『向いてないね、向いてない』

 はっきりと、そう言われたのを今でも覚えている。その次に言われた言葉もしっかり覚えている。

『でも文章力あるし見た目もまあいいし、広報辺りにでも入ってみる?』

 見た目が関係あるのはどうかともかく、かくして、ボーダー隊員にはなれなかったが、私はボーダー本部のメディア対策室内にある広報課に所属している。どうしてこうなった、と頭を抱える日々である。戦闘員でないため緊急招集はないが、私はボーダーで仕事をする日が決まっていて、今は所謂アルバイトのような扱いだが、大学一年生にして就職先が決まっているようなものだ。四年後には正式に採用するから、と面接で言われたのだから。
 広報課は外向けではなく内部向けの仕事が多い。ランク戦関連の記事や今月の近界民出現数の統計を載せたりしているのだが、「多分誰もやりたがらなかったんだろうな、こんな面倒臭い仕事」というのが私の感想だ。ひたすらパソコンと向かい合うだけの仕事だ。さすがに内部向けの仕事まで嵐山隊にさせる訳にも行かず二年だ、二年間この広報課で働いて来た。
 ボーダーと提携している高校に通っていたため、入ってみれば知っている名前をちらほらと見付ける。見付けるものの、あれよあれよと言う間に有名人レベルになってしまい、今や私とは縁のない人たちとなってしまっている。
 そうして孤独に広報課でそれなりにやって来ていた頃、もう一つ厄介な仕事を持って来られてしまった。

「毎月それじゃ面白くないから、A級隊員辺りと対談でもしてみたら。インタビューでも良いけど」
「先輩私を殺す気ですか。ド忙しいA級隊員がそんなことに付き合ってくれるとでも」
「じゃあオペレーターから行ってみる?綾辻ちゃんとか大丈夫でしょ。私も知り合い」
「いやいやいやあそこめちゃくちゃ忙しい所じゃないですか、やめて下さい」

 今更何を新しいことをさせようとしているんだ、この先輩は。大体、それは自分が読みたいだけだろう。自分でやってくれ、としか言えない。

ちゃん知り合いいないの?本当に?」
「…いると言えば、いますけど…」
「じゃあいいじゃん、誰?」
「ほら…この前玉狛に転属になった……」
「烏丸京介くんか!いいじゃん!」
「よくないです!」

 一番の知り合いと言えば、小さい頃から知っている京介くんだが、中学以降の三つの年の差は大きい。中学も高校も被らないし、家の前で会っても最近はほとんど喋らない。ひょっとすると私がボーダーの広報課にいることも知らないのではないだろうか。
 それに何より、彼と話すにはとても気まずい理由があった。

ちゃんもランク戦のデータ一応見てるんでしょ?あれ実際見に行って、解説聞いて話しかけやすそうな人捕まえるのよ。そんで話振って見たらいいじゃない」
「他人事だと思って…」
「ルーチンつまらないって顔に書いてあったから提案したのに」
「………次のランク戦見に行ってみます」
「相手誰か決まったら教えてねー!」

 そう言って上機嫌になった先輩は自分のデスクに戻る。私はまたパソコンと睨めっこ。内部向けの広報とはいえ、会議に上がるような資料を作成している訳ではないから、そこまで気負う必要はない。けれどやり始めたらちゃんとやらないと気が済まないのが、良くも悪くも私の性質だった。結局直近のランク戦を観に行き、先輩の知り合いだと言うオペレーターの綾辻さんを見付け、恐る恐る声をかけてみた(その日の実況はとてもじゃないが私が話しかけられるような相手ではなかった)。すると「私でよければ」と二つ返事で了解してくれ、先輩の思惑通り、内部広報の一部には毎月、隊員へのインタビュー記事が写真と共に掲載される事になった。
 これが、私の予想の範囲を超えて反響が良過ぎた。内部メールで誰それに話を聞いて欲しいというリクエストが届くようになった。もうやめてくれ―――そうは思っても、先輩は先輩で「だから言ったでしょ〜」なんてにやにやと笑っているだけ。こうなればもう自棄だ。開き直ってあちこちに突撃する羽目になった。もちろん断られることもあり、断り方によっては心が折れそうにもなった。
 半年ほどそんな仕事がメインで続いただろうか、大学の試験やらレポートやらに追われ、原稿の締め切りにも追われ、ふらふらとラウンジを彷徨っていた。あとはインタビューを文字起こしするだけなのだが、大分目も疲れて来たので息抜きに歩き回っていたのだ。私は座っての仕事が多いため、あてもなく歩き回ることが息抜きになるのだ。

