烏丸くんはモテる……と、思う。色々と噂を耳にすることもある。昼休みも残り半分になる頃、次の授業の用意をしながら、私はクラスメートの女の子たちの囁く噂に聞き耳を立てていた。

「山下さんと烏丸くんって付き合ってるのかな。最近よく話してない?」
「や、でも山下さんなら仕方ないよねえ、可愛いし」

 私の真後ろで繰り広げられる会話にやきもきせずにはいられない。今すぐにでも「私が彼女です!!」と名乗りを上げたいくらいだ。
 山下さんと言うのはこの学年でも可愛くて有名な女子である。烏丸くんもまた色んな意味で有名だし、というのもなんせボーダーの隊員だし、あのルックスだし、誰がこんな地味女が彼女だと信じるだろうか。ちなみに、山下さんが烏丸くんを狙っているというのもそこそこ聞こえて来る噂だった。「最近よく話している」というのは、つまりそういうことだ。

(私なんて中学も同じだったとか、誰も認識してないだろうし…)

 烏丸くんとは中学から同じだった。私の遅い初恋相手が中学で出会った彼だったのだ。片思い三年、高校に上がると同時にダメ元で告白したらなぜかすんなり是の方の返事。これには正直、自分でも驚いたくらいだ。彼女がいないことは知っていたけれど、「え、私ですけど?」と聞き返すくらいには動揺した。「そうだな、だな」と冷静に返して来た時はどうしようかと思った。自分から告白しておいて。
 そうしてお付き合いが始まったとはいえ、それはそれは可愛らしいもので、「それ付き合ってるって言えないんじゃ…」と友人に言わしめたほど。未だ友達以上にもなれていないような気がする。だからこうして烏丸くんと他の女子が噂になってしまうのだ。せめてあの、山下さんの半分くらいでも可愛かったら堂々と烏丸くんの横に行くのに、私は私に自信がない。烏丸くんの隣に並ぶだけの自信がないのだ。
 まだ後ろでは噂話が続いてる中、冷や汗をかいている私に話しかけて来たのは、次の英語の日本語訳を必死に写している前の席の友人だった。

「あんたの彼氏また噂になってるけど」
「あー…うん、そうだねえ…」
「いつまでもうじうじしてないでダーっと走って行って唇の一つや二つ奪って来なさいよ。どうせまだなんでしょ」
「なななんてこと言うの!?」
「うーわ、さすが初恋が中学生の女だわ」

 うじうじ。彼女にはよくそう言われる。確かに、学校で話しかけてはいけないなんてルールないし、一緒に帰っちゃいけないなんてこともない。尽く私が言い出せないだけで。チャンスならいくらでもあった。彼が緊急で学校を抜ける時以外は大概一人で下校しているし、席もさほど遠くないのだから声をかければ良いだけの話だ。けれど、そうなるとクラスメートの目がある。だからと言って、わざわざメールで確認するような事項でもない気がして、“付き合っている”とは言え、それらしいことは一度も、全く、これっぽっちもしたことがなかったのであった。この一カ月、ずっと。

さあ、プラトニックの意味履き違えてないよね?」
「ないよ!」
「あんたから告白したんならあんたからぐいぐい行かないと、烏丸みたいなやつはぐいぐいとは来てくれないよ?」
「べ、つに、ぐいぐい来て欲しいわけじゃ」
「俺がなに?」
「ひゃぁ!」

 少女漫画でお決まりの展開の如く、こちらはこちらで噂をしていれば当の烏丸くんが現れた。さっきまで廊下で山下さんと話していたはずなのに。

「何でもない!」
「ふーん」
「何でもないよ!」
「ところで、英語の予習してる?」
「今絶賛私がに借りてる」
「じゃ、後で貸して」
「あ、終わった。ほい」
、借りていい?」
「あ!?う、うん!」

 突然私に話を振られて変な声が出てしまった。友人と烏丸くんとで成り立っていた会話に、わざわざ私を巻き込んで来るとは思わなかった。いや、確かにやり取りされているのは私のノートなのだけれども。律儀に私に確認を取る烏丸くんに、別になんでもない事なのにどきどきしてしまった。
 そうして私のノートを手に、少し斜め前の席に戻って行く烏丸くん。その背中をちらちら見ていると、前から盛大な溜め息が聞こえて来る。

