生まれ変わりって信じる?―――さんの口からそんな言葉が出るのは、俄かに信じがたいことだった。いつだって現実的で、遠い未来や過去よりは今、そして目の前のことを一番に考える人なのに。だから、先の話をしたがらないさんが生まれ変わりだなんて遠い未来のような、遠い過去のようなことを話し出すのは違和感があった。 「あったら面白いですけど」 「そっかあ」 こんな寒い日に屋上にやって来るもの好きは俺とさんしかいなくて、さっきからさんは両手に息を吹きかけてはさすっている。髪と同じように制服のスカートもはためいた。 冬は、晴れている日の方が寒いと言う。雲がなく、澄んだ青空を映している今日は、確かに少し曇っている今日より寒いような気がした。風が強いせいもあるかも知れないが。いや、およそそれが原因だ。 さんは、近所に住む二つ年上の先輩だ。今年受験生のはずだが、先輩ははなから受験する気はないようだった。これ以上勉強なんてしたくないし、と言っているが、それは真っ赤な嘘だと言うことを知っている。そうでなければボーダーで戦闘員をしながら毎回成績があんな上位に食い込むことはない。元々の頭の良さもあるのだろうが、それよりもさんが努力と言うものを怠らない人だということも俺は知っている。本当はきっと進学したいのだ。けれど、それを躊躇う理由があった。 「あったらいいのになあ」 「そうですね」 「あ、今テキトーに返事したでしょう」 「そんなことありませんよ」 適当な返事なんてしたことはない。いつだってさんの言葉の裏を知ろうとしている。現実的な割に抽象的な物言いをすることもある。そういう時のさんは、大体考え込んでしまっている時だ。どうしようもなくなって、考えがまとまらなくて、ぼんやりとした言葉しか出て来ない。多分、今の生まれ変わりの話がその一つなのだろう。 さんの家族は、四年前の近界民の襲撃で行方不明になっていた。さんだけが出掛けていて助かり、他の家族は消えていた。あれからさんはひとり。家族ぐるみで付き合いもあったため、さんが二つ年上でも昔から交流はあるし、今こうして話していてもなんら不思議ではない。さんが家族を失ってから、俺の家族も随分さんを心配した。けれど、気付けばさんはボーダーに入隊することをひとりで決めていて、ひとりでどんどん実力をつけて行っていた。だからと言って孤立している訳ではなく、ちゃんと隊のメンバーとも仲良くやっているようだが、本心まではなかなか言えないようだった。 「なんでかなあ…」 「…………」 「あの日も、晴れていたね」 「……そうですね」 さんが指すあの日はただ一つしかない。さんが思い出すあの日はただ一つしかない。家族が行方不明になったという知らせを聞いたさんの表情を、俺は今でも覚えている。悲しみも憎しみも入り混じった、地獄を眺めているような虚ろな目だった。そして、あの日を境にさんの作り笑いが上手になった。親戚間で誰がさんを引き取るかということでも随分もめたらしく、さんはひとりでこの町に残ることを決めた。それだってひとりで決めていた。 空を仰いで、さんは呟く。吸い込まれそう、と。同じように顔を上げてみれば、確かに果てや境界が分からないような青に、目眩がするようだった。依然空を見つめ続けるさんの横顔を横目で見る。また、痩せたと思う。 「さん、ちゃんと食べてますか」 「食べてますよ」 「それ以上細くなったら基礎体力落ちて戦えなくなりますよ」 「…そうだね、そうかも」 さんは、先の話をしたがらない。今の話しかしない。だから、いずれ、というのは仮定だとしても好まなかった。だから、さんの方こそ適当な返事をする。 「でも、割とどうでもいいの」 「さん」 「どうでもいいんだ」 「…………」 右手を空に伸ばして、空気を掴むさん。ぐっと握った拳の中には、もちろん何もない。 じゃあ、さんは何のためにボーダーに入ったのだろう。何のために勉強するのだろう。毎日高校に来ているのだろう。突き詰めていれば、何のために生きているのだろうか。家族を失った悲しみと言うのは俺には推し量ることすらできない。さんも家族を大事にしていた人だったから、悲しみや憎しみを糧に生きているのだろうか。そればかりを喰らって生きていたら、一体どうなるのだろう。さんのこれからは、一体。 どうでもいい、と言いながら、さんは死にきれなかった。それも知っている。 