(ていうか、私情で内部メールはいい加減やめて欲しいわ…私はマスコミじゃないんだぞ!)

 そんなものを送って来るのは大概入りたてのC級隊員くらいだが。いちいち返事をしている暇もないのでスルーしていると、しつこく送って来ることもあり、何となく察することがある。これは私を使ってコネを作ろうとしているな、と。ふざけるな!と叫びたくなる。私だって何もないまま始めた仕事だったのだ。簡単に人に譲り渡して溜まるか。
 飲み終わった炭酸ジュースの缶を思いっ切りごみ箱に投げつけると、「うわっ」という声が後ろから聞こえた。何となく聞き覚えのある声。恐る恐る振り返ると、予想通りの顔に逃げたくなった。

「京介くん…」
さん今日も元気すね」
「あ、あはは…」
「仕事ですか?」
「あー、うん、まあ……知ってた?」
「そりゃ、広報は玉狛にも届きますから」
「よ、読んでるの…」
「まあ、一応」

 そりゃあ、本部でばったり会っても驚かない訳だ。私の方が驚くくらいである。滅多に本部には現れなくなった京介くんは、顔も名前も知れたA級隊員のため、ちょっと周りがざわついたりする。さっきから通り過ぎる人たちがちらちらと見て行くのがいい証拠だ。
 京介くんは何でもないような、いつもと変わらない様子でいるが、私は内心冷や汗が止まらない。気まずい、そう、それにはちゃんと理由がある。私が高校を卒業する時、つまりこの三月、突然京介くんに告白されたのだ。接点なんて殆どなくなってしまったと思ったのに、思っても見なかったその事件に私は返事をすることができなかった。そんな風には見ることができない、と、そう返すだけでいっぱいいっぱいだった。それ以降だ、喋らなかったのが余計喋らなくなったのは。小さい頃こそ姉と弟のように育って来たから、そんな感情を持たれているなんて思わなかった。曖昧な返事しかできなかったのも気まずい。それなのに話しかけて来るなんて、私が緊張していることに気付いていないのだろうか。

「先月、太刀川さんでしたっけ」
「や、その前かな…二宮さんに一刀両断されていた所を助けてもらって…」
「じゃあその前は」
「その前…三上さんかな…?」
「その前は」
「え、えー…綾辻さんに話つけてもらって嵐山さんだったっけ…今はオペレーターと隊長を交互にって感じだったような気がする…」

 何を言いたいのだろうか。何か言いたいことがあるのだろうか。京介くんは表情を見た所で何を考えているか分からない。ただでさえ広報に目を通されていたというだけで、穴があったら入りたいくらい恥ずかしいのに。記事の方はまだいい、なんせ記事と一緒にインタビュー相手との写真が載ってしまうのだ。営業用のおすまし顔の私の写真が。あれを見られていると思うと、居た堪れない気持ちになる。不特定多数ならまだしも、昔から私を知っている京介くんともなれば。
 それにしても、京介くんはこんな所で油売っていていいのだろうか。何か用事があって本部に来たのではないのか。それじゃあ私はこれで、と言おうとした所で腕を掴んで引きとめられる。

「今月は」
「え?」
「今月はどこの隊長ですか」
「そ、それはちょっと言えない…一応仕事だし」
「…………」
「えっと…京介くん?」

 私をじっと見下ろす京介くんはただならぬ空気を纏っていて、何もした覚えのない私は狼狽えるしかない。仕事を理由にそろそろその場を去ろうとしたのに、掴まれたままの腕はまだ離されていない。