って何よ、って」
「私の苗字…」
「じゃなくて!」

 ばしん、と私の頭をはたく友人は容赦ない。言いたいことがよく分からず、頭の上にクエスチョンマークを浮かべていると、さっきの二倍の溜め息が返って来る。「…」恨めしそうな声で私を呼んだ。普段は本当にいい友人なのだが、どうしてかこう、恋愛沙汰になるとヒートアップするのが良くも悪くも彼女の性格だった。こと、私と烏丸くんのことに関しては何かと世話を焼きたがる。「もどかしいのよおぉぉぉ…」という唸り声を上げて私の机の上に突っ伏す。
 そりゃあ、進展できるものならとっくに進展している。私から積極的に行かないと、ていうのも分かっている。誰かと付き合うのに人の目なんて気にするものじゃないし、噂されたって疚しいことなんて一つもない。言うのは簡単だ、けれど実際烏丸くんの彼女が私だと知れ渡った時に、さっきの後ろの女子たちがなんて言うかは目に見えてる。なんであの子が、だ。

、ノート」
「ま、間に合った?」
「間に合った」
「あんまり自信ないけど…」
「英語の成績いいだろ、中学の時から」
「あ、あはは…」
「へー、中学でも英語得意だったの」
「大体毎回上位だったな」
「よく見てるねえ…」

 そう言いながら、私にじとりと目線を送って来る。これはあれだ、「一緒に帰ろうって誘え」って言ってる目だ。顔にそう書いてある。つまり、烏丸くんを引きとめるために友人が会話を引っ張ってくれていると言う訳で。

「か、烏丸くん」
「なに」
「きょ、きょう…」
「うん」
「今日、帰り、一緒にどうですか」
「…分かった。じゃあ、今日は借りるから」
「毎日借りとけ」
がいいならそれでいいけど」

 今度は烏丸くんが私をちらっと見る。いいよ、と言えばいいのか、いや、それしか答えはないのか。もう心臓が今にも爆発してしまいそうだ。消えそうな声で「烏丸くんが、いいなら」と言うと、もう一度「分かった」と言ってまた自分の席に戻って行った。
 失敗したかも知れない。今の「分かった」はどういう「分かった」だったのか。明日からもと言う意味なのか、私にその意思がないと思われたのか。私も溜め息をつくと、また友人から頭を軽く叩かれた。
 なんで上手く行かないんだろう。好きなのは本当だ。中学の時からずっと見ていたし、高校が同じだと聞いたら安心した。告白して、いい返事をもらえた時は幸せだと思ったし、入学して見れば同じクラスでどういう運命なのだとさえ思った。私がもうちょっと可愛かったら、私がもうちょっと自信が持てるような女の子だったら―――そんな、どうしようもないことを考える。私は私でしかないし、友人のように軽口を言えるような性格じゃなければ、山下さんのように積極的に話しかけに行くだけの勇気もない。こっちを向いてもらおうと思ったらこっちから引っ張るしかないのに。



***



 さっき昼休みが終わったと思っていたのに、もう放課後だ。約束通り、帰る準備のできたらしい烏丸くんは、彼の方から私の席までやって来てくれた。帰れるか、と聞かれて、うん、と答えて立ち上がる。友人はと言えば、それはそれはとてもいい笑顔で「じゃあまた明日」なんて言っているけれど、私の顔は引き攣るばかりだ。まだ殆どのクラスメートが残っている中、烏丸くんと私と言う見たことのない組み合わせを目の当たりにしたクラスメートたちはざわつく。有名人、つらい。