「もう私に関わらない方が良いよ、汚い気持ちばっか覚えちゃうから」 「それは、さんのことですか」 「…そうだね、私はもうきれいな心なんて持ってないよ」 空っぽになった心に、止め処なく注がれた黒い感情が、さんを支配していた。笑っていても笑っていなくて、穏やかそうに見えて本当は荒れている。教師たちや友人たちから見て、さんは何の問題もない優等生のひとりなのだろう。本当は違うことを知っているのは俺しかいない。家に帰った瞬間その作り笑いの仮面が剥がれることも、想像できないほど汚い言葉を吐き出すことも。その瞬間に傍にいてやれるのは俺しかいなくて、泣き続けるさんを抱き締めてあげることも俺しかできないのに、どうやって離れて行けと言うのだろうか。何の疚しい気持ちもなしにさんに付き合えるほど俺もお人好しではない。 「悲しいとか、寂しいとか、そんなの可愛いものだよ。憎い、恨めしい、そう思い始めたらだめだね、人間って」 「…………」 「それから、嫉妬は一番醜いよ」 今日のさんが何を言いたいのか、そこで分かった気がした。 「さん」 「…なあに」 「俺はさんから離れて行きません」 「それは分からないよ」 「分かります」 「分からないってば!」 明日のことだって、と叫びながら、とうとうさんは泣き始めた。冷たいコンクリートの上に座り込んで、肩を震わせる。 あの日も突然だったのだ、何でもない毎日が突然崩れる恐ろしさは誰より知っている。だから先の話をしたがらない。明日の話すら怖い。繰り返し繰り返しさんが吐いて来た言葉だ。 「寂しかったら俺の所に来て下さい」 「寂しいわけじゃないし…っ」 「寂しくなくてもいいです」 「わけわかんない」 「分からなくていいです、今は」 俺はまだ十六で、さんはまだ十八だ。何か確実に俺たちを結びつけるようなものはない。だから、傍にいるしかできない。家族を欲するさんの家族になることは俺にはできない。なれたとして、失ったさんの家族の代わりになんてなれないことは百も承知だ。それでも、さんが少しでもひとりではないということが感じられるなら、明日の話をできるようになるなら、いつまででもさんから離れずにいられる。 コンクリートの上に一つ二つ、涙の落ちた跡が滲んだ。けれどそれも乾いてしまう。さんが流した涙をなかったことにするかのように容赦なく。 いつものように華奢な身体を抱き寄せれば、いつものように背中に腕が回って来る。まだすすり泣くさんは、ひたすらにしがみついて来る。やっぱり生きたいんじゃないかと、この瞬間いつも思うのだ。少しでもその気持ちが残っているなら、消えそうなそれを消さないためにさんの手を掴んでいなくてはならない。さんのためにも、俺のためにも。 「さん」 「…なに、」 「二年後の話をしませんか」 「にねんご…」 「さんは二十歳で、俺は十八です。今のさんと同じ」 「…なれるかな」 「なれるって考えてみて下さい」 体を離して、涙で濡れた頬を拭ってやる。もう涙は止まったようだが、その目は真っ赤だ。まばたきをする度、濡れた睫毛が光って見えた。不安げに揺れるそれを見て、さんの頬を両手で包む。冬の空気に晒された頬の冷たさを、俺の両手が吸い取ってしまうように。 「そしたら、結婚しましょう」 「なにその、唐突なやつ…」 「俺はずっと思ってましたけど」 「聞いてない」 「言ってないすから」 嫌がると思ったから、と付け加えれば、嫌がりはしないけど、ともごもごと言い、そのまま黙りこんでしまった。 多分これからもさんは泣くだろうし、すぐには先の話なんてできるようにならない。数年かけて積もらせて来たものを溶かすのはそう簡単ではない、時間が必要だ。それが一年か、二年か、三年か、どれくらいかかるかは分からない。もし二年後、まださんが同じように明日を見られないままだったとしても、それでもさっきと同じ言葉をさんに言うだろう。あの日以来、色んな人がさんに手を伸ばして来た。その中からたった一人、さんは俺の手だけを信じてくれたから。 「二年って、長いのかな」 「さあ…」 「無責任だね」 「この四年、さんは長かったですか」 「…長かった」 「じゃあ、それに比べたらずっと短いはずです」 「……そっか」 待てるかなあ。さんはそう言って自信なさげに目を伏せる。俯くさんの頭にそっと手を置いて、大丈夫ですよ、と言った。さんの向こうに見えた空は、やっぱり青かった。
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