよ」
「ところで今日は他の皆さんは」
「君は自分のペースで会話しないと生きられない病気?」

 私の問い掛けなどまるで無視をして作戦室の中をちらりと見る。入口で食いとめているものの、いつ「お邪魔します」なんて言い出すか分からない。それほど彼は最早うちの作戦室に通い慣れていた。だから、中に通していても誰も怒りはしないけれど、今ここにいるのは私だけだと言うのが問題だった。二人きりでは間が持たない。それを察せられたら終わりだと思い、どうしてもここから先は通したくなかった。

「…あのね、何度も言うけどこういうことしても無駄だから」
「何がですか」
「だから、」
「少なくとも無駄じゃないと思いますけど」

 十代は恐いもの知らずだ。だからこんな風に強気にも強引にもなれる。その十代を終えてあらゆることを知ってしまうと、途端にあらゆることに慎重に、また臆病になってしまう。無茶はできない、したくない、無難な道を選んでいたい。つまるところ、失敗するのが怖くなる。意外と十代より繊細な所が出て来ることもある。
私は何に対してもそれが顕著だった。隊のみんなが「いけるいける!」て言っている所を「いやちょっと待って」と制止をかけるのはいつものこと。最終的にみんなに引っ張ってもらって上手くは行くのだけれど、その間どれだけ心臓が破れそうになっているかまではみんなも知らない。
 恋愛も同じだ。どんどん臆病になって手を伸ばせなくなる。好きだと言われて嬉しい気持ちは変わらないのに、その手を取るかどうかはまた別の問題なのだ。烏丸くんにどれだけ好意を伝えられても、それを真っ直ぐに受け取ることが正しいこととは限らない。年相応の、それこそせめて高校の先輩だったらまた違ったかも知れないけれど、私はもう高校生ですらない。

「だってさん、俺のこと意識してますよね」
「…あのねえ」

 否定するのも肯定するのも疲れて項垂れる。いつもこの調子なのだ。
 確かに、意識していないと言えば嘘になる。これだけ足しげく通われて好きだのなんだの言われれば意識せざるを得ない、気にしない訳がない。決して大人をからかっている訳ではないというのも分かる。けれど、なんで私なのだろうか。私が十六歳の時には二十歳を超えた人たちなんてもう手の届かないような存在だった。隠れてみんなでキャーキャー言うことはあれど、何か進展を、というのは流石の十代でもしなかった。結局同世代がいいのだ。同じ学校だったら行事の話もできる、球技大会や文化祭だってあるし、高校生と言えばもう同じ学校で同じ教室にいるというだけで舞い上がるものだ。
 私を選んでしまったらそういう訳にはいかない。私は高校を出て進学しているし、試験期間が高校と違えば忙しくて構えないこともある。高校三年間という短い期間にする恋愛としては、それは損ではないのか。

「損とか勿体ないとか、そういうのは後で考えます」
「後じゃ遅いこともあるよ」
「それにさん、あんまり年上って感じしませんし」
「よし表に出ろ」
「褒めてるんですけど」
「そうには全く聞こえない」
「気持ちが近いってことです」
「き、きもち…近い、かなあ…?」

 それは私が子どもっぽいということではないのか。今日は随分けなしてくれる。誰がどう聞いても褒め言葉にはならない言葉を連発されて、私は軽くダメージを受けていた。大人らしくないなんて自分でも分かっている。周りを見れば年相応かそれ以上に落ち着いている人はたくさんいるし、年下でも私より大人な子だっている。けれど、いくら烏丸くんが落ち着いていようと、大人びていようと、それは“大人びて”いるだけで“大人”ではないのだ。

「なんで歳にこだわるんですか」
「なんでって…烏丸くんも二十歳くらいになったら分かるよ」
「好きな人を自分のものにしたいって思うのは十六でも二十歳でも変わらないと思います」
「……もうやだ」

 ああ言えばこう言う。ここれ作戦室に誰かいれば、さすがに割って入って会話を止めてくれるものの、何回部屋を確認した所で今日は誰もいない。誰かが来るまでまだ時間もある。このお耐久戦に私がいつまでもつか心配になってきた。何回聞かされたか分からない“好きな人”という単語に私の心の天秤はまたぐらぐらと危なっかしく揺れる。ここまで言われてそれでも首を縦に振らない私はがんばったと思う。けれど、私の頑固さを越えた頑固さを持った烏丸くんも一向に退かない。
 確かに言っていることは分かる。好きになれば付き合いたいし、自分のものにしたいという気持ちは芽生える。独占欲も嫉妬も生まれる。烏丸くんに指摘された通り、彼を少なからず気にしている私は、彼のことを考える時間もある。足が遠のけば寂しいと思うこともある。

「素直にならないことが大人だったら、さんも大人にならないで下さい」
「もう二十超えてるんだけど」
「たまに子どもっぽいですよね。そうやって意地になる所とか」
「痛い所ばっか突く」
さんが好きなんで」
「好きな子いじめたいって中学生男子か」
「まあ、この間までは」
「……いやいやだめだめだめ!私まだ犯罪者にはなりたくない!」

 危うく絆される所だった。忘れていたけれどそうだ、その通りだ。あまりに落ち着いているから忘れそうになるけれど、それこそこの間まで中学生だったじゃないか。血の気が引く。
 もうそろそろ帰れ、とドアを盾に頑張ってみるけれど、その隙間に腕を入れられたかと思えば、目にも止まらぬ早業でドアをこじ開け、こちら側に体ごと入って来てしまった。つまり、追い出せなくなってしまった。そしてなんの躊躇いもなくするりと私の腰に腕を回して引き寄せる。その体をどれだけ力を込めて押し返して見ても、そこは男女の力の差。全く剥がれてくれる気配がない。

「合意の上なら大丈夫だと思います」
「烏丸くんって嘘ばっか言うし」
「嘘つきはさんの方ですよ」
「う……」
「そろそろ好きって言って下さい」
「い、言わない…」
「そろそろ手段選びませんよ」
「やだなにそれ怖い!ていうか離れて!」

 真面目なのか遊んでいるのか。いや、今のは絶対後者だ。私のリアクションで楽しんでいる。なんとなく、そういう雰囲気が分かるようになって来てしまった。

「説得力のない顔しないで下さい」

 涼しい顔でそんなことを言って、その顔を近付けて来る。言い寄って来るだけで、これまで触れられたことなんて数えるほどしかなかった。それが急にこんなにも至近距離で、密着されて、逃げられないような空気を作られて、どうすればいいか分からない。上手な抵抗の仕方も分からない。泣きそうになりながらそれでもなお、体を押し返す。無駄な労力だというのは分かっていた。じっと見つめて来る視線が、あまりにも恥ずかしくて顔が熱くなる。そんなに見て来たって揺らぎはしない、揺らぎはしないと決めたのに。

「烏丸くんのせいだってば…」

 強がった声は尻すぼみになる。呟くような小さな言葉を拾った烏丸くんが、嬉しそうにするのを私は見逃さなかった。






(2016/01/26)