さん、オペレーターならうちにもいます」
「え?ああ、うん、知ってる…元風間隊の…」
「あの記事は本部の隊員に限定してるんすか」
「そう言う訳じゃないけど…伝手がないし…」
「俺が話つけます」
「うん………うん!?」
「迅さんもいるしレイジさんもいるし」
「ま、待って待って待って!なんで!」

 思いっ切り腕を振ったら、思いの外、簡単に京介くんの手は離れた。代わりに、私を見る目が鋭くなる。蛇に睨まれた蛙とはこういうことを言うのだろうか、私は何も言えず、動けなくなってしまった。
 周りから見れば雑談しているように見えるのだろうか。そんな訳がない。なぜか先輩が後輩に絡まれているのだ。こんな時こそ先輩がいてくれればいいのに、こういう時に限っていないのだ。私の原稿の締め切りは邪魔して来ると言うのに。
 三月も、こんな感じだった。京介くんは私を逃がすまいとしていて、そんな中で言われた言葉が「好きです」だった。だって信じられるものか、三つも年が離れていて、小さい頃から一緒に育った相手にそんなことを言われたって。十代の三歳差は大きい。京介くんだったら、京介くんを狙っている同級生の女の子はたくさんいるのではないだろうか。わざわざ私を選ばなくても。
 そんな、三月と同じ状況に陥って、私は緊張していた。もしまた同じことを言われても、同じ返事ができるだろうか。この威圧感の中で。

さん、あんまり遠くに行かないで下さい」

 今日の京介くんは脈絡がなさすぎる。何もかも唐突だ。言われたことの意味を理解しようと、頭の中で反芻する。もごもごと噛み砕いてみる。けれど、何を言いたいのかよく分からなくて、いつの間にか思っていたよりずっと大きくなっていた京介くんを見上げる。

「知らないんすか、さん有名人ですよ」
「え!?」
「広報で写真に載るようになってから」
「まさか…勘違いだよ」
さんのこと可愛いって言ってるやつもいますし」
「写真補正のお陰だって言っておいて!じゃあ!」

 いい加減にしてくれ、と無理矢理振り切ろうとした。もうこれ以上無駄話をしている時間は私にもないのだ。広報課のデスクに戻ってしないといけない仕事はまだある。文章の打ち込みも、写真編集もしないといけない。今週末には仕上げて印刷までこぎつけないといけないのだ。これ以上掻き乱されてしまったら仕事どころじゃない。それなのに、二度目、私の手首を掴む。

「そんなことないです」
「だから、」
さんは可愛い」
「はぁ!?」
「すぐには吹っ切れません、ずっと好きだったんで」
「いや、だからね」
さん」

 こんな人目のある所でやめて欲しい。通りすがる人は少ないとはいえ、廊下だ。ただの廊下。どこかの空き部屋でもなければ二人きりと言う訳でもない。そんな公衆の面前で二度目の告白をされたって、どうしようもないではないか。
 少しはこっちの気持ちも考えて欲しい。泣きそうになりながら睨むと、年下の癖に一丁前に頭を撫でて来たりなんかする。余計複雑だ。
 私は何とも思ってなかった。ただ近所に住んでいて、昔は仲も良かったけど自然と離れて行って、姉と弟みたいな関係もどんどん薄れて行って、そんなものだと寂しいながらも割り切っていたのに。でもそこには一切恋愛感情なんて言うものはなくて、ただ弟が離れて行くんだな、くらいに思っていた。たったそれだけだったのに、全部ひっくり返した京介くんが恨めしい。

さん、まだ誰かのものにならないで下さい」

 私は単純な人間だ。好きだと言われれば嬉しい。舞い上がってしまうし意識してしまう。それまでただの弟でも、恋愛感情を向けられてしまえば意識せざるを得ない。
 気まずい理由は分かっていた。私が一方的に変に意識してしまっているからだ。そういう目で見てしまうからだ。
ぐらぐらと心が揺れているタイミングでそんなことを言われて、頷かないほど強情にはなれなかった。





(2016/01/19)