「すごく、視線を感じる」
「そうか?」
「うん…」
「気にするから気になるだけだ」
「気にならないの?」
「別に」
「そ、そっか」

 廊下を歩いていても気になる生徒の目。通り過ぎる間際に、「なんであの子?」という、やはり予想通りの声も聞こえて、落ち込むしかなかった。落ち着いたのはようやく校門を出てからで、けれど会話は弾んでいるかと言われれば当然、全くそのような事はなく。けれど、隣を歩く烏丸くんは歩幅を私に合わせてくれていることだけ分かって、胸の奥がきゅんとした。
 気まずい、と思うより先にどうすればいいか分からない。何を話そう、何を話していいかな、と、緊張と焦りで頭の中は空っぽだ。そんな沈黙を破ってくれたのは、烏丸くんの方だった


「は、はいっ!」
「…前から思ってたんだけど、俺とどうしたい?」
「へ!?」
「メールしか来ないし、教室でも話す訳でもないし、帰り一緒するのも今日が初めてだし」
「……えーと…」
「今日も英語のノート借りたかった訳じゃないんだけど」
「え?」

 烏丸くんが立ち止まり、私も立ち止まる。ああ、そう言えばこうやってちゃんと見たこともなかったな。告白したあの日以来、向かい合うことはなかったかも知れない。避けていた訳じゃないけれど、ただただ恥ずかしくて。

「意味分かってないだろ」
「え?えーと…う、うん…」
と話す口実作ったって言ってるんだ」
「な、なんで…」
「…が鈍いのは分かった」
「にぶ…っ!?」

 真顔でそんなことを言う。別に失望されたとか、そういう訳ではなさそうだけれど、多少落胆はしているのか、小さくため息をついて見せる。今日は随分溜ため息をよく見る日だ。私もしたけれど。
 烏丸くんの言ってることの意味を理解しかねて、狼狽える私の頭を掴むと、ぐいぐいと下へ押しやって来た。…地味に痛い。

「か、からすまくん…!」
「昼休み、“きょう”って言っただろ」
「…帰り、誘った時…?」
「ちょっと期待したんだけど」
「期待?」
「とうとうが名前呼んでくれるかと思って」
「名前…って、烏丸くんの?」
「それ以外何があるんだよ」

 まだ私の頭を押さえこんでいる烏丸くんは、どんな顔をしているのか全く見えない。私の視界には私と烏丸くん、アスファルトの上の二人分の足が映っている他は何も見えない。それでも声色くらいはちゃんと察することができる。呆れたような声に、ああもう終わりなのかな、なんて思ってしまう。俯いているのも手伝って、目元にはじわじわと涙がこみ上げて来るような感覚がした。
 けれど、ふっと頭が軽くなると、そのまま髪をくしゃりと撫でられる。

「俺がって呼んだらは名前で呼んでくれんの」
「え…?」
「ずっと待ってたんだけど、相手に耐久戦は無理そうだな」
「え、え?」

「は、はい!?」
って呼ぶから」
「は…!?」
「言ってる意味、また分かってないだろ」
「えっと…分かってない、かな…?」
「俺のことも名前で呼べっていうことだよ」
「は…っ!?名前…!?」

 、とまた呼ばれる、返事をする、呼んだだけだと言われる。まだ烏丸くんは私の頭に手を置いていて、何度も何度も頭を撫でては髪を梳いたりしている。ああそうだ、今、触られているんだ、と自覚すると途端にとんでもなく恥ずかしくなる。耳まで真っ赤になった私は、いよいよ何も言えなくなってしまって、「?」と顔を覗き込まれても泣きそうになるだけ。そんな混乱している真っ最中の私の右手を、いとも簡単に烏丸くんの左手が攫ってしまった。ひぃ、と小さく叫ぶと、顔を背けて烏丸くんは震えている―――笑いを堪えているらしい。
 片思い三年、告白して、付き合ってもうすぐ二カ月、ここでようやく、私は烏丸くんの手を知った。










「話って何、山下」
「怖い顔しないでって。烏丸、ちゃんと中学同じでしょ?」
「…そうだけど」
「うちのクラスにちゃん気にしている子いるから紹介してあげたいんだけど」
「それをなんで俺に」
ちゃんの中学の同級生で私が知っているの烏丸だけなんだし」
「断る」
「えー」
は俺の彼女だから」






(2016/01